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番外編
水晶の夢
しおりを挟む吐く息も白く凍りつきそうな、とある寒い宵だった。ナシェルは冥王宮の窓辺に座り、卓上のひとつの宝物と向かい合っていた。
手の平に収まらぬほどの大きさの円い珠は、亡き異母弟の遺品。
つい最近まで内殿にある宝物庫の一つに収蔵されていたものだ。
――あれから何百年か経ち、すっかり異母弟の名を口に上せるものはいなくなった。
異母弟は今でも王の第二子として霊廟に祀られている。表現に正確さを期すれば彼は完全に死んだわけではなく、魂を体の中に残したまま封印されている状態といってもよい。その魂は肉体とともに氷でできた棺のなかにあり、半永久的に眠り続けているのだ。
それが、罪を犯した者に与えられた王からの罰だった。
異母弟エベールの遺した水晶は、時おりナシェルを手招いた。
いやこれも正しい表現ではないが、ナシェルは宝物庫のそばを通るとき、よくその水晶のことを思い出した。壁越しに呼びかけられているような気がしていたのだ。もしかすると水晶は自我を持ち、そこから抜け出す方法としてナシェルに念を送っていたのかもしれない。
とうとうあるときナシェルは、宝物庫にて布の覆いをかけられていた水晶を見つけ出し、こっそり持ち出して、自室の窓辺にて対話を試みたのだった。
水晶は、遠く離れた物事や未来のできごとなど、持ち主の願望に合わせてさまざまな風景を映し出す。
ナシェルは尋ねてみた。水晶よ、おまえにもしも私の異母弟エベールの思念が残っているなら教えてくれ。かれの本心はどこにあったのか。
水晶はぼうと暗く輝き、その禍々しい光の中にたちまち答えを映し出した。
一面の森を見下ろす崖の上にて、轡を並べているのは王と、ナシェル、そして異母弟エベールの三人だった。
ナシェルと親しげに会話を交わし、王と視線を送りあい、エベールは馬の腹を蹴って森へ入ってゆく。そのあとをナシェルが追う。王も続く。狼狩りに来た親子三人の、ごく自然な光景だ。
(ああそうか。
そなたはこうして普通の父子のように王と、そして対等な兄弟として私と接したかったのか……。
だが、私たちとの間に壁を作ったのはそなたの方ではなかったか)
ナシェルは過去に想いを馳せた。とうとう相容れなかった異母弟だが、彼が幼い頃はナシェルが何かと目をかけてやっていた。なにかと軽視されがちな異母弟を、率先して手招きし袂の内に迎え入れていたのだ。
いつしか壁が出来上がっていったのは、エベールのほうから距離を置き始めたからではなかったか。
すると水晶は、ナシェル自身の姿を映し出した。
エベールの視点で映し出された(つまり少し下から見上げた)自分の顔に浮かんでいたのは、優しさと憐れみの入り混じった表情だった。
ナシェルは自分の態度を振り返り、愧じた。長年、弟のことを最も近い立場で思いやっていたつもりでいたが、それこそが己の傲慢さの表れであった。自分の立場からエベールの感情を本当に理解することなど不可能だったのだ。いずれ王となることが約束された自分と、臣下とさして変わらぬ身分である異母弟とでは、理解し合うには違いすぎた。
つまり己の言動は、分かったふりの自己満足に過ぎなかった。
自分が異母弟を見るとき浮かべていた表情そのものが、彼が離れた原因なのだとナシェルは理解した。
それでも、その異母兄と入れ替わり、自身が王の後継となることを企図したエベールは大罪人であることに変わりはない。それほどにこの兄が憎かったか。
さきほど水晶が見せた、仲睦まじく馬に乗る三人の様子。あれもエベールが心底欲していた未来に違いない。だが同じ重さで、彼はナシェルの立場を奪い取ることにも固執した。
さてどちらが本来の彼であったのか。
ナシェルは水晶を遮るように卓に顔を伏せ、目を閉じた。
額を置いた手首に、長い睫毛が震えて当たる。哀しみと自責の念からか、何度か溜息が漏れた。
誰かが私の立場を代わってくれるなら、と思ったことも何度かある。
全てを捨てて逃れたいと思ったことも数知れず。王の教えは重く、呪いのように自分を束縛していたから。そして王はまだ少年だったナシェルから尊厳を奪い、代わりに神の力という甘く退廃的な権利を押しつけた。意味が分かるようになったころにはもう後戻りできないほど堕落させられていて、あとで抗議しても全く無駄だった。王にとっては神の力それこそが何よりも重要なものだったから、ナシェルが「くだらないものばかり授けてないで私の子供時代を返せ、自由をよこせ」といくら罵っても通じなかった。
あのころは捨てたいと思っていた権利だが、不思議とナシェルは異母弟に対して己の立場をゆずることは、全く考えもつかなかった。
彼には務まらぬと思っていた? 彼が半魔だったからか。いや、私は――ああして王に反目しつつも、王の重すぎる期待と愛を、自分のみの既得権と捉えていたからだろう。
つまり『捨てたい』という想いすらも、私が自分自身についていた嘘だということか。
三界の一つを譲られることを約束されて、私は気づかぬうちに驕りを抱いていたのだ。
異母弟に対してさえ。
いや違う……、ならば私はどうすればよかったのか? 抗えぬ運命を押しつけられて、あの神司にすっかり中毒にされていたというのに。純血の神でなくばその荷が背負えるはずがない。
何者たりとも私の代わりを務めることはできない。私が生まれてからこのかた、王が執着しているのはこの世界で“王の後継である私”、たった一人だけなのだから。
いつしか眠ってしまっていたようだ。
夢の中ではルーシェルミアが大きくなっていて、不様に倒れ伏す自分を見下ろして微笑んでくる。手を差し伸べてくる。
ルゥ、やっと帰って来たのかと声を出しながら飛び起きると、そこはまだ自室の窓辺だった。
「……」
ナシェルは半分突っ伏したまま髪を掻きあげた。違和感には気づいていた。
なるほど、こちらの見たい夢を見せてくる水晶か……。おそらく使用を続ければ何らかの反動がくるだろう。もしかしたら異母弟はこの水晶玉に、私と入れ替わることを繰り返し唆されたのかもしれない……。
足元に小竜が寄ってくる。小竜を抱き上げて水晶を見せてみた。
「この珠はな、見たい未来を見せてくれるそうだ。お前の目からは、この水晶の中に何が見えるのだろうな?」
小竜ディルムトは興奮したように水晶を舐め上げた。食い物でも映っているのだろうか。
やがて乳兄弟が部屋に入ってきて水晶玉を見るなり言った。
「うわっ、なんてもの見てるのぉ。エロいなあ!」
「黙れ。お前の目には何が映っているんだ? …いや、やっぱり言うな。聞きたくない」
ナシェルは水晶玉にサッと布をかぶせて乳兄弟から遮断した。
「え~ひとり占め? ずるいぞ」
「あのな。私が見ていたものはお前のとは違う。これは見る者の願望を見せるんだ。ただし、見続けると反動がくる。力の弱い魔族ならあっという間に取り込まれるぞ。廃人になってもいいならお前にくれてやるが」
「え、要らねーよそんなあやしいもの。てか、どっかでその玉見たことあるな?」
「忘れたなら、そのまま忘れていたほうがいい。で、何の用だ」
「何の用って、今日は夜会に出る約束だったろ。そろそろ始まるから迎えにきたんだけど。早くいこうぜ」
「そうだった。うーん面倒だが、主催がヴェルゼブル公なら出ないわけにもいかぬか……仕方ない」
二人が出かけてしばらく後、王宮の、ナシェルの部屋の窓辺には冥王の姿がある。
王は布の覆いをかけられたままの水晶玉を見下ろし冷ややかに述べた。
「珍奇な水晶めが。太古の昔からそうやって見る者の心を惑わせてきたのだろう。エベールの心をも操ったか? だが神の心を操ることはできぬぞ」
王は布の覆いごと、水晶玉を片手でつかみ目の高さまで持ち上げた。
「どれだけ甘美な夢を見せると知っていようが、余はそなたを覗きたいと思わぬ。そなたの誘いには乗らぬ。宝物のように扱われてきて己の分際を忘れたな? 余が手を離せばそなたは今ここで粉々に砕けて散るのだぞ」
水晶玉は布の覆いの下でものも言わず、ただの玻璃玉のふりをした。
「エベールでしくじったから意趣返しのつもりか? 今後一切ナシェルに近づくな。かれを手招きしてはならぬ。声なき声をかけてはならぬ。夢を見せてはならぬ、過去も、未来の夢もだ」
王は厳かに言うと水晶玉の力を半分以上封じ込め、台座の上に覆布ごと戻した。水晶玉はそれまで、覗き込んでみたくなるような魅力にあふれていると自負していたが、王は凛然として一切靡かず、最後まで直に目もくれなかった。
水晶玉は半分以上の力を奪われ、それ以来、誰が覗き込んでも意味のある物事は何も映さなくなったという。
ナシェルもすぐに興味を失い、それを宝物庫に戻した。
その水晶玉はただ第二王子の遺物として、今も冥王宮の宝物庫の片隅に眠っていると思われる。
水晶の夢 <了>
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