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373.思い出のバレンタイン
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助手席に座ると、類との距離がいつもより近く感じる。けれど、なんだか照れ臭くて横を向くことが出来なかった。
マフラーに顔を埋めると、仄かな薔薇の香りに混じった類自身の甘く艶やかな匂いを感じ、泣きたい気分になる。
類が溢れそうな大きな瞳で美羽の顔を覗き込み、にっこりと首を傾げた。
「じゃ、いこっか?」
「お願い、します……」
ますます恥ずかしくなって熱くなる顔をマフラーで隠し、つい敬語になってしまった自分を可笑しく思う。浮かれていると、自覚していた。
カーオーディオから流れているのは、懐かしい邦楽。ふたりが学生だった頃に流行っていた曲が、自然とあの頃の思い出へと導き、鮮やかに蘇って映し出す。
愛する恋人を失った気持ちを歌った、この曲。大好きだったのに、類と離れてからは辛くて聞けなくなった。どうしても、歌詞と自分を重ねてしまうから。涙が溢れて、止まらなくなるから。
『どんなに想ったって 君は もういない』
分かってるのに、認めたくなくて。
行きたくても、行けなくて。
届かない想いを空に祈っても、遠すぎて。
ずっと、封印してた。耳を、塞いでた。
ーーそれを、こうして類の隣で再び聴くことになるなんて。
「……何度目かな」
信号で車が停まり、ふと類が呟いた。
「えっ?」
慌ててマフラーで涙を拭った美羽が、類の横顔を見つめると、彼の顔が美羽の正面へと向けられる。瑞々しい唇から甘さが溶け出す予感に、脊髄がビリリと痺れる。
「ミューと、バレンタインを過ごすのは」
それって……私からのチョコレートを期待、してるってこと?
美羽の心臓が、トクンと音を立てる。
信号が青になり、躰が僅かに前傾し、車が緩やかに走り出す。類の視線は逸れたものの、美羽の心は鷲掴みされたままだった。
『「ねえ、大好きな君へ」 笑わないで聞いてくれ』
ふたりで聴いた曲と共に、類の口から甘い思い出が語られる。
「いつもミューからもらったチョコ、分け合って食べたよね」
抗えない。思い出の波に攫われ、引き寄せられる。辛かった、苦しかった時代を飛び越え、甘さと幸福と情熱しかなかったあの頃に心が強く引き戻される。
「うん……」
「ミューさ、初めて手作りのチョコ作った時、湯煎にかける意味がわかんなくて、チョコを鍋に直接入れて焦がしてたよね。
フフッ、あれは、おかしかったなー」
「ちょっっ、やだっ! そんなこと覚えてなくていいからっ!!」
顔がボッと熱くなり、美羽はシートに深く身を縮こませた。
あれは美羽にとって、消し去りたい恥ずかしい過去だった。
小学3年生の時、どうしても類に手作りのチョコを渡したくて、図書館で本を借りてきた。世界で一番美味しいチョコレートを作って、類に喜んでもらうはずだったのに……できたのは、鍋にこびり付いた真っ黒焦げの、得体の知れない未知の物体だった。
慌てて換気扇を回し、焦げた鍋を隠した。それから、使った用具を全て洗って片付けて、何も作ってない風を装った。
自転車を走らせてチョコを買いに行き、類には市販のものを渡した。
それなのに……類は、『僕は、こっちがいい』と言って、美羽が隠していた鍋を見つけ、焦げたチョコを舐めた。それから無邪気に笑って、美羽にキスをしたのだった。
でも……あの時、類の唇から感じたのは、苦さだけじゃなかった。
苦味と甘味の混ざった濃厚なチョコレートの味が舌に蘇り、コクリとそれを飲み下す。
「中学ん時さ、靴箱に入ってたチョコを仕方なく持って帰ったら、怒って口きいてくれなかったよね。それで、気付いたらぜーんぶミューが食べちゃっててさ、ハハッ」
「だ、だって、類に食べてほしくなかったから……」
中学生になってから、モテ始めた類。1年の時は真正面から渡した生徒はことごとく玉砕したため、2年のバレンタインではせめて受け取ってほしいという気持ちから、大量のチョコレートが靴箱や机の中に入れられていた。
類としては捨てるつもりだったのが、教師から学校で捨てることはしないようにと言われ、仕方なく持って帰ってきたことも知っていた。
けれど、やっぱり類には、好きという想いが込められたチョコレートを食べてほしくなかった。本当は全てゴミ箱に捨てるつもりだったのだが、渡した女の子の気持ちを考えるとできなかった。
それでも類に食べてほしくない一心で、無理やりひとりで全部食べたのだった。
次の日、大量のニキビがおでこにできて、鏡の前で落ち込んだのを覚えてる。
必死に手で隠していたのに、類に手首を取られ、逃げられないように壁に押し付けられて、額に口付けされたのだった。
『嫉妬するミュー、ほんっと可愛い』
耳元に囁かれたあの言葉は、どんなチョコレートよりも甘く美羽を溶かした。
『泣き笑いと悲しみ喜びを 共に分かち合い 生きて行こう』
思い出と曲が混ざり合って胸を打たれ、感情が溢れ出す。
いつだって、一緒だった。
泣いて、笑って、悲しんで、喜んで……同じ感情を共有した。
いくつもの朝を迎えて、いくつもの夜を超えて。
ずっと……ずっとふたりで、愛を奏でていけると信じてた。
ふたりの思い出が眩しすぎて。
愛おしすぎて……胸が、痛い。心臓が、苦しい。
「あの時のミューとのキス、めちゃめちゃ甘かったな」
類、も……覚えてたんだ。
高鳴る鼓動が、止まらない。その甘い囁きに、蕩かされてしまう。
「ミューと、チョコ食べたその口でキスするのが好きだった。
舌に甘味が残ってて、チョコレートの匂いが充満してて、柔らかくて熱くて……蕩かされそうだった」
類の言葉に呼び覚まされる。
あの味が、匂いが、感触が、熱が……
忘れられるはずない。
あんなに甘くて幸せな時間。
ふたりの笑顔が溶け合い、交わったあの瞬間。
お互いの存在こそが、生きる意味だった。
「ねぇ」
車がデタントの駐車場に停止し、類の大きく魅惑的なダークブラウンの瞳がしっかりと美羽を捕らえる。
「今年のバレンタインは、どうなるかな」
鼓動が打ち震え、類の瞳から抜け出せない。
マフラーに顔を埋めると、仄かな薔薇の香りに混じった類自身の甘く艶やかな匂いを感じ、泣きたい気分になる。
類が溢れそうな大きな瞳で美羽の顔を覗き込み、にっこりと首を傾げた。
「じゃ、いこっか?」
「お願い、します……」
ますます恥ずかしくなって熱くなる顔をマフラーで隠し、つい敬語になってしまった自分を可笑しく思う。浮かれていると、自覚していた。
カーオーディオから流れているのは、懐かしい邦楽。ふたりが学生だった頃に流行っていた曲が、自然とあの頃の思い出へと導き、鮮やかに蘇って映し出す。
愛する恋人を失った気持ちを歌った、この曲。大好きだったのに、類と離れてからは辛くて聞けなくなった。どうしても、歌詞と自分を重ねてしまうから。涙が溢れて、止まらなくなるから。
『どんなに想ったって 君は もういない』
分かってるのに、認めたくなくて。
行きたくても、行けなくて。
届かない想いを空に祈っても、遠すぎて。
ずっと、封印してた。耳を、塞いでた。
ーーそれを、こうして類の隣で再び聴くことになるなんて。
「……何度目かな」
信号で車が停まり、ふと類が呟いた。
「えっ?」
慌ててマフラーで涙を拭った美羽が、類の横顔を見つめると、彼の顔が美羽の正面へと向けられる。瑞々しい唇から甘さが溶け出す予感に、脊髄がビリリと痺れる。
「ミューと、バレンタインを過ごすのは」
それって……私からのチョコレートを期待、してるってこと?
美羽の心臓が、トクンと音を立てる。
信号が青になり、躰が僅かに前傾し、車が緩やかに走り出す。類の視線は逸れたものの、美羽の心は鷲掴みされたままだった。
『「ねえ、大好きな君へ」 笑わないで聞いてくれ』
ふたりで聴いた曲と共に、類の口から甘い思い出が語られる。
「いつもミューからもらったチョコ、分け合って食べたよね」
抗えない。思い出の波に攫われ、引き寄せられる。辛かった、苦しかった時代を飛び越え、甘さと幸福と情熱しかなかったあの頃に心が強く引き戻される。
「うん……」
「ミューさ、初めて手作りのチョコ作った時、湯煎にかける意味がわかんなくて、チョコを鍋に直接入れて焦がしてたよね。
フフッ、あれは、おかしかったなー」
「ちょっっ、やだっ! そんなこと覚えてなくていいからっ!!」
顔がボッと熱くなり、美羽はシートに深く身を縮こませた。
あれは美羽にとって、消し去りたい恥ずかしい過去だった。
小学3年生の時、どうしても類に手作りのチョコを渡したくて、図書館で本を借りてきた。世界で一番美味しいチョコレートを作って、類に喜んでもらうはずだったのに……できたのは、鍋にこびり付いた真っ黒焦げの、得体の知れない未知の物体だった。
慌てて換気扇を回し、焦げた鍋を隠した。それから、使った用具を全て洗って片付けて、何も作ってない風を装った。
自転車を走らせてチョコを買いに行き、類には市販のものを渡した。
それなのに……類は、『僕は、こっちがいい』と言って、美羽が隠していた鍋を見つけ、焦げたチョコを舐めた。それから無邪気に笑って、美羽にキスをしたのだった。
でも……あの時、類の唇から感じたのは、苦さだけじゃなかった。
苦味と甘味の混ざった濃厚なチョコレートの味が舌に蘇り、コクリとそれを飲み下す。
「中学ん時さ、靴箱に入ってたチョコを仕方なく持って帰ったら、怒って口きいてくれなかったよね。それで、気付いたらぜーんぶミューが食べちゃっててさ、ハハッ」
「だ、だって、類に食べてほしくなかったから……」
中学生になってから、モテ始めた類。1年の時は真正面から渡した生徒はことごとく玉砕したため、2年のバレンタインではせめて受け取ってほしいという気持ちから、大量のチョコレートが靴箱や机の中に入れられていた。
類としては捨てるつもりだったのが、教師から学校で捨てることはしないようにと言われ、仕方なく持って帰ってきたことも知っていた。
けれど、やっぱり類には、好きという想いが込められたチョコレートを食べてほしくなかった。本当は全てゴミ箱に捨てるつもりだったのだが、渡した女の子の気持ちを考えるとできなかった。
それでも類に食べてほしくない一心で、無理やりひとりで全部食べたのだった。
次の日、大量のニキビがおでこにできて、鏡の前で落ち込んだのを覚えてる。
必死に手で隠していたのに、類に手首を取られ、逃げられないように壁に押し付けられて、額に口付けされたのだった。
『嫉妬するミュー、ほんっと可愛い』
耳元に囁かれたあの言葉は、どんなチョコレートよりも甘く美羽を溶かした。
『泣き笑いと悲しみ喜びを 共に分かち合い 生きて行こう』
思い出と曲が混ざり合って胸を打たれ、感情が溢れ出す。
いつだって、一緒だった。
泣いて、笑って、悲しんで、喜んで……同じ感情を共有した。
いくつもの朝を迎えて、いくつもの夜を超えて。
ずっと……ずっとふたりで、愛を奏でていけると信じてた。
ふたりの思い出が眩しすぎて。
愛おしすぎて……胸が、痛い。心臓が、苦しい。
「あの時のミューとのキス、めちゃめちゃ甘かったな」
類、も……覚えてたんだ。
高鳴る鼓動が、止まらない。その甘い囁きに、蕩かされてしまう。
「ミューと、チョコ食べたその口でキスするのが好きだった。
舌に甘味が残ってて、チョコレートの匂いが充満してて、柔らかくて熱くて……蕩かされそうだった」
類の言葉に呼び覚まされる。
あの味が、匂いが、感触が、熱が……
忘れられるはずない。
あんなに甘くて幸せな時間。
ふたりの笑顔が溶け合い、交わったあの瞬間。
お互いの存在こそが、生きる意味だった。
「ねぇ」
車がデタントの駐車場に停止し、類の大きく魅惑的なダークブラウンの瞳がしっかりと美羽を捕らえる。
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