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番外編
ヴェルベットの闇②
しおりを挟む揶揄するような冥王の言葉に、ナシェルは鼻を鳴らしてみせる。
「やはり、私の思考や手の内など端からお見通しというわけですね。ならば、盤駒なんぞで勝敗を争っても意味がないでしょう」
ナシェルは、右手を盤の上に突き出した。
袂の先からついと指先を伸ばし、持っていた駒を盤上にばらばらと投下してみせる。
騎士や城砦、竜、蛇女、といった駒が、盤上に乱れ落ちて中央の駒をなぎ倒し、たちまち盤上には無秩序が形成された。
「あ~あ、勿体ない。あと数手で勝てる所であったのに」
どちらが、とは王は云わぬ。
「云ったでしょう。やっても無駄です。貴方は盤上でさえいつも私を難なくあしらっておられる。
この一局とて、時間がかかっている振りをして、実は私をうんうん呻らせて、愉しんでおられただけなのでは?」
「難なくあしらってなどおらぬ。そなたは確かに強くなったよ。
局面を読む洞察力も、長期的な戦略をふまえた上での理論的な手筋も。
だが、まだそなたに必要なものがあるとすれば、負けそうになったからとて最後まで勝負をあきらめぬ気骨、耐久力というやつだな。途中で飽いて、投げ出すなど以てのほかだ。悪い癖がまた出たな」
「……」
しばらく盤に集中しておらず、負けそうになっていたことにも気づいていなかった。
ナシェルは少し拗ね、憮然とした面持ちで前髪をかきあげる。
疑問への答を求めて、ひとりでに口が動いていた。
「でも、実際のところはどうなのです? 私は昨今、時には貴方に勝つことがありますが、本当はあれは……、あれも、全て貴方の手の内なのではありませんか。
私をわざと、勝たせて下さっているのかと――」
「ふふ。そう思うならなおさら、もっと己に足らぬ所を磨くがよい。実力で余に勝ったと、真に納得できる会心の勝利を得るまでな」
「やはり、そうでしたか……」
落胆と、少しの安堵がナシェルの心の裡にはある。
冥王はやはり数枚以上、上手だ。
これだけ自分を小指の先ひとつであしらうことができるのだから、自分はまだまだ何においても王には及ばぬということなのだろうし、王の活力も充実しているということなのだろう。
安堵しているということは……結局自分は、いつの日か、目の前にいるこの王を追い越してしまう日が来るのを……恐れているということだ。
挑発と懐柔と。
それらを繰り返しながら共に生きてきた、一筋縄ではゆかぬ関係であるが、ナシェルの心の中には王に対して「己の支配者で在り続けてほしい」と願う気持ちがあった。
上級神となった今、すでに神格に於いてはほぼ同格。
だからこそ、たかが盤駒といえど己が王を越えてしまうことに不安を感ずるのだ。
足下に落ちた駒を優雅な仕草でつまみ上げ、王は唇に苦笑を浮かべる。
「云わせてもらうが、そなたの戦法などまだまだだ。余に優ってしまったかもしれないなどと、分不相応な心配を抱くのはよすのだな」
冥王はそう云いながら、胸中では正反対の台詞を考えている。
(もっと自信を持て――、余が時おり負けるのは、紛れもなくそなたの実力だ。
…と、本来ならば励まさねばならぬ所であろうが……。
この子が欲しがっているのは、そうした言葉ではないのだから困ったものだ。
【余の傍らに在り続ける】ことと、【余を越える越えない】ということは、別問題であろうに。
余などその足で、軽々と飛び越えてゆけば良いのだ。
余は、自分の片割れ・つがいとなる存在を常に求めねば生きられなかった。四肢が健全であろうが、常に片翼をもがれている感覚を持って生きている。
それは、あの天王とて同様だろう。
我らふたりが、どの神よりも先んじて造られたからか?
――自分が不完全な神だという自覚が余にはある。
そんな余に比べれば、
天と冥の血を双方受け継いだそなたの方が、よほど神として完璧な存在であろうものを。
それなのにそなたは、余の影ばかりを踏んで歩きたがる……。
そなたはあらゆる点において余よりも、遥かに優れているというのにな)
こうした想いは、片割れだから伴侶だからという以前にまず、自分が父親であるからこそ感ずるものなのだろう。
それを単なる親馬鹿といわれようが、それでも冥王はナシェルに、いつかは自分を越えて歩んで欲しいという願いがあるのだ。
しかしそれを口にすると王子が
「さっさと退場したい? 上等だ、貴方の引導など私の手で喜んで渡してやる。
しかし私をこんな風に育てたオトシマエはしっかりつけてから逝け」
というようなことを云い、いつも盛大にキレて機嫌が治らなくなるので、口には出せぬけれど……。
王は、深い紅の眼差しに様々な想いを湛えて、ナシェルを見つめる。
――このたとえようのない究極の慈愛には、ただ静かな今宵の無風こそが似合う。
余計な旋律は要らぬ。
ただこの無音の夜のなかにそなたという存在をかみしめよう。
そうして王も、半身と同じように盤上に手持ちの駒を放った。
一方で、まだまだだと王に念を押されたナシェルは、その言で心に安らぎを取り戻す。
精霊たちが、倒れた駒を拾い上げ片づける様子を、目で追う。
――そうだ。王の叡智の衰えを疑うなど、どうかしていた。
何を不安がることがある?
たとえいつかこの強大な存在が目の前から消えるその瞬間が来ようとも。それはおそらくまだ、幾数世も先のこと。
永遠と信じていたものが永遠ではないと、ある日突然気づかされた衝撃はあれど、限られた生を生きる、神ならぬ者すべてに比べれば……私は、やはり、幸せだ。
貴方を愛することに、こんなにも時間を費やして来られたのだから。
そして無論まだまだ、これからもきっと……貴方と生きていられる。
ああ、つまりこういうことか。
私は、自分で思っている以上に、貴方にまだ依存したままでいるということ……。
こそばゆさと照れ臭さとを、ナシェルは自覚する。
だがどれも、“せめて今は王と共に在ろう”と心に決めた今では、決して不愉快な感情ではなかった。
実をいえば、冥王の司を体の隅々まで受け継いだナシェルには、もう現世において恐れるものなどない。
それほどの自信に満ち溢れている。
だがその一方で、ナシェルはまだまだ、王にたっぷりと力を注いでもらいたいと思っているのだ。
彼はおもむろに椅子を立ち、精霊たちが盤をせっせと片づけている円卓を廻って、冥王の膝上に座った。そうして王の首に己の手をまわす。
急に跨ってきて体を密着させてくる彼を、冥王は目を細めて抱き取る。
「正直云って、安堵いたしました。
時折私が勝てるのは、やはり貴方が負けて下さるからだった。
自分の成長よりも、貴方が衰えていないと感ぜられることの方が、今の私には大事ですから。
どうか――なにとぞ父上には、そのままで在られたく」
「そなた、必要以上に余を、老い耄れ扱いしたいようだな?」
「おや、そう聞こえますか。失礼……以後、気をつけます」
首を竦めて視線を合わさぬようにするナシェルの、首根を、セダルは掴んで引き寄せる。
「こいつめ……、忌々しいことを申す唇よ」
貌を近づける。
忍び笑うナシェルの唇に、冥王は人差し指を這わせた。
その指で、顎やうなじを撫で巡り、ふたたび唇に触れようと指を戻したとき、ナシェルが自ら王の指を払いのけて、斜め上から唇を重ねてきた。
「あまり焦らしてくれるな」と云いたげに、掴んだ指にはぎゅ、と力が籠められている。
双りぶんの荷重に耐えて、背凭れがぎしりと軋むのを感じながら、セダルは愛おしい膝上の重みを堪能した。
……口づけの合間に囁かれる、愛の言葉とともに。
泉下の国は、このように常のままに、平穏のようである。
こうして甘美な冥宵を、ひたすらに重ねてゆくばかり……。
<ヴェルベットの闇> 了
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