68 / 498
64.兄と妹
しおりを挟む
美羽は高校3年から隼斗の働くカフェでバイトしていて、結婚してからいったん専業主婦に戻ったものの、半年ほど前から再び週に2回ほど働かせてもらっていた。夫の関係が冷め切ってからは、ここが最も癒される場となっている。
もしあのまま専業主婦を続けていたらと思うと、ゾッとする。
美羽が働き始めた当時、隼斗は雇われ店長だったが、その後オーナーから店の権利を買い取り、今は自分の店として経営している。
いつか自分のカフェを持ちたいと話していたその夢を叶えた隼斗を、美羽は兄として、ひとりの人間として尊敬していた。
「おはようございます」
裏口から入っていくと、隼斗は厨房で鶏肉を捌いている最中だった。節くれだった男らしい人指し指には、針で縫った痕が生々しく残っている。それを見る度に、美羽の胸は罪悪感でいっぱいになる。
「あぁ、おはよう」
隼斗が包丁を持つ手を止め、笑顔で振り返った。
毛髪落下防止ネットの付いたふんわりとしたブラウンのハンチングを被り、白に黒のパイピングの入ったスタイリッシュなコックコートに身を包み、足さばきのいいスリットの入った揮発性に優れたハンチングと同じ色のロングエプロンは、大柄で背の高い隼斗をより大きく見せていた。
面長の顔立ちに男らしい少し太めの眉、精悍な一重の涼しげな双眸に薄い唇は一見冷たそうに見えるが、笑うと驚くほどに人懐っこく表情が変わる。
出会った当時は眉ひとつピクリとも動かさない無表情だった隼斗が、今ではすっかり美羽に心を開いてくれていることが嬉しい反面、自分は完全に心を開けずにいることに心苦しさを覚えた。
「浩平くんは?」
「じゃがいも切らしてたのに気づいて、吉永さんとこの畑に行ってもらってる」
隼斗の経営するカフェ『Lieu de detente 』は、フランス語で『くつろげる場所』を意味している。
以前はよくあるおしゃれなカフェでしかなかったが、隼斗がオーナーとなってからは地元の食材を中心とした軽食とデザート、本格的なコーヒーと紅茶を提供するカフェに変貌し、口コミでじわじわと人気が上がり、安定した客数を獲得していた。地方グルメ誌に紹介されてからは、遠方からわざわざ訪ねてくる客もあるほどだ。
地元との繋がりを大切にする隼斗は農家を一軒一軒自分の足で回り、野菜だけでなく、卵や鶏肉、豚肉等も農家ごとに契約していた。特に野菜は気候によって左右されるので仕入れ値が安定せず大変だが、それでもなんとか上手くやりくりしているようだった。
浩平はそんな隼斗の元で雇われ店長だったから厨房に入っていて、師匠と弟子といった関係が続いている。職人気質な隼斗に対して浩平は社交性があって明るく、時にはウェイターもこなす。浩平の存在は大きかった。
「これ、頼まれてたものとお土産のチョコレート」
美羽は肩に掛けていたショッピングバッグを外すと、調理台の使われていないスペースにドンッと置いた。さっきまでの重さから解放され、肩がヒリヒリした。
「悪かったな。重たかっただろう、送ってくれれば良かったのに」
「うん。でも運べるぐらいの量だったし、早く渡したかったから」
「そうか」
隼斗は早速手を洗い、袋から荷物を取り出した。そこには隼斗から頼まれて購入したコーヒーや茶葉、調味料、クリスマス用のデコレーショングッズなんかが入っていた。
「アメリカはどうだった?
……って、遊びに行ったんじゃないよな。お父さんのこと、残念だったな」
隼斗は急に気まづそうな表情を浮かべ、美羽を慰めるような視線を向けた。
美羽自身、あまりにも類のことが衝撃的で、父の葬儀のためにアメリカに行ったことを忘れかけていた。ドクドクと心臓が嫌な音をたてる。
「そ、そう……お父さんとは、一緒に過ごした時間は短かったけど……やっぱり亡くなったのが寂しくて。でも、葬儀に行けて良かった。
隼斗兄さん、突然の申し出だったのに、休ませてくれてありがとう。カフェ、忙しかったんじゃない?」
「美羽がいなくて、てんてこまいだったよ」
「ご、ごめんなさい……」
萎縮した美羽に隼斗はハハッと笑い、ポンポンと肩を叩いた。
「冗談だ。ツレに声かけて手伝ってもらってたし、うまく回してたよ」
「ごめんね、お友達にまで迷惑かけて」
「そんな心配しなくても大丈夫だ。久しぶりに会って店終わった後に飲んだり出来たから、良かった。たまにはこういうのも必要だな。皿を割られたのは痛かったが」
「わっ、そうなんだ……」
隼斗兄さんがこだわって選んだお皿だったのに……
「うちは高級ブランドの皿を扱ってるわけでよないし、いいさ。
アメリカには、義昭くんも同行したんだな。優しい旦那で良かったな」
義昭のことを言われ、美羽はビクッと小さく肩を震わせた。
もしあのまま専業主婦を続けていたらと思うと、ゾッとする。
美羽が働き始めた当時、隼斗は雇われ店長だったが、その後オーナーから店の権利を買い取り、今は自分の店として経営している。
いつか自分のカフェを持ちたいと話していたその夢を叶えた隼斗を、美羽は兄として、ひとりの人間として尊敬していた。
「おはようございます」
裏口から入っていくと、隼斗は厨房で鶏肉を捌いている最中だった。節くれだった男らしい人指し指には、針で縫った痕が生々しく残っている。それを見る度に、美羽の胸は罪悪感でいっぱいになる。
「あぁ、おはよう」
隼斗が包丁を持つ手を止め、笑顔で振り返った。
毛髪落下防止ネットの付いたふんわりとしたブラウンのハンチングを被り、白に黒のパイピングの入ったスタイリッシュなコックコートに身を包み、足さばきのいいスリットの入った揮発性に優れたハンチングと同じ色のロングエプロンは、大柄で背の高い隼斗をより大きく見せていた。
面長の顔立ちに男らしい少し太めの眉、精悍な一重の涼しげな双眸に薄い唇は一見冷たそうに見えるが、笑うと驚くほどに人懐っこく表情が変わる。
出会った当時は眉ひとつピクリとも動かさない無表情だった隼斗が、今ではすっかり美羽に心を開いてくれていることが嬉しい反面、自分は完全に心を開けずにいることに心苦しさを覚えた。
「浩平くんは?」
「じゃがいも切らしてたのに気づいて、吉永さんとこの畑に行ってもらってる」
隼斗の経営するカフェ『Lieu de detente 』は、フランス語で『くつろげる場所』を意味している。
以前はよくあるおしゃれなカフェでしかなかったが、隼斗がオーナーとなってからは地元の食材を中心とした軽食とデザート、本格的なコーヒーと紅茶を提供するカフェに変貌し、口コミでじわじわと人気が上がり、安定した客数を獲得していた。地方グルメ誌に紹介されてからは、遠方からわざわざ訪ねてくる客もあるほどだ。
地元との繋がりを大切にする隼斗は農家を一軒一軒自分の足で回り、野菜だけでなく、卵や鶏肉、豚肉等も農家ごとに契約していた。特に野菜は気候によって左右されるので仕入れ値が安定せず大変だが、それでもなんとか上手くやりくりしているようだった。
浩平はそんな隼斗の元で雇われ店長だったから厨房に入っていて、師匠と弟子といった関係が続いている。職人気質な隼斗に対して浩平は社交性があって明るく、時にはウェイターもこなす。浩平の存在は大きかった。
「これ、頼まれてたものとお土産のチョコレート」
美羽は肩に掛けていたショッピングバッグを外すと、調理台の使われていないスペースにドンッと置いた。さっきまでの重さから解放され、肩がヒリヒリした。
「悪かったな。重たかっただろう、送ってくれれば良かったのに」
「うん。でも運べるぐらいの量だったし、早く渡したかったから」
「そうか」
隼斗は早速手を洗い、袋から荷物を取り出した。そこには隼斗から頼まれて購入したコーヒーや茶葉、調味料、クリスマス用のデコレーショングッズなんかが入っていた。
「アメリカはどうだった?
……って、遊びに行ったんじゃないよな。お父さんのこと、残念だったな」
隼斗は急に気まづそうな表情を浮かべ、美羽を慰めるような視線を向けた。
美羽自身、あまりにも類のことが衝撃的で、父の葬儀のためにアメリカに行ったことを忘れかけていた。ドクドクと心臓が嫌な音をたてる。
「そ、そう……お父さんとは、一緒に過ごした時間は短かったけど……やっぱり亡くなったのが寂しくて。でも、葬儀に行けて良かった。
隼斗兄さん、突然の申し出だったのに、休ませてくれてありがとう。カフェ、忙しかったんじゃない?」
「美羽がいなくて、てんてこまいだったよ」
「ご、ごめんなさい……」
萎縮した美羽に隼斗はハハッと笑い、ポンポンと肩を叩いた。
「冗談だ。ツレに声かけて手伝ってもらってたし、うまく回してたよ」
「ごめんね、お友達にまで迷惑かけて」
「そんな心配しなくても大丈夫だ。久しぶりに会って店終わった後に飲んだり出来たから、良かった。たまにはこういうのも必要だな。皿を割られたのは痛かったが」
「わっ、そうなんだ……」
隼斗兄さんがこだわって選んだお皿だったのに……
「うちは高級ブランドの皿を扱ってるわけでよないし、いいさ。
アメリカには、義昭くんも同行したんだな。優しい旦那で良かったな」
義昭のことを言われ、美羽はビクッと小さく肩を震わせた。
0
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる