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SS5 「初めてのバレンタイン」

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 覚えたての言葉を得意げに答える美姫に、間違いは指摘せず、さりげなく誘導することにした。

「あぁ、今日はバレンタインですか。すっかり忘れてました」
「じゃーーーーん!!! ねぇねぇしゅーちゃん、あけて!あけて!」

 ようやくこの時が来たと美姫は効果音を口に出しながら、後手に隠していた袋を秀一の目の前に見せつけた。

「これを、私に?ですか?」

 驚いた顔をしてみせる秀一に、美姫はますます得意そうだ。

「えへへ......わたしが、つくったんだよ!」

 秀一は袋を受け取ると、丁寧に開き、そこから中身を取り出した。四角い箱のリボンを解くと、ハートの形をした大きなチョコレートが入っている。

 白いチョコペンで「しゅーさゃん、だいすき」と 、「ち」が鏡文字で「さ」になっており、前後の文字を読んでかろうじて書いてある意味のわかるメッセージが書かれていた。

「ふふふ、さわさんにおてつだいしてもらってつくったのー」

 それを聞き、自宅のキッチンに踏み台を持ち込んで、家政婦の佐和と共にチョコレート作りに励む美姫の姿が容易に想像できた。

 チョコレートを作る姿は、可愛かったのでしょうね。

 自分のために一生懸命作ってくれたのだと思うと、嬉しかった。

「ありがとうございます。大切に、食べますね」

 秀一はそう言って、美姫の頭を撫でた。

「ねえ、たべて!たべて!」

 美姫は、今すぐに食べてもらいたくて仕方がないらしかった。朝からチョコレートを食べる気分ではないのだが、可愛い姪の頼みであれば断れない。

「じゃ、ひとくちだけ、戴きますね」

 美姫の頬が、興奮で紅潮する。
 
 秀一はソファに座ったが、美姫は落ち着かないのか隣には座らず、立ったまま秀一の一挙手一投足を固唾を飲んで見つめる。

 秀一がチョコレートを手でパキンと割り、その欠片を口に運ぶ。舌の温度でチョコレートが溶けて甘さとカカオの香りが口いっぱいに広がり、鼻腔を刺激した。

「どーお?」

 美姫が、不安そうに秀一に尋ねる。

「とても美味しいですよ......こんなに美味しいチョコレートは、初めて食べました」

 それは、お世辞などではなかった。幼い美姫が自分の為に作ってくれたチョコレートだと思うと、どんな高級ショコラ店のチョコレートよりも美味に思えた。

「わぁー、よかったぁ!!」

 美姫は嬉しさを身体で表現するかのように、ぴょんぴょん飛び跳ねた。

「美姫も、食べてみますか?」

 秀一の言葉に、美姫はぶんぶんと首を振る。

「だーめ! これは、しゅーちゃんのためにつくったんだから、しゅーちゃんがぜーんぶたべないとだめなの!」

 力を込めて言う美姫に、秀一は「そうですか...」と引き下がった。

「では代わりに、お礼をさせて下さい」
「おれい?なんかくれるの?」

 首を横に傾げる美姫に、秀一はフッと笑みを溢した。

「チョコレートの曲を美姫にあげましょう」

 美姫の瞳が輝き、手が胸の前で重なる。

「チョコレートのおうたぁ? ききたーい!」

 美姫は早速ピアノの長椅子の端にちょこんと座った。秀一がピアノを弾く時の特等席だ。

 秀一は書棚からピアノの楽譜本を眺め、一冊を取り出すと譜面台に置き、美姫の横に座った。まだ冷気を含む強張った手を丹念にマッサージし、少し指慣らしをする。

 それをじっと見つめていた美姫に、秀一は笑みを見せた。

「『アーモンド入りチョコレートのワルツ』ですよ」

 「音楽界の異端児」とも称されたエリック・アルフレッド・レスリ・サティが作曲した「童話音楽の献立表」の第3曲目が「アーモンド入りチョコレートのワルツ」だ。小さな子どもでも弾けるようにと作曲されており、黒鍵なしの白鍵の上に両手をおけば、指をかえずに、そのまま弾くことができる。

 まるで夢の中にいるような、なんとも不思議な世界に誘われそうになると、あっという間に曲は終わってしまった。

「えぇー、もぉおわりー?」

 不満そうな美姫の表情に秀一は微笑むと、時計を指差した。

「ほら、もう学校に行く時間ですよ」

 秀一はピアノ椅子から立ち上がると、テーブルに置いてあったチョコレートを冷蔵庫に入れた。

「では、行きましょうか」
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