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第四部 至高の奥園
33甘睡②
しおりを挟むナシェルはそのようにして、冥府の宮殿でしばらく静養した。
常日頃から自堕落が身に沁みついているナシェルだが、これほど長い日数を、何もしないで(というか何もさせてもらえず)過ごすのは若しかすると初めての経験かもしれない。
それは単なる「静養」と呼ぶにはいささか……否、かなり、風紀の乱れすぎた日々だった。
何せ起きている時間のほとんどを、冥王宮の自室で王とともに過ごし、その時間のほとんどを、寝台の上で『司を交わす』ことに費やしたのだから。
彼は王の齎す快美な享楽に酔い痴れ、塗れ、溺れ、……そして極め続けた。
神司を提供する側である冥王はナシェル以上に消耗するはずなのだが、長い行為のあとでも疲労も見せず平然とし、ナシェルを休ませる間は、たまに持ち込まれる火急の案件などを決裁する余裕も見せていた。やはりバケモ……否、神格が違うというところだろうか。
ナシェルは途中から部屋着の脱ぎ着もあまり意味がないことに気づき、ついには、侍官が世話をしに来る時間帯以外はほとんど裸にシーツを巻きつけただけの姿で過ごすという億劫さを発揮するに及んだ。三界の一つを継ぐはずの世嗣の御子神としても、一小世界を預かる領主としてもありえない、だらしのない体たらくだ。
冥王はといえばこの数日に限っては、ナシェルをとことん甘やかすつもりのようだった。スープ匙の一つでさえナシェルに自分では握らせぬほどあれこれと世話を焼いた。
これは比喩ではない。
冥王のそうした過保護ぶりをはじめのうちは享受し、求められるまま「あーん」などとやって温水に浸かるがごとく弛んだ暮らしを送っていたナシェルであるが、さすがに同衾も4日めには飽いてきた。
徐々に酔いが覚めてきたといってもいい。
どれだけ近しい存在で、今や相思相愛の間柄であっても、互いの体の境目を見失うほど傍にい続けるべきではない……。三晩に亙ってぐずぐずと蕩かされた心身で、今さらといえば今さらなのだが。
英気が戻ってくると次第に元来の、放埓で得手勝手な思考も元通りになってきて、半身の見せる愛着が少々、重く感じられてくるのである。
こうした精神的な成長のなさは、まさに彼ら神族が「不老の存在」であることゆえの欠点ともいえるだろう。
(神族はもっとも美しい時期におのれの外見の成長をとめるが、同時に精神面での成長もその時点で止まってしまう。つまり、成神してから己の性格を変えるということは基本的には不可能なのだ。)
ナシェルは王に通常の執務に戻るよう諭し、冥王がそれを受けて渋々夜伽を諦めたので、4日目にはようやく王子の二間続きの部屋に、静かな宵が訪れた。
そこでナシェルはやっと適当に服を着、運動のために内殿あたりを軽く散歩したりもした。
もはや活力は心身の内に隆々と漲っていたが、なにぶん愛されすぎて腰がだるい。
回廊を行き交う臣たちは、腰をさすりながら牛歩さながらの歩調で徘徊する王子を目撃することとなり、その不気味な様子にとうとう誰も声をかけられなかった。
ナシェルの使役する死の精たちは暢気なもので、彼が神司を取り戻してくると途端にふわふわと集まってきて、しばらく姿が見えなかったが主神よ、何処へ行っていたのだ? などと口々に訊ねるのだった。ナシェルの姿が見えぬ間はしぜんと冥王の配下にあったので、彼ら精霊族にとってはしょせん、あの一大事もその程度のことだったのだろう。
いたずら好きの彼らは、ナシェルが寝椅子の上でぼんやりと物思いに耽りながら本のページを繰っていると、ページをひらひらとめくったり、紐の栞を引っ張ったり、文字の上を滑ったりして読書の邪魔をしてくるのだった。
流れる黒髪の中に隠れ場所を見つけて遊んだりもしている。
ナシェルは苦笑し、精霊たちの戯ぶがままにさせておいた。
ようやく得た平穏だった。
その中にいつまでも蕩っていたかったが、気がかりがまだ幾つかある。
ナシェルは本をめくりながらそれらに想いを馳せた。
早く無事な姿を見せてやらねばならぬ……。
もう静養は終わりにせねばならぬ。と感じていた。
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