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4.揺れる決意
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塵ひとつない清潔な部屋は、ハウスキーパーが週に3日来て掃除しているお陰だ。基本的に家事をしないステファンは、掃除、洗濯等の家事は全てハウスキーパーに任せ、食事は外で済ませることが殆どだった。
高級感を感じる重厚な家具や調度品には、ひとつひとつにステファンのこだわりが感じられる。海外に行くことが多いこともあり、そこでしか買えない高級調度品も数多くあった。
サラは以前に何度も遊びに来たことがあったが、6年ぶりということもあり、まるで初めて訪れたかのように落ち着かなかった。
広いリビングルームには、サラが幼い頃から馴染みのある漆黒の艶めくグランドピアノが存在感を放っていた。
「紅茶を入れてきますので、少しお待ち下さいね」
ステファンがキッチンへと消えて行く。
その後ろ姿を目で追いながら、サラは懐かしい空気を胸一杯に吸い込むことで心を落ち着かせようとしたが、逆に鼓動は高まるばかりだった。そわそわしながらソファから腰を上げ、グランドピアノへと近づく。
幼い頃、ステファン叔父様と並んで座り、ピアノを教えてもらいましたね……
甘く優しい記憶が蘇り、サラはピアノの鍵盤蓋を上げてカバーを外し、椅子に腰掛けた。
「懐かしいですね……昔はよくサラが隣に座って、一緒にピアノを弾いていましたね」
柔らかい声に振り返ると、ステファンが紅茶の載ったトレイをテーブルに置いた。
隣に腰掛けたステファンに、サラは少し甘えるようにお願いした。
「ステファン叔父様、何か弾いていただけませんか」
ステファンが、サラに優しく微笑む。
「そうですね。サラの誕生日祝いに一曲、プレゼントしましょうか」
サラを隣に座らせたまま 、ステファンがピアノを弾くために体制を整え、軽く指をマッサージする。サラは緊張した面持ちで、ステファンと同じく背筋を真っ直ぐに伸ばした。
ステファンの繊細で美しい指先が鍵盤に触れた途端、その指先から流れるように生み出される旋律。
この曲は、『エリーゼのために』……
誕生日に因んだ曲を弾くものだとばかりに思っていたサラは驚きつつも、その美しく切ない調べにたちまち魅入られた。
あまりにも有名な、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲『エリーゼのために』。一説には、ベートーヴェンが恋に落ちたテレーゼを想って作曲したと言われている。
貴族のテレーゼと知り合い、恋に落ちたベートーヴェン。しかし、彼は貴族ではないため、結婚することはもちろん、恋愛関係になることすら許されなかった。そんな、切なく苦しい想いから、この曲は生み出されたという。
これは、私の気持ちそのもの。
許されない関係と知りながら、ステファン叔父様を愛してしまった私の……
ステファンの指先から生まれるピアノの旋律がサラの心と共鳴し、脳裏に様々な思い出が蘇る。
叔父としてではなく、ひとりの男性としてステファンを意識し始めた頃。徐々に膨らんでいった恋心。突然、ステファンがウィーンに留学すると伝えたあの日。一時帰国した際に会いに行き、彼の恋人との仲を見せつけられ、泣きながら帰ったこともあった。何度も彼を諦めようともがき、苦しんできた。
サラの心がさざ波のごとく揺れ、それは次第に大きくなっていく。
どう、して。
どうして今、思い出してしまいますの……
もう、ステファン叔父様への想いを封印すると決めましたのに。
今日を最後に、私は彼を、好きな人としてではなく叔父として接しようと誓いましたのに。
諦めようと決意した途端、そんなサラの心を見透かし、弄ぶかのように、今日のステファンの態度は一変していた。
優しく話しかける声、そっと触れる指先、愛しさの籠った眼差し……そのひとつひとつに、サラは心を強く掻き乱されていた。
お願いです。これ以上、掻き乱さないで。
決意が揺らいでしまいますから……
夢をまだ見ていたいと、願ってしまいますから。
ステファンの横顔を見つめるサラの頬からは、いつしか涙が一筋零れていた。
高級感を感じる重厚な家具や調度品には、ひとつひとつにステファンのこだわりが感じられる。海外に行くことが多いこともあり、そこでしか買えない高級調度品も数多くあった。
サラは以前に何度も遊びに来たことがあったが、6年ぶりということもあり、まるで初めて訪れたかのように落ち着かなかった。
広いリビングルームには、サラが幼い頃から馴染みのある漆黒の艶めくグランドピアノが存在感を放っていた。
「紅茶を入れてきますので、少しお待ち下さいね」
ステファンがキッチンへと消えて行く。
その後ろ姿を目で追いながら、サラは懐かしい空気を胸一杯に吸い込むことで心を落ち着かせようとしたが、逆に鼓動は高まるばかりだった。そわそわしながらソファから腰を上げ、グランドピアノへと近づく。
幼い頃、ステファン叔父様と並んで座り、ピアノを教えてもらいましたね……
甘く優しい記憶が蘇り、サラはピアノの鍵盤蓋を上げてカバーを外し、椅子に腰掛けた。
「懐かしいですね……昔はよくサラが隣に座って、一緒にピアノを弾いていましたね」
柔らかい声に振り返ると、ステファンが紅茶の載ったトレイをテーブルに置いた。
隣に腰掛けたステファンに、サラは少し甘えるようにお願いした。
「ステファン叔父様、何か弾いていただけませんか」
ステファンが、サラに優しく微笑む。
「そうですね。サラの誕生日祝いに一曲、プレゼントしましょうか」
サラを隣に座らせたまま 、ステファンがピアノを弾くために体制を整え、軽く指をマッサージする。サラは緊張した面持ちで、ステファンと同じく背筋を真っ直ぐに伸ばした。
ステファンの繊細で美しい指先が鍵盤に触れた途端、その指先から流れるように生み出される旋律。
この曲は、『エリーゼのために』……
誕生日に因んだ曲を弾くものだとばかりに思っていたサラは驚きつつも、その美しく切ない調べにたちまち魅入られた。
あまりにも有名な、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲『エリーゼのために』。一説には、ベートーヴェンが恋に落ちたテレーゼを想って作曲したと言われている。
貴族のテレーゼと知り合い、恋に落ちたベートーヴェン。しかし、彼は貴族ではないため、結婚することはもちろん、恋愛関係になることすら許されなかった。そんな、切なく苦しい想いから、この曲は生み出されたという。
これは、私の気持ちそのもの。
許されない関係と知りながら、ステファン叔父様を愛してしまった私の……
ステファンの指先から生まれるピアノの旋律がサラの心と共鳴し、脳裏に様々な思い出が蘇る。
叔父としてではなく、ひとりの男性としてステファンを意識し始めた頃。徐々に膨らんでいった恋心。突然、ステファンがウィーンに留学すると伝えたあの日。一時帰国した際に会いに行き、彼の恋人との仲を見せつけられ、泣きながら帰ったこともあった。何度も彼を諦めようともがき、苦しんできた。
サラの心がさざ波のごとく揺れ、それは次第に大きくなっていく。
どう、して。
どうして今、思い出してしまいますの……
もう、ステファン叔父様への想いを封印すると決めましたのに。
今日を最後に、私は彼を、好きな人としてではなく叔父として接しようと誓いましたのに。
諦めようと決意した途端、そんなサラの心を見透かし、弄ぶかのように、今日のステファンの態度は一変していた。
優しく話しかける声、そっと触れる指先、愛しさの籠った眼差し……そのひとつひとつに、サラは心を強く掻き乱されていた。
お願いです。これ以上、掻き乱さないで。
決意が揺らいでしまいますから……
夢をまだ見ていたいと、願ってしまいますから。
ステファンの横顔を見つめるサラの頬からは、いつしか涙が一筋零れていた。
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