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番外編
かけがえのない日々⑨
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当初のとおり書物を選びに来た態を装い、本を抱えて書物庫を出たところ、「おやおやおやァ……?」という気色の悪い声に呼び止められた。
ナシェルはびくっとし、嫌な予感に背筋を寒くしながらも、3秒ぐらいかけてゆっくりと振り返る。
銀髪丸眼鏡の変態公爵――ファルクが、肉食獣の目つきでつかつかと歩み寄ってくる所だった。
「これはこれは、ナシェル殿下。お久しぶりでございます。まさかこのような場所で偶然にも貴方様にお目にかかれるとはなんとも過分な光栄……。殿下におかれましては、ご機嫌麗しいことと存じ上げまする」
「……機嫌なら、麗しかったがたった今最悪になったところだ」
ナシェルは無意識に防御するように分厚い本を抱え直す。ファルクは廊下の前後を見渡して人気のないのを確かめるような仕草をした。
「お珍しい。図体のでかい犬コロはお連れでないのですか?」
「……毎回かならずあやつを連れて来るわけではない」
「なんとまあ不義理な乳兄弟ですねぇ」
「急用があって来たのだ。あやつが退がっていることもある」
「急用ねえ……」
ファルクの視線が抱えている本に向き、次いでナシェルの胸元へ向けられた。
「殿下……おそれながら、……なんと可愛らしい、」
最後の一言は独白か。ファルクは丸眼鏡を押し上げたその指で、ナシェルの胸元の釦に触れて来ようとする。
その眼の光と鼻息が、彼の高揚を物語っている。
「釦が上からひとつずつ全部ずれておりますぞ! お茶目ですね」
「なんだと……」
全て余に任せなさいと言った父に、言葉通り全て任せきったことをナシェルは後悔する。
のけ反るナシェルの胸元に手が伸びてくる。
「……触るな」
ナシェルは一歩引いて距離をとろうとした。しかし背後は書物庫の扉だ。それ以上さがることができない。
身の危険を感じて書物庫内に戻ろうとしたとき、分厚い扉が内側から開いて冥王が現れ、間一髪、ナシェルを抱きとめた。
“毒の公爵”は慌てて数歩の距離をとり、胸に手を当てて拝跪する。
「こ、これは陛下……」
「釦がどうしたと?」
「父上。ヴァルトリス公が『釦がずれている』と」
「おおそれは済まぬ……」
抗議を受けた王は苦笑しながら、ナシェルの上着のニ十個ほどもある釦を解き、時間をかけてゆっくりと嵌め直す。その間、ファルクは「楽にせよ」と声を掛けられることもないまま片膝をつき、じっと時の過ぎゆくのを待つ。
「……」
ナシェルは腰に手を当てて立ち、身嗜みには気をつけよといつも口酸っぱく言う王をしかつめらしく見つめた。王はナシェルのその表情の理由を悟りつつ、受け流すように優しく視線を合わせてくる。
「……公爵。これで良いと思うがな?」
たっぷり数分ののち王は、ナシェルを公爵の方に正対させた。声を掛けられたファルクが顔を上げてこちらを見る。ナシェルは、ついとそっぽを向いておいた。
「どうだ?」
「…… は。よ、よろしいかと存じます……」
双神の会話から、釦の位置を間違えたのが冥王であると理解したファルクは身を縮めて畏まっている。
そっぽを向いたナシェルの顎を、そのまま冥王が指で捉え、唇を重ねてきた。
「ん……」
臣下が見ている前だぞと、慌てて胸を押し返すも肩に手を回されて身動きがとれない。
ナシェルは畏まる公爵を窺い、彼が恐縮して視線を下げるのを確認してから王の舌に応じた。
――本当にこの男には色々な場面を見られているなぁ、と感ずる。こうしてファルクの目の前でナシェルにたびたび所有印付けするような王の行為は、過分に彼への『威圧』と『牽制』の意図が込められているのだろう。……裏を返せば、こうでもして分からせておかねば、隙あらばナシェルに痴漢めいた行為を働きかねぬ男なのだ。
……唇を存分に味わってからナシェルを解放した冥王は、そこで初めてファルクに「楽に致せ」と声を掛け立ち上がらせた。
「それで公爵、余に何か用であったかな」
冥王の声は低い。紅玉の瞳が、ファルクを正面から射貫く。
「は、いえ、……いえ偶然にも王子殿下をお見掛けいたしましたのでつい気安くお声を掛けさせて頂いたのみにございます。……まさか陛下がご一緒とは存じませず、とんだご無礼を」
「若い者同士、気安いのもよいと思ってこれまで特に咎めはせなんだが……」
王はナシェルの腰に手を回して己の側へ引き寄せ、冷ややかな口調で続けた。
「これより先はナシェルに対しては、余と同格の主君と認識せよ。これは世継ぎであると同時に余と同等の神司を持つ半身だ。余に対して謙るようにこれに対しても礼節を持って遇せ。歯を見せながら近づいたり、ましてや許しもなく体に触れようとするなど言語道断ぞ」
「はっ……、も、申し訳ございませぬ」
「それから訊くが、以前そなたが描き溜めておった王子の肖像画の類はどうなった?」
「………」
ファルクはぎくりと身を竦ませる。
「……臣の屋敷にて全て大切に保管してございます。殿下のご尊顔を写した絵画を粗末に扱うことはあり得ませぬ」
「余が確認したのち処分するゆえ一枚残らず全てまとめておけ。数日内に使いを遣る。
これ以降、下描き一枚でも隠し持っていることが発覚した場合には、公爵位を剥奪し領地を召し上げるゆえそのつもりで計らえよ。余に許しを得ぬまま新しい肖像画を描くのも禁ずる」
「ご、……」
ご勘弁を、と思わず言いたかったのだろう。しかし冥王の冷たい視線を受けてファルクは言葉を呑み、了承の意を込めて一礼した。
消沈したファルクがふらふらと跪礼するのを見届け、ナシェルはすっきりした気分で冥王の後を追う。
「……助かりました。あの男、本当に痴漢行為ばかりで困ってたんです」
腕を取りにいくと、冥王はやや不機嫌の名残りを残す眼差しを向けてきた。
「そなたも良くない。隙を見せるから不用意に近づかれるのだよ」
「隙など全く見せたつもりはありませぬ。体の隅々まで警戒心のかたまりで。本当に」
「ナシェル……そなた呑気だね、数日後にはあやつの描いた自分の裸体画を余の眼で一枚一枚確認される羽目になるというのに?」
「!?……どうかご翻意を父上……お願いです。ほんと、もういい子にするので……」
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