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新生活
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「ここです」
運転手が車を停めると同時に、ばあやが薫子にそう言った。不安に襲われながら俯いていた薫子が顔を上げ、窓に映る景色を見た途端、ハッと息を呑んだ。
「ここ、は......」
そう言うと、自ら車のドアを開けて降りた。暗くてはっきりとは見えないが、それは薫子の遠い朧げな記憶にあるものと一致した。
古い鉄筋造りの二階建てアパート。建てられた当初には白かったであろう壁は、薫子の知る当時よりも更に黒ずみ、各アパートの扉には収納スペースが十分確保されていない為か、自転車やバイクだけでなく、ダンボール箱が積まれていたり、青いビニールシートが被せられていたりした。
ここ......お祖父様とお祖母様が住んでいらした、アパートだ。
華子とばあやに連れられ、数える程しか来たことはなかったが、それでも薫子の中に鮮烈な記憶として残っていた。
薫子を優しく、温かく迎え入れてくれた祖父母。
そして、祖父母といる時は嬉しそうに寛いだ表情を見せていた母。
祖父母の家で過ごす時、薫子は『本当の家族』に囲まれている気がした。
別れる時は、祖父母は寂しげな顔を薫子に向けると共に、母に対しては申し訳なさそうな顔を浮かべていた。そんな彼らの表情も、薫子は忘れられずにいた。
祖父母が亡くなった後は、ここに来ることは一度もなかった。彼らの死は母にとって相当ショックだったらしく、暫くの間塞ぎ込んでいたため、幼かった薫子には、母に尋ねることなど出来なかった。屋敷の者やばあやでさえも、母の旧家、梅小路家のことについての話は禁止というのが暗黙の了解となっていた為、誰も何も話してはくれなかった。
薫子は自分の中で、屋敷の者が祖父母の持ち物を全て処分し、アパートには新たな住人が住んでいるか、古い建物であった為、もう取り壊されてマンションでも建てられているのだろうと、そう思っていた。
ばあやがゆっくりと車から降り、薫子の横に建つと、彼女と共にアパートを見つめた。
「このアパートは、先代の旦那様と奥様が暮らしていた場所。私はこのアパートを、おふたりが亡くなった後買い取り、ずっと管理しているんですよ」
「ばあ、やが......?」
今まで聞いたこともなかった話に、薫子は驚きながらばあやに振り向いた。
時々ばあやがひとりで出かけることは知っていたが、買い物にでも出かけているのだろうと思っていた。まさか祖父母の部屋だけでなくアパートの建物自体を買い取り、その管理人にまでなっているとは思いもしなかった。
「さ、詳しい話は中に入ってからです。こんなに寒い中、夜風に当たっていたらお躰に障ります」
ばあやはテキパキと運転手に指示を出し、トランクの中の荷物を部屋まで運ばせた。先ほどまで土下座し、涙ながらに語っていた女性と同一人物とはとても思えなかった。
薫子は、ばあやに迷惑をかけて申し訳ないと思いつつも、彼女がいてくれて良かったと思った。
ばあやから母と悠の父親の駆け落ちを阻止したと告白されたことはショックであったし、今でも心の中にもやもやとしたわだかまりがあるのは事実だ。けれど......だからこそ薫子は、ばあやが母と自分を深く愛しているのだと知ることも出来た。
ばあやは家を出る決意をした自分を心配して、長年奉公してきた櫻井家を、そして母を残してまで一緒に家を離れる決断をしてくれた。滞在先の問題だけではなく、精神的にも、ばあやがいることにより薫子は救われていた。
ばあや、本当にありがとう......
背中に向かってそう心の中で呼び掛けた薫子の声が届いたのか、ばあやが振り向いた。
「お嬢様、こちらですよ」
アパートの扉の前で手を振る彼女に応え、薫子は足を踏み出した。
運転手が車を停めると同時に、ばあやが薫子にそう言った。不安に襲われながら俯いていた薫子が顔を上げ、窓に映る景色を見た途端、ハッと息を呑んだ。
「ここ、は......」
そう言うと、自ら車のドアを開けて降りた。暗くてはっきりとは見えないが、それは薫子の遠い朧げな記憶にあるものと一致した。
古い鉄筋造りの二階建てアパート。建てられた当初には白かったであろう壁は、薫子の知る当時よりも更に黒ずみ、各アパートの扉には収納スペースが十分確保されていない為か、自転車やバイクだけでなく、ダンボール箱が積まれていたり、青いビニールシートが被せられていたりした。
ここ......お祖父様とお祖母様が住んでいらした、アパートだ。
華子とばあやに連れられ、数える程しか来たことはなかったが、それでも薫子の中に鮮烈な記憶として残っていた。
薫子を優しく、温かく迎え入れてくれた祖父母。
そして、祖父母といる時は嬉しそうに寛いだ表情を見せていた母。
祖父母の家で過ごす時、薫子は『本当の家族』に囲まれている気がした。
別れる時は、祖父母は寂しげな顔を薫子に向けると共に、母に対しては申し訳なさそうな顔を浮かべていた。そんな彼らの表情も、薫子は忘れられずにいた。
祖父母が亡くなった後は、ここに来ることは一度もなかった。彼らの死は母にとって相当ショックだったらしく、暫くの間塞ぎ込んでいたため、幼かった薫子には、母に尋ねることなど出来なかった。屋敷の者やばあやでさえも、母の旧家、梅小路家のことについての話は禁止というのが暗黙の了解となっていた為、誰も何も話してはくれなかった。
薫子は自分の中で、屋敷の者が祖父母の持ち物を全て処分し、アパートには新たな住人が住んでいるか、古い建物であった為、もう取り壊されてマンションでも建てられているのだろうと、そう思っていた。
ばあやがゆっくりと車から降り、薫子の横に建つと、彼女と共にアパートを見つめた。
「このアパートは、先代の旦那様と奥様が暮らしていた場所。私はこのアパートを、おふたりが亡くなった後買い取り、ずっと管理しているんですよ」
「ばあ、やが......?」
今まで聞いたこともなかった話に、薫子は驚きながらばあやに振り向いた。
時々ばあやがひとりで出かけることは知っていたが、買い物にでも出かけているのだろうと思っていた。まさか祖父母の部屋だけでなくアパートの建物自体を買い取り、その管理人にまでなっているとは思いもしなかった。
「さ、詳しい話は中に入ってからです。こんなに寒い中、夜風に当たっていたらお躰に障ります」
ばあやはテキパキと運転手に指示を出し、トランクの中の荷物を部屋まで運ばせた。先ほどまで土下座し、涙ながらに語っていた女性と同一人物とはとても思えなかった。
薫子は、ばあやに迷惑をかけて申し訳ないと思いつつも、彼女がいてくれて良かったと思った。
ばあやから母と悠の父親の駆け落ちを阻止したと告白されたことはショックであったし、今でも心の中にもやもやとしたわだかまりがあるのは事実だ。けれど......だからこそ薫子は、ばあやが母と自分を深く愛しているのだと知ることも出来た。
ばあやは家を出る決意をした自分を心配して、長年奉公してきた櫻井家を、そして母を残してまで一緒に家を離れる決断をしてくれた。滞在先の問題だけではなく、精神的にも、ばあやがいることにより薫子は救われていた。
ばあや、本当にありがとう......
背中に向かってそう心の中で呼び掛けた薫子の声が届いたのか、ばあやが振り向いた。
「お嬢様、こちらですよ」
アパートの扉の前で手を振る彼女に応え、薫子は足を踏み出した。
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