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第三部 天 獄
53それぞれの檻③
しおりを挟むそのときがちゃりと無遠慮に扉が開く音がしたので、ルゥは驚いて飛びあがりかけた。兄が、ルゥを庇うように抱きこみながら、扉の方へ鋭い視線を向ける。
戸口に立ち、ルゥに対して軽く眉を上げたのは……あの赤髪の男……。アドリスの兄だ。
「面会時間は終わりだ、出て行け、小娘」
レストルは両腕を胸の前で交差し、顎をしゃくって出口を示す。ルゥは寝台を降りると、おもむろにナシェルを庇うようにして、両手を広げレストルの前に立ちはだかった。
どうしてそうしようと思ったのか、ルゥにもよく判らない。それは本能的な行動だった。
ただ云えるのは、ナシェルが今この世界で何かにとても苦しめられていることは確かで、また目の前にいる男の眼差しはとても危険で、明らかに兄に害をなす者のそれであるようにルゥには思われたのだ。
「兄さまに、何の用……? 兄さまをいじめるなら、ルゥ、レオンおじさまに云いつけるから!!」
山猫のように全身の毛を逆立てんばかりに威嚇するルゥに対し、レストルは薄笑いで応じる。子供に何が分かる、といわんばかりの表情だ。
「……いじめるなどと聞き捨てならんな。お前の兄上は、俺と、仲良くやっている。それに俺は、レオン伯父から『兄上の世話を丁重にしろ』と直々に頼まれているんだぞ。いじめたりできるわけないだろ」
「……、」
ルゥは唇を引き結び、目の前の男を見据えた。まだ幼いルゥには、男の言葉に含まれる虚偽が見抜けない。
伯父から、ナシェル兄さまの世話を頼まれている……。それなら、一瞬感じた悪意は気のせいなのかも……? でも兄さまは、明らかに弱っていて。
ルゥは戸惑い、何と云い返そうかと逡巡する。
そのとき思いがけないことに、背後から声が掛かった。
「ルゥ。もう行きなさい」
ルゥは驚き、振り返った。ナシェルの秀麗な相貌に浮かんでいたのは、普段の優しい微笑みだった。
「また会いに来ればいいから」
「兄さま……」
そう云われれば、これ以上留まるわけにもいかない。肩すかしを食ったような思いで、ルゥはとぼとぼとレストルとすれ違った。赤髪の男はまっすぐ部屋の奥へと眼差しを注いでおり、もうちらりともルゥに視線を寄こさなかった。
後ろ髪を引かれる思いがして、ルゥは最後にもういちど振り返った。
ゆっくりと閉じられていく扉の隙間から、兄の貌がちらりと見える。
どきっとした。
ルゥに最後の最後まで見せていた微笑みの欠片は微塵もなく、そこにあったのはルゥが未だかつて見たこともないような喪意した兄の表情だった。
レストルの背中ごしに一瞬垣間見えた兄は……レストルに何事か声をかけられ、消沈した面持ちで、視線を寝台の上に伏せる。
ありえないことだった。ナシェルがあんなふうに元気なく俯いているところなど、ルゥは見たことがない。
(兄さま…………)
ルゥの目の前で、パタンと扉が閉められた。二人きりで、彼らは何の話をするというのだろう?
よくわからないけれど、とても嫌な気持ちだ。
(ルゥがなんとかしなきゃ……。兄さまを、助けなきゃいけない……!
でも、一体どうしたらいいんだろう……。とおさま……、どうしたらいいの?)
ルゥは閉ざされた扉の前にしばし立ち尽くし、茫然と両手を握り締めていた。
まだ幼く非力な自分が、これほど悔しいと感じられるときは、今までなかった。
***
「……ずいぶん長いこと眠っていたな。調子はどうだ?」
レストルに声をかけられてナシェルは無言で視線を落とした。
扉の閉じる音がし、幼い王女の姿が見えなくなるや否や、ぐいと胸倉を掴まれた。
「目が覚めるのを待っていた……少しは食事をしたか?」
顔を覗き込まれる。ナシェルは答えず目を逸らし、瞼を閉ざした。
目の前の男を見たくない。今は、あっという間に引き離された娘の姿を、まだ思い浮かべていたかった。
レストルは、手つかずの食事が部屋の隅の円卓にトレイごと置かれているのに気づいたようだ。
「もっと食べて俺との性交に備えて体力をつけろ。こっちは毎日犯りたいのに、抱くたびに弱ったり、何日も寝込まれたりしてはかなわんからな」
そう言ってレストルは胸倉を掴む手を離し、部屋の隅から食事のトレイを持ってくると、ナシェルの目の前にそれを突き出し、膝上に置いた。
「食え。自分で食わんなら俺が無理にでも与えるぞ」
「……」
昏睡から目覚めて間もない。まだ少し吐き気がしていて食事どころではなかったが、目の前の男は拒絶を許さぬ雰囲気だ。
匙を突き出され、仕方なく受けとった。
冷めたスープを一口啜り、吐き気のあまり匙が止まる。
レストルは二口めを待っている。
至近で食事する様を観察されることに、耐え難い屈辱感が込み上げてきた。
「……もう要らぬ」
匙を置くと、レストルはトレイ上のパンを取り、手ずから千切ってスープに浸した。
「食え」
思わず顔を背けるが、レストルはパンをナシェルの顔の前に突きだしたまま動かない。
仕方なく、与えられるまま口に含んだ。
スープに浸したとはいえ形のあるものは、飲み込むのに時間と勇気を要した。
そうして、あと数口無理やり食べさせられたあと、ナシェルは首をふって断った。
「もう無理だ。これ以上は、また吐く」
レストルも諦めたのか、トレイを置きに行った。
その背に向けてナシェルは問いかけた。
「天王とやらは本当に了解しているのか」
「何を」
「……お前が私を飼うと言った件についてだ」
レストルは寝台脇まで戻って来、冷酷な笑みを浮かべる。
「むろん伯父貴の了解は得ている。俺が掴まえてきた捕虜だから俺の好きなようにしていい、とな。
……サリエルが魔族に騙されて冥界に連れ去られたとき、冥王はどういう対応だった? お前自身はそれを知ってどういう対応をした? 『とるに足らぬ下級神』だからと無視したんだろう。――そのお返しだとさ、何せサリエルは天王の愛娼だったのだからな」
眉根を寄せ嘆息するナシェルは、無論それがこの男の出まかせであることなど見通せぬ。ナシェルは天王レオンとは面識がなく、彼の争いを好まぬ穏やかな性格を知らぬがゆえ、復讐などと聞いて違和感を覚えることは不可能だった。この男しか情報源がないナシェルにとっては、レストルの言葉はいかにも理にかなっているように思えた。――つじつまが合ってしまうのだ。
レストルはナシェルの肩を掴んで押し倒し、そのまま寝台に上がり組み伏せる。
「さあ食事を採ったなら続きをやるぞ、服を脱げ。
お前にもあの妹王女のように、この環境に慣れるまではしばらく『勉強』が必要だ。俺の所有物としてのな。
今日も体の隅々までみっちり、俺の味を覚えさせてやる……」
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