僕がそばにいる理由

腐男子ミルク

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第9話

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目を開けると、見慣れない茶色の天井が目に入った。ぼんやりとした意識の中、ゆっくり体を起こして辺りを見回す。サッカーのトロフィーや写真が並ぶ棚が目に入った瞬間、ここがどこかを思い出す。

「あぁ、そうだ。ここ…俺の家じゃないんだっけ。」

小さくつぶやいたその時、部屋の扉が音もなく開いた。歩夢がトレイに朝食を乗せて現れる。

「何言ってるんですか、先輩。ここはもう俺と先輩の家ですよ?」

にこやかに微笑む彼の声に、まだ完全に覚めていない頭がじわじわと現実を飲み込んでいく――。

「ねぇ、本当にいいの?俺なんかと結婚して…歩夢くんならもっといい人いるだろ?」

思わず俯いてしまう。心のどこかで、自分が歩夢にふさわしくないと思っている気持ちを隠せなかった。

「何言ってるんですか?先輩じゃなきゃダメなんです。」

歩夢の声が真剣そのもので、顔を上げると彼のまっすぐな視線が目に飛び込んできた。真摯な瞳に射抜かれるような感覚に胸がぎゅっと締め付けられる。彼がそっと手を取ると、ぎゅっと強く握りしめてきた。その温もりが体の奥まで伝わり、心臓がドクンと大きく跳ねたのがわかる。

それでも、心の奥底には一つの不安が残っていた。

「…離婚届、送ったけど。素直に離婚してくれるのかな…」

言葉に出すのをためらいながらも、声に出すと余計にその不安が膨らんでいくようだった。

歩夢は少し眉を下げて苦笑しながらも、力強く答えた。

「おそらく無理っすね。」

その軽い口調に反して、彼の瞳には揺るぎない決意が浮かんでいるのがわかった。

「でも大丈夫です。何があっても俺が先輩を守りますから。だから、俺の隣にいてくださいね?」

そう言うと、歩夢はそっと手を伸ばし、俺のおでこに優しく唇を触れさせた。その柔らかな感触に、一瞬息が止まり、鼓動が速くなるのを感じる。

彼の仕草や言葉の一つ一つが、心の中で固まっていた何かを少しずつ溶かしていくようだった。胸の奥が熱くなり、キュンと締め付けられるような感情がこみ上げてくる。 

「ご飯、食べましょう?俺、料理そんなに得意じゃないんですけど…今日は張り切って作ったんですよ。」

歩夢が少し照れくさそうに言いながらテーブルに料理を並べる。その笑顔につられて、俺も思わず口元が緩んだ。

「本当に?ありがとう。あれ?でも歩夢くん、前に料理は苦手だって言ってなかったっけ?」

そう言うと、歩夢は少し得意げに笑いながら答えた。

「先輩に食べてもらいたくて練習したんですよ。」

その言葉に胸がじんと温かくなる。彼の目の前には、ふっくらとしたオムライスが乗ったお皿が置かれていた。

「へぇ…頑張ったんだね。」

嬉しさを噛み締めながらスプーンを手に取ろうとしたその時、歩夢が自分で一口掬って口に運んだ。

しかし、次の瞬間――

「うわっ!しょっぱ!!!」

歩夢は顔を真っ青にして叫び、水を一気に飲み干した。その慌てぶりに思わず吹き出しそうになりながら、歩夢の次の言葉を聞く。

「塩、入れすぎました…。先輩、ごめんなさい。これ、くそまずいんで食べないでください。」

彼は申し訳なさそうに頭を下げたが、その姿が逆に愛おしかった。

「そんなの気にしないよ。」

そう言って、俺はスプーンを手に取り、一口ゆっくりと口に運んだ。

「先輩!?やめてください!お腹壊しますから!」

歩夢の声が焦ったように響く中、口に広がるのは確かにしょっぱい味。しかし、不思議と嫌ではなかった。彼が俺のために頑張ってくれたその気持ちが、塩味に滲んでいるような気がした。

「…美味しい。」

自然とその言葉がこぼれた。同時に、胸の奥から熱いものが込み上げてくる。彼が自分のために努力してくれたこと、それが嬉しくてたまらなかった。

「先輩、それ絶対嘘ですよね…?泣いてるじゃないですか。」

歩夢が心配そうに顔を覗き込む。

「違うよ…泣いてなんかない…これ、優しい人の味がするだけ。」

そう呟きながら、涙をぬぐった。歩夢は何か言いたそうに口を開きかけたが、結局それを飲み込み、そっと俺の肩に手を置いてくれた。

その温かさに触れると、また涙が一粒頬を伝う。こんなに優しくされるのは久しぶりだった――いや、初めてだったかもしれない。


「もう先輩…なんでそんな可愛い顔するんですか。」

歩夢の声が震えているのがわかる。顔は真っ赤で、目は揺れていて、それでも真っ直ぐに俺を見ている。その視線に、どう返事をすればいいのかわからなくなった。

「え…?」

次の瞬間、歩夢は俺の両手を掴むと、そのまま優しく床に押し倒した。

「先輩…キス、したいです。」

低く抑えられた彼の声に胸が高鳴る。逃げる隙もなく、顔が近づいてくるのがわかる。その瞳が俺だけを見つめているのが怖いほどに真剣だった。

「だ、ダメだよ…歩夢くん…。」

そう言いながらも、心のどこかで拒む気持ちが薄れていくのを感じていた。

「嫌じゃないなら、もう…止まれないです。」

歩夢が囁き、そしてその言葉が終わるのを待たずに唇が重なった。

最初はそっと触れるだけの優しいキスだったが、すぐに深く求めるような動きに変わっていく。彼の舌が唇を撫でるように触れ、そのままゆっくりと口の中に入り込んできた。

「んっ…」

気づけば目を閉じていて、彼の熱を受け入れている自分に気づく。唇が触れ合う音や、息が混じり合う感覚が鮮明に伝わってきた。

歩夢はまるで宝物を扱うように、けれども情熱的に俺の唇を奪い続ける。

「先輩…甘い。」

そう呟く彼の言葉とともに、再び深いキスが続く。その熱が伝わるたび、心も体も彼に絡め取られていくような気がした。

どうしようもないくらい、歩夢の存在が今、俺の全てを支配している――そんな感覚に陥っていた。

「先輩、職場に戻ってきてください。」

歩夢の声は真剣で、どこか熱を帯びている。

「看護部長に事情を話しました。先輩が戻る意思を見せてくれるなら、職場復帰の手続きを進めるって言ってくれました。だから…俺、また先輩と働きたいです。」

彼の目は真っ直ぐに俺を見つめていて、揺るぎない決意がそこにある。

「俺のこと、ずっと見ててくださいよ。俺が立派な看護師になれるまで、隣で見守ってください。」

その言葉に、胸の奥が温かくなっていくのを感じた。自分がこんなにも誰かに必要とされているなんて、思いもしなかった。

「…うん。」

涙が自然と溢れ出し、視界が滲む。俺はそっと手を伸ばし、彼の頬に触れた。その温もりに安心感を覚えながら、自然と顔を近づける。

「ありがとう、歩夢くん…。」

呟くように言葉を落とし、俺は彼に軽く唇を触れさせた。

それは、言葉以上の感謝と信頼を伝えるためのキス。短いけれど、心が通じ合う瞬間だった。

歩夢は驚いたように目を瞬かせたが、すぐに柔らかい笑みを浮かべた。その表情を見て、俺も自然と微笑んだ。

これからまた、彼と一緒に歩いていこう。そんな小さな決意を胸に秘めながら。
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