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第四部 至高の奥園
54愛しき筆跡④
しおりを挟む暗黒界の日常が過ぎていく。
雑務の量はまだまだ減らないが、それでも帰ってきた当初よりは、精神的に余裕も出てきていた。
「……ナシェルお前、案外単純だよなぁ。それ絶対、陛下に騙されてるって」
魔族の御曹司は部屋の中央にある応接椅子の背にどうと凭れかかり、足をテーブルに行儀悪く投げ出した。
ナシェルは、執務卓に頬杖をつき茶椀の湯気を顎にあてている。
ヴァニオンと二人きりになり、執務の合間を縫って休憩をとっているところだ。
会話の内容は、冥王とナシェルの間に和解が訪れるに至った経緯……、についてだ。
つまり王が自身の亡き後を見越してナシェルのために築き上げねばならなかった“神の系譜”の件、そしてその実現のためにあえて「転生」という道を選んだセファニア女神(ルーシェ)のこと……。
ヴァニオンに「騙されている」などと断言され、ナシェルは眉間の皺をことさら深く刻む。
「……なぜそうと言い切れる?」
「だってよぉ。世代交代とかいったって、お前の親父殿がいったいどんな原因で死ぬのよ? 想像できる? 病気か? ありえねーだろ。魔獣界にいる兇暴な連中が束になってかかっても到底敵いそうもねえし……、たぶん三界で最強なんだろうから戦死はありえねえわな」
「……分からんぞ。氷獣界の湖に太古から住んでいると聞く魔竜あたりなら、もしかしたら父上より格上かもしれん。父上が冥界に堕ちてきたときには、もうあそこに棲みついていたそうだからな……」
「そんなら陛下はなおさら単体では挑まねえだろ。もし討伐するとなればお前を連れていくに決まってる」
「……あんな寒いところ、私は頼まれても行かない」
「……話、そらすなよ。まあ氷獣界の魔竜は今は長い冬眠についてるって話だし、しばらく討伐の話はないだろうさ。もしあったとしても、魔竜が陛下よりもしかするとチョイ格上かなっていう程度ならお前と二人がかりでさすがに勝てるだろ。
つまりお前という『ほぼ陛下と同等の予備戦力』がいる以上、陛下が戦死する可能性は万に一つもないわけだ。
そもそもアシュレイドに聞いた話だが、砦の戦いで、他の神様たちが10人がかりで陛下に挑んだけど全員マジで瞬殺だったってよ。……お前の親父殿に勝てる奴なんてもういるわけねーよ」
「うーん……」
ナシェルは眉根を寄せつつも戦死はありえないという意見には、同意せざるを得ない。
「そうするとあとは老衰ぐらいだけど……、老衰…フッ…ごめん、ちょっと吹いちまった」
「老衰こそあり得ぬな。我ら神族は成長期を終えたら、幾ら年月を経ようとこの姿のままだ。数千年先のこととなると分からんが……」
「まあしかし、どうも陛下を見てると俺たち魔族と違って老いないに違いない、という気ィするんだよな。
つまり何が言いたいかっていうとさ、結局その『後を継げ』的な発言は、お前を慌てさせて、本音を白状させて、てっとりばやく丸く収めるための方便だったって気がするぜ」
「…………」
ヴァニオンの読みはなかなかに鋭い。確かにあのとき冥王が転位するという可能性を示唆され慌てていて、うっかり本音を言わされたという感じはする。
が、冥王が己のために立ててきた後世のための計画は、紛れもない事実である。
……ナシェルはしばしの沈黙ののちに応じた。
「上辺だけ見ればそう受け取れるかもしれんが、そういうことじゃないんだ。父上はずっと以前からそのことを考えて行動していたわけだし、私に対してその場の思いつきでそういう発言をしたわけではない。
それに……まあ、いいんだ。別に方便であろうが真意であろうが、そういう細かいことはもう気にせぬことにしたから」
「……お前、あんだけ陛下に対して挑戦的だったわりに一体どういう風の吹きまわしなのよ? それに、この話のどこが細かいんだよどこが」
ナシェルは澄ましたふりをして茶を啜る。ひと呼吸おいて云い放った。
「ま、経緯はどうあれ、現時点で私の疑問が晴れて蟠りが融けているのだから良いではないか。父上のやること成すことにいちいち過敏に反応していたらこっちが持たない。これは身をもって経験済だし、そもそもこれは父上と私のあいだの問題だ。部外者が横からいちいち講釈するな」
「部外者だと? ……意固地になった誰かさんの凄まじい素行のせいで、こっちは地上界で死ぬ思いしたってのによ」
「誰のせい……それはこちらの台詞だ。だいたいお前がしっかりサリエルを捕まえておいてやらなかったからあんな騒ぎに……」
言い掛けて、やめた。
同じく沈黙したヴァニオンとしばし見つめ合い、ナシェルは口元を苦笑の形に持ち上げる。
「……蒸し返すのはやめておこう。もう全て、済んだことだ。部外者扱いしたのは、悪かった」
「……いや、いいんだ。何にせよ、そっちもうまくいってるみてーだしな」
ヴァニオンは背凭れに両肘を引っかけたまま、天井を仰いだ。
冥王とナシェルとの間にちょっとやそっとでは解けない強靭な”和解”が成立していることを悟ったのだろう、彼は上を向いたまま「はーめでたいこった……」と呟く。やはり呆れ気味だ。
ナシェルは面映ゆさを押し隠すように瞼を閉ざし、ただ椀を揺らした。
……と、そこへコツコツと、精霊が外から執務室の硝子窓を叩く。
振り返ると一匹の闇の精が、恭しく何かの紙片を手に、窓の外に浮いていた。
ナシェルは席を立ち、鍵を開けてやる。
風とともに入ってきてふわりと一礼した闇精は、冥王からの文である旨を王子に告げた。
「お、また凄いタイミングで手紙寄越すよなー陛下も」
闇の精は手紙を受けとったナシェルの手に口づけして、彼のそばに休む。
ナシェルは執務卓に寄りかかり、王からの文に目を通す。
達筆な、父の筆跡。ナシェルは無意識に、文字の一つ一つを指でなぞる。
たったの一行だ。ナシェルがルゥに長々と愛の囁きを羅列したのとは対照的に。
『樹下の畔にて待つ。縦ひ汝の訪ひ遠くとも』
「樹下の畔にて待つ、か……」
父上……。
「お、お前が陛下からの手紙を捨てずにすぐ開封するなんて……なんか気味悪いわ」
ヴァニオンは慣れない場面への驚愕のあまり、応接椅子から起き上がった。以前のナシェルなら読まずに抛るのが常であったので、この反応も無理はない。
だがヴァニオンに取り合わず窓の外に視線を転じたナシェルの魂は、すうっと体を抜け出でるようにして、双りのためのあの窓辺へといざなわれるのだった。
(そろそろ潮時だな)
政務がひと段落つくまでは……と逢瀬を我慢していたが、それも臨界だった。向こうも考えることは同様で、この文と相成ったのだろう。
ナシェルは執務卓を離れ、壁際に歩み寄り漆黒の外套を手に取った。
「少し出掛けてくる」
「出掛けるって……何処行くんだよ?」
「うん、ちょっと幻霧界までな」
「……幻霧界? 離宮か? 仲直りしたと思ったら早速かよ。はぁー」
ヴァニオンは脱力気味だ。
「……仲直りもくそも、もともと私たちは喧嘩などしていない」
「はぁぁ? ええ? そうでしたっけ? ああーそうか、そもそもお前が必死に挑発的な行動とってただけで全然通じてなかったもんな! 陛下のが何十枚も上手だし、お前が騒ごうが拗ねようが向こうは完璧に成神の対応してきたわけだしな、そらぁ、そもそも喧嘩になるわけないわなぁ……」
「、……勝手に言ってろ。考察するだけならお前の自由だからな」
「あーめでたい。俺もう涙出そうだわ、祝杯上げとくわ」
ナシェルは目頭を押さえるふりをする乳兄弟に背を向け、鏡の前に立った。
マントの襟から髪を引っ張り出す。
「……さっきからめでたいめでたいと煩いな。いったい何がそんなにめでたい?」
「お前の長かったこじらせ反抗期が、ついに終わったらしきことがだよ……」
「誰が反抗期だ……。そんな生易しい言葉で片付く問題じゃなかったのは、お前も知ってるだろう」
「……まあ、自分のことって案外、自分でもよく分からねえもんだよな」
「………」
反抗期だったかどうかはともかく、王との精神的な対決においてさんざんこの乳兄弟を巻き込み、心配させ、付き合わせてきた自覚は、ナシェルにもある。
そしてヴァニオンはいつ何時でも、常に自分の最大の理解者だった。
その彼が客観的に洞察してそう思うのなら、まあそれも一つの見方なのだろう。
王との長きにわたる攻防(全く守りきれていなかったが)の歴史を単なる『反抗期』の一言で片づけられてしまうのは少々、複雑な気分だが……。
ナシェルはそれでも頑迷に反論するのはやめにする。何と言われようと、早く出かけたいのだ。
壁に横向きに掛かっていた神剣を取って腰に差し、外出の準備を完了する。
「…おいおい、アシュレイドのやつに何て誤魔化しゃいいんだよ」
「『父上の急なお召しとあらば仕方ない』と出掛けて行ったと言えば良い。嘘はついておらぬ。
心配せずとも急ぎの書類はもう片付けてあるし、数日で戻る。済まんが、後のことは頼んだぞ」
「頼むって言われても……ちょ、待てって!」
部屋の入口までついてきたヴァニオンを執務室の中に留めおくように「しぃっ」と人差し指を立て、ナシェルは扉を閉めた。
まだ、分厚い扉の向こうで何ごとかぼやく声がするが、ナシェルはくすりと笑って取り合わない。
「お前たち、少しばかり遠出をするぞ。供を致せよ」
死の精たちに声を掛けながら、ナシェルは揚揚と歩き出す。主の足取りからその心持が悟られるのであろうか、従う精霊たちもまた表情軽やかであった。
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