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叩扉(こうひ)

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 凛子は受付を素通りし、まっすぐ目的の場所に向かって歩いていた。病院独特の匂いが鼻につき、悠の手術を待っていた時の不安が蘇る。病棟の中でも最上階にある特別病棟に向かうため、エレベーターに乗り込む。

「ピンポーン」という音と共に扉が開くと、エレベーターホールの奥に大きなドアが立ち塞がっていた。そこはロック式の自動ドアとなっているため、一般者は許可なく立ち入りできないようになっている。

 特別扱いを嫌う誠一郎だが、今はマスコミに追われている身だ。プライバシーを確保するためにも、特別室の手配は必要な措置だった。

 そこは先ほどまで歩いていた病院内と同じ建物とは思えないほど、雰囲気がガラリと変わっていた。病棟というよりは、高級ホテルのような佇まいで、扉を抜けた先にある天井まで一面ガラス張りになった窓からは、周りの景色が一望出来た。廊下には穏やかなBGMが流れ、壁には自然画が飾られている。凛子と美姫以外には誰も廊下を歩いておらず、まさにプライベート空間であった。

 一番奥にある大きな扉の前に立つと、凛子は静かにノックした。それから扉を開け、美姫に中に入るよう視線で促す。

 美姫は凛子の後に従って部屋の中へ入った。

 室内も、外観と同じくまるでホテルのVIPルームのような造りだった。光を多く取り込める明るく広々としたリビング、応接のためのテーブルと椅子が置かれ、そこには小さいながらもキッチンまで備え付けてある。そして、リビングの横には畳の敷かれた和室があり、そこに付き添い人が泊まれるようになっていた。

 ただひとつホテルと異なっているのは、クイーンベッドの横に点滴の台や幾つものコードに繋がれたモニターがあることだった。

 美姫は、そのベッドに寝ている主に近づいた。

「お父、さま......」

 その声に、誠一郎の躰がピクンと反応した。

 徐々に瞼が開かれ、娘の姿を認めた途端、誠一郎の目頭から涙が伝って零れ落ちた。

「美、姫......」

 その弱々しく掠れた声だけ、じゃない。中年太りと形容してもいいぐらい肉付きのよかった父が、急激に体重を落とし、痩せこけていた。そして、頭髪に混じる白い髪。
 それらが、いかに僅かな期間に誠一郎がどれだけの辛苦を味わったのか、物語っていた。

 それを見た途端、美姫はどうしようもない自己嫌悪と罪悪感に打ちのめされた。

 お父様をこんな風にしてしまったのは、私......
 私のせいで、お父様は......

 嗚咽を漏らし、涙ぐむ美姫に、誠一郎は震える指を差し出し、頬を撫でた。愛おしく見つめるその瞳に、父親としての愛情を感じ、美姫の胸は張り裂けんばかりに痛んだ。

 頬を撫でた誠一郎の手から力が抜けてベッドに落とされると、美姫はその手を両手で握り締めた。

 お父様、どうか......
 どうか、以前のように元気になって......

 祈るように、握り続ける。

 隣に立つ凛子は、口をハンカチで抑え、肩を細かく震わせていた。

 重い沈黙が流れる中、扉がノックされる音が響いた。凛子が扉を開けると、そこには白衣を着た医師と看護師が立っていた。

「診察しましょう」

 誠一郎の側に立つ美姫に気づき、医師が黙礼した。

 40代前半でがっしりとした体躯で無精髭を生やし、眼鏡を掛けたその奥には優しい目をしており、誠実そうな人柄が垣間見えた。この人なら信頼できそう...と、美姫は第一印象で感じた。

 美姫は黙礼を返すと誠一郎の手を離し、医師に場所を譲った。
 
 医師が脈を測ったり診察をしている間、看護師は手早く点滴を変えたり、尿の始末をしたり、モニターの数値を読んだりして、忙しく働いていた。凛子と美姫は、その様子を不安な面持ちで見つめていた。

 一通り検診を終えると、医師が改めて美姫に向き直る。

「初めまして。来栖さんのお嬢さんですね。内科治療を担当をします、江沼です。外科治療については、心臓外科の佐藤が担当しています」

 それを受け、美姫がお辞儀した。

「父を、どうかよろしくお願いします」

 江沼は大きく頷くと、今度は凛子にも顔を向けた。

「来栖さんの病状について、別室にて詳しく説明をしたいのですが、よろしいですか」

 江沼の表情と声音から、父が深刻な状況にあるということが窺え、美姫は緊張して喉を鳴らした。

「は、い......」
 
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