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第三部 天 獄
36自責②
しおりを挟むその時、コツコツと扉が敲かれ、寝室の扉が開かれた。
戸口に立っていたのはアドリスの兄・レストル神である。
出先から戻ったところなのか、部屋着ではなく畏まった装いをしている。
「アドリス、ちょっと来い」
寝台の上のナシェルには目もくれず弟を傍へ呼んだ、その表情が険しい。
戸口に近づいたアドリスが何事か兄に耳打ちされると、彼の表情が驚愕のそれに変じた。
「ま、……マジで? それで伯父貴は何て?」
「いや、それはまだこれからだ。これから主だった一族の長を集めて会議を行うそうだ」
「……でも、それ本当か? 10柱全員? ……ベレスも消滅したのか?」
「おそらくな。狩猟神の座はヤツの妹に移ったらしい。他にも戻ってきた神司を誰と誰が継いだのか、いま伯父貴が使いをやって情報を集めている」
何やら不穏な会話をしている。兄弟神ふたりの視線が、鋭さを増してこちらに注がれた。
「……?」
ナシェルには何のことか判らぬし天上界の事情になど興味もないので、背もたれクッションに身を預けたまましばし目を閉じた。……ひとりになりたい。
ルーシェと、サリエルのことが頭を過ぎる。
逢いたい……我が愛しき娘。今頃何をしているのか……こんな所に連れて来られて淋しがってはいないか。腹を空かせてはいないか……姫は腹が減るとちょっと狂暴になるからな……。むしろナシェルの第一の気がかりはそれであった。
ナシェルはまた鬱々とサリエルのことを考えた。
(サリエル。天界の狭量な連中は、一度堕天したお前を決して迎え入れはしないだろう。そこにいる兄弟がお前に言っていたように。
お前は今、この広い宮殿のどこかで、孤独を味わっているのか? それとも、かつて愛されていたという天王の温情にすがろうとしているのか……。いや、お前には、そんな器用な生き方は出来ぬはず。
それでも今、お前がこの故郷に戻ってきて少しでも安らぎを感じているならば……、これで良かったのかも知れぬ。やはり、ここがお前の本来いるべき場所なのかも……)
親友ヴァニオンの生死が不明である今、ナシェルにはなおも断固としてサリエルを冥界に連れ帰る、という決意はできずにいた。
サリエルの、虚空に溶けてしまいそうな儚げな微笑みが、脳裏に浮かぶ。運命に翻弄されるばかりの彼であるが、いつか彼自身の手で、自分の運命を掴み取れる日がやって来るのだろうか?
ナシェルはそうした日が来ることを願わずにはおれない。彼が自分の手で、自分の生き方を決められる日が。
サリエルが数々の悲しみに見舞われ、また死の淵ぎりぎりにまで近づいた原因の一端は、ナシェルにもある。
そもそもナシェルが青かったヴァニオンを弄び捨てさえしなければ、ヴァニオンが捨て鉢になることもなかっただろうし、地上界へ旅に出てサリエルを拐すこともなかっただろう。
また『神族の男を攫ってきて監禁している』とヴァニオンから初めて聞かされた時でさえ、ナシェルはそれを放置したのだ。
最初、助けてやろうなどとは微塵も思わなかった。父を捨てた天上界に対する悪感情から、ひとりの下級神などどうにでもなれと思っていたのだ。
ヴァニオンがそうした浅はかな行為に没頭することで自分への未練を忘れ去ることができるなら……名も知らぬ神など、犠牲になるがいいなどと。
サリエルを本当に気にかけ始めたのは、継母が消滅したあと……『神の死』、というものをナシェルがはじめて目の当たりにした後だった。
今、サリエルとの間に存在する友誼から考えれば、あのときの自分はなんと冷酷無情であったのだろう……。
そして翻っては、長い間そのように放置されていたと知りながら、命永らえさせたことへのひたすらな恩義を感じてくれているサリエル……。彼の無垢な清らかさが、辿っている運命と反比例しているようで、胸に突き刺さるほどに痛い。
そして今も彼はきっと、この状況を自分のせいだと決めつけてこの天王宮のどこかで、悔い嘆いているに違いない。
サリエル。そなたは悪くない。それをきちんと会って伝えてやりたい……。
……ぐいと急に手首を掴まれ、ナシェルはうっすらと重い瞼を上げた。
「食べた後は呑気に昼寝か? いいご身分だな」
天蓋の薄幕を押し上げるようにして寝台の脇に立ち、ナシェルの手首を掴んでいるのはレストルだった。
冷やかな蒼紫色の瞳でナシェルを見下ろしてくる、その表情には苛立ちと怒りが浮かんでいる。当然だがこちらには身に覚えがない。
「……手を離せ。……何を怒っている?」
「それはな、」
レストルは手を離すどころか、さらにぐいと引きずるようにしてナシェルの躯を近づけ、吐息がかかるほどに顔を寄せて一言一言区切りながら云った。
「お前の、親父殿が……。冥王が、我々の仲間の神10名を、皆殺しにしたからだ」
「―――!?」
ナシェルは息を呑んだ。咄嗟に言葉が出ない。
絶句するナシェルに対し、レストルは腹立たしげに続ける。
「まあそもそも冥界に侵入したのはこちら側の統率が乱れた所為もあるがな。だがこの騒動のおかげで俺の率いる警邏団は解隊間違いなしだ。チッ……、元はといえばお前らがあんな穴からのこのこ地上界に出てきやがったからこんなことになるのだ」
衝撃で、脳がまだぐらぐらと揺れている。
「父、上が……」
己を奪われた冥王の凄まじい怒りをナシェルは夢想し、内心で歓喜に震える。
荒ぶる王はどのような手段で10名もの神を屠ったのか。闇嶺に跨り、全身に黒の戎装を纏い、金色の天の神々とたった一人で対峙する闇の神セダルの姿がはっきりと、瞼の裏に浮かんでくる。
奪われた半身の代償には、とても10名では足りぬという王の声が、聞こえてくるようだ。嬉しくて、恍惚としかけて、ナシェルは我に返った。
「何と言った……、冥界に……侵入しただと?!」
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