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不意打ち

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 秀一さんが、自分に絶望って......
 私をウィーンに連れて行けなかったからってこと!?

 混乱する美姫の頬を、秀一が撫でた。

「言ったでしょう、美姫。貴女は私の『光』だと。貴女は私にとって何よりも大切な、自分の命よりも大切な存在だったのです。
  
 それなのに、私は......貴女を、自らの手でその光を消そうとした。そんな自分に、絶望したのです」

 美姫は自分の耳を疑いたくなった。

 秀一さんが、そんな風に感じていたなんて......

 礼音にあれほどの凄惨な仕打ちをし、遠沢を死に追いやることすら何とも思わなかった冷酷非情な一面をもつ秀一が、自分の首に手を掛けてしまったことにそれ程までに打ちのめされていたなんて考えもしなかった。

 山荘での、秀一さんの言葉......

『私が愛しい美姫を手に掛けるなど、出来るはずないでしょう?
 貴女は私の唯一の光。その光を失うことなど、耐えられません』

 秀一さんは、私に手を掛けることはしなかった。

『私は、貴女と共に生きていきたい。
 どんな苦境にあっても、貴女さえいれば......私は、幸せでいられるのです』

 私に心中を諦めさせるために、言っているのだと思っていた。それほどに秀一さんが生に執着があるからだと。 

 本当は、自分自身への生ではなく。私が生きていることへの生の執着だったんだ。
 だからこそ、私に手をかけてしまった秀一さんのショックは、とてつもなく重く、大きいものだったんだ......

「私は、自分の行動を信じられず、許せませんでした。そして、美姫にもう顔を合わすことなど叶わないと思ったのです......
 私は生きる屍となっていました。貴女からの、手紙を読むまでは......」

 美姫は、ハッと秀一を見つめた。

 私、からの手紙。

「貴女の手紙を読み、ザルツブルク音楽祭に出演し、成功させることこそが貴女への贖罪になると思いました。それだけが、私の目標となったのです。完璧なパフォーマンスを届けたいという一心で、私は日夜ピアノに向かい、弾き続けました。

 そして......ザルツブルク音楽祭で、私の思いの集大成を演奏にぶつけました」

 秀一はグラスを傾け、一息吐いた。

「貴女への贖罪の為だけに出演したザルツブルク音楽祭でしたが、そこでの演奏は私に忘れかけていたピアニストしての喜びを思い出させてくれました。
 ピアノを弾いている時の緊張感と興奮、そして高揚。オケと重なり合うことで生まれるダイナミックで躍動感溢れる旋律。焼き付けるように熱いスポットライトの光。聴衆の大歓声と拍手と熱気......
 懐かしい感触に私は興奮し、一時期はピアニストしての復帰を真剣に考えました。

 それが、美姫の願いでもあると知っていたので、叶えたいとも思っていました......」

 秀一は長い指で顎を包み込むようにして、肘を肘掛けにのせた。影を帯びたその表情は、ゾクリとするほど美しい。

「『世界に誇るピアニスト』を目指し、私はオファーされた仕事を次々に引き受けました。
 けれど暫くするうちに、私の中の熱がどんどん引いていくのを感じました。ザルツ音楽祭の時には明確な目標があったのに、漠然としたゴールを定めた時、私はそれに向かえなくなっていたのです。
  
 貴女が羽鳥大和と結婚し、財閥の為に活躍する様子は、どこにいようと耳に入ってきました。
 この苦しい想いは、決して報われることはない。これから先、どれだけ私がピアニストとして活躍しても、貴女を手に入れることは出来ないのだと思い知らされました。

 ピアニストとして活動する事が、ピアノを弾くことが苦しくなっていました。そんな想いを振り切ろうと仕事に打ち込んでも、思い浮かぶのは貴女のことばかり。ここにいる限り、私は貴女がいる世界と断ち切ることは出来ない。貴女のいない世界に逃げ出したいと、考えるようになりました」

 それから、いったん沈黙が訪れ、意を決したかのように秀一が口を開いた。

「そんな時、Desire Islandの存在を知りました。メディアからも俗世からも切り離された、ただ人間の欲望を満たしてくれる世界。貴女のことを目にすることも耳にすることもない、そんな世界。
 なんの目的も失った私には、まさにぴったりの場所でした。私は、ただ何も考えず流されながら過ごしました。

 そこで例え朽ち果てても構わない、そう思っていました」

 そこでの秀一の生活を思い描き、美姫の胸がキリキリと痛んだ。

「レナードが......Desire Islandから、救い出してくれたんですか」

 美姫は秀一を見捨て、レナードは彼を助けに行った。レナードの説得と献身的な働きかけにより、秀一はここまで復帰したのだろうと思うと、それが自分の犯した罪であることを知りながらも苦しくて仕方なかった。

 秀一は、美姫を見つめた。

「貴女、ですよ」
「え、私......?」

 私は、秀一さんを迎えに行こうとして、引き返したのに......

「美姫以外に私を動かすことの出来る人間などいません。
 貴女が私を、現実の世界へ引き戻してくれたのですよ」
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