10 / 30
恋
しおりを挟む
翌日を迎え、職場では朝礼が終わり、業務が始まる。
昨日の件もあり、隣の席の瑞貴に顔を向けづらい。
しばらくお互いにパソコン画面を見つめていたら、瑞貴の方から声を掛けてくれた。
「綾さん、十二月に予定されてる社長の海外出張の現地ホテルって、もう手配済んでますか?」
「え?」
私は瑞貴に言われて慌てて社長の出張申請の書類を確認し直す。
「ああ、良かった。びっくりさせないでよ」
ちゃんと手配は終わっており、申請も済んで承認も下りていた。
「あ、いえ、実は私も同行する事になって、私の宿泊場所は自分で手配するんで、宿泊ホテルがどこか知りたかったんです」
「え? 瑞貴も行くの?」
「はい」
「一週間くらいの日程だったっけ?」
「はい。でも、私だけもしかしたら、交渉の状況次第で少し長引きます」
「秘書が???」
「綾さん、東堂の息子の私が秘書課配属なのは、経営陣の仕事が一番身近でよく分かるからです。つまり、秘書としてではなく、経営陣として成長させる目的で配属されています。それに、この会社で一番アメリカ担当に向いていたので、今回は秘書兼現地の交渉まで担当する事になったんです」
「ああ、はあ、まあ、そうだわね。あなたが社長のご子息って、ついつい失念しちゃうわ。アメリカ担当、適任だと思います……」
「まあ、皆さん私が社長の息子だなんて完全に忘れてますし、その方が私もいいんですけどね」
「あはは……」
朝の会話をきっかけに、結局普段通りに戻り、問題なく一日を終えた。
退勤して会社から出ると、瑞貴はスーツ姿からジャージにリュックという姿に変わっていて、会社の近くで準備運動をしている。
「あれ? 皇居ランでも始めるの?」
「お疲れ様です。いえ、家までランニングして帰るんです」
「ええ!? ここから家まで? 何キロあると思ってるの!?」
「十五キロくらいですよ。じゃ、お先に失礼しますっ!」
そう言うと瑞貴は巨体を揺らしながら走って行った。そのフォームは意外としっかりしていて、太っているから運動音痴というのは酷い思い込みだと痛感した。
「本当、私がこんなに偏見だらけだったとは……」
翌日も、その翌日も、雨が降ろうが、その後ずっと、瑞貴は退勤後、走って帰っていた。
帰りの電車が一人になり、寂しかった。
十五キロって、どれくらいで走れるんだろう……。
スマホを取り出して検索してみると、少し駅で時間を潰してから帰れば、ばったり道で会えそうだと気づく。
翌日の退勤後、会社から駅までの道のりにあるランニング専門店に入り、瑞貴に合うランニンググッズを探して時間を潰した。
「ランニングシューズ……瑞貴のサイズ聞いておけばよかった……」
「よっ」
突然肩を叩かれて振り返ると、嵯峨がいた。
「宗……嵯峨さん、お疲れ様です」
突然の事で思わず下の名前で呼びそうになってしまったが、なんとか軌道修正できた。
「宗でいいって。それより、ランニングでも始めるの?」
「ええ、ああ、いえ……」
「綾がするなら、俺も始めようかな? ランステーションで一式レンタル出来るし」
「頑張ってください」
私はそう言ってその場から立ち去ろうとしたが、すぐに腕を掴まれてしまう。
「なあ、ずっと電話も出てくれないし、メッセージが既読にならないし、もしかしてブロックしてる?」
私を見る嵯峨の目が据わり、寒気がした。
「え? ごめんなさい、忙しくてメッセージ溜めてて誰のも開けてなかった。電話は、うん、掛けなおそうと思ってたんだけど、今新人さんの教育担当になって、そっちに時間が割かれてて、つい忘れてしまって」
「ふーん……その新人って、社長の息子だろ?」
「そうそう。だから、気が抜けないのよ。退勤した後も彼の指導に関する進捗報告書作成したり、もうくたくた」
「そんなに忙しいのに、なんでここに?」
「いや、だからぁ、自分の時間も欲しいなーって思ってたら、何となくぼーっと見てたというか……」
「まあ、いいや。今は時間あるってことだろ? いつものファミレス行こう。ずっと話したかったんだ」
「ごめんなさいっ! 金曜ロードショーが観たいから、今日は帰るねっ!」
私は嵯峨の手を振り払って、出来る限り早足で店を出て駅へと向かった。時折ちらちらと後ろを確認しながら進むが、どうやら後は追って来ていない。
ふーっと安堵の息を吐いて電車に乗り込み、無事に帰路についた。
あんなに面倒くさい男だったとは……。
ぼーっと走る電車の窓の外を眺めていれば、いつの間にか頭で考え始めているのは嵯峨ではなく瑞貴の事。
自宅最寄り駅の改札を出て、バスは使わず歩いて帰る。
走って帰ってくる瑞貴と会えるかもと期待し、そわそわしながらゆっくり歩いた。
「綾っ!」
それは、期待していた声ではない、私を呼ぶ声にゾッとする。
昔はあの声を聞くだけで心が弾んだのだが……。
恐る恐る振り返ると、そこにはやはりあいつがいた。
「さ……嵯峨さん? なんでここに?」
「ごめん、どうしても綾と話したくて」
「つけてきたの!?」
嵯峨は距離を詰めて来て、私の肩を強い力で掴んだ。
「俺、綾の為に女友達全部切ったんだ」
「女友達って、セフレでしょ? そういうのは付き合う前に切るものじゃない? でもそんな事も正直どうでもいいです。もう私は、嵯峨さんに恋愛感情がないの。だから、諦めてください」
「俺は綾を真剣に愛してたんだ! 綾は違ったのか?」
「ええ、嘘でしょ!? それはこっちのセリフだわ」
「俺の愛を確かめたくて駄々こねてるならやめろよな。なあ、明日は休みだ。もっとゆっくりできるところでちゃんと話そう」
「お断りします」
こんなに話の噛み合わない男だったとは。恋は盲目と言うが、冷めてから気づくと本当に恐ろしい。
嵯峨を振り切って帰ろうとした瞬間、痛みを感じるほど力を入れて肩を握られ、そのまま抱き締められて、私の力では振りほどけない。
「痛……やめて……」
「もう困らせるな……愛してるから、綾」
嵯峨が無理矢理キスをしてこようとした瞬間、私はギュッと目を瞑り、出来る限り顔を逸らした。
すると急に嵯峨の手と身体が引き剥がれていき、ドサッとアスファルトに尻もちをついた音がする。
目を開ければ、予想通り地面に尻もちをついている嵯峨の姿と、予想外の汗だく姿の瑞貴が立っていた。
昨日の件もあり、隣の席の瑞貴に顔を向けづらい。
しばらくお互いにパソコン画面を見つめていたら、瑞貴の方から声を掛けてくれた。
「綾さん、十二月に予定されてる社長の海外出張の現地ホテルって、もう手配済んでますか?」
「え?」
私は瑞貴に言われて慌てて社長の出張申請の書類を確認し直す。
「ああ、良かった。びっくりさせないでよ」
ちゃんと手配は終わっており、申請も済んで承認も下りていた。
「あ、いえ、実は私も同行する事になって、私の宿泊場所は自分で手配するんで、宿泊ホテルがどこか知りたかったんです」
「え? 瑞貴も行くの?」
「はい」
「一週間くらいの日程だったっけ?」
「はい。でも、私だけもしかしたら、交渉の状況次第で少し長引きます」
「秘書が???」
「綾さん、東堂の息子の私が秘書課配属なのは、経営陣の仕事が一番身近でよく分かるからです。つまり、秘書としてではなく、経営陣として成長させる目的で配属されています。それに、この会社で一番アメリカ担当に向いていたので、今回は秘書兼現地の交渉まで担当する事になったんです」
「ああ、はあ、まあ、そうだわね。あなたが社長のご子息って、ついつい失念しちゃうわ。アメリカ担当、適任だと思います……」
「まあ、皆さん私が社長の息子だなんて完全に忘れてますし、その方が私もいいんですけどね」
「あはは……」
朝の会話をきっかけに、結局普段通りに戻り、問題なく一日を終えた。
退勤して会社から出ると、瑞貴はスーツ姿からジャージにリュックという姿に変わっていて、会社の近くで準備運動をしている。
「あれ? 皇居ランでも始めるの?」
「お疲れ様です。いえ、家までランニングして帰るんです」
「ええ!? ここから家まで? 何キロあると思ってるの!?」
「十五キロくらいですよ。じゃ、お先に失礼しますっ!」
そう言うと瑞貴は巨体を揺らしながら走って行った。そのフォームは意外としっかりしていて、太っているから運動音痴というのは酷い思い込みだと痛感した。
「本当、私がこんなに偏見だらけだったとは……」
翌日も、その翌日も、雨が降ろうが、その後ずっと、瑞貴は退勤後、走って帰っていた。
帰りの電車が一人になり、寂しかった。
十五キロって、どれくらいで走れるんだろう……。
スマホを取り出して検索してみると、少し駅で時間を潰してから帰れば、ばったり道で会えそうだと気づく。
翌日の退勤後、会社から駅までの道のりにあるランニング専門店に入り、瑞貴に合うランニンググッズを探して時間を潰した。
「ランニングシューズ……瑞貴のサイズ聞いておけばよかった……」
「よっ」
突然肩を叩かれて振り返ると、嵯峨がいた。
「宗……嵯峨さん、お疲れ様です」
突然の事で思わず下の名前で呼びそうになってしまったが、なんとか軌道修正できた。
「宗でいいって。それより、ランニングでも始めるの?」
「ええ、ああ、いえ……」
「綾がするなら、俺も始めようかな? ランステーションで一式レンタル出来るし」
「頑張ってください」
私はそう言ってその場から立ち去ろうとしたが、すぐに腕を掴まれてしまう。
「なあ、ずっと電話も出てくれないし、メッセージが既読にならないし、もしかしてブロックしてる?」
私を見る嵯峨の目が据わり、寒気がした。
「え? ごめんなさい、忙しくてメッセージ溜めてて誰のも開けてなかった。電話は、うん、掛けなおそうと思ってたんだけど、今新人さんの教育担当になって、そっちに時間が割かれてて、つい忘れてしまって」
「ふーん……その新人って、社長の息子だろ?」
「そうそう。だから、気が抜けないのよ。退勤した後も彼の指導に関する進捗報告書作成したり、もうくたくた」
「そんなに忙しいのに、なんでここに?」
「いや、だからぁ、自分の時間も欲しいなーって思ってたら、何となくぼーっと見てたというか……」
「まあ、いいや。今は時間あるってことだろ? いつものファミレス行こう。ずっと話したかったんだ」
「ごめんなさいっ! 金曜ロードショーが観たいから、今日は帰るねっ!」
私は嵯峨の手を振り払って、出来る限り早足で店を出て駅へと向かった。時折ちらちらと後ろを確認しながら進むが、どうやら後は追って来ていない。
ふーっと安堵の息を吐いて電車に乗り込み、無事に帰路についた。
あんなに面倒くさい男だったとは……。
ぼーっと走る電車の窓の外を眺めていれば、いつの間にか頭で考え始めているのは嵯峨ではなく瑞貴の事。
自宅最寄り駅の改札を出て、バスは使わず歩いて帰る。
走って帰ってくる瑞貴と会えるかもと期待し、そわそわしながらゆっくり歩いた。
「綾っ!」
それは、期待していた声ではない、私を呼ぶ声にゾッとする。
昔はあの声を聞くだけで心が弾んだのだが……。
恐る恐る振り返ると、そこにはやはりあいつがいた。
「さ……嵯峨さん? なんでここに?」
「ごめん、どうしても綾と話したくて」
「つけてきたの!?」
嵯峨は距離を詰めて来て、私の肩を強い力で掴んだ。
「俺、綾の為に女友達全部切ったんだ」
「女友達って、セフレでしょ? そういうのは付き合う前に切るものじゃない? でもそんな事も正直どうでもいいです。もう私は、嵯峨さんに恋愛感情がないの。だから、諦めてください」
「俺は綾を真剣に愛してたんだ! 綾は違ったのか?」
「ええ、嘘でしょ!? それはこっちのセリフだわ」
「俺の愛を確かめたくて駄々こねてるならやめろよな。なあ、明日は休みだ。もっとゆっくりできるところでちゃんと話そう」
「お断りします」
こんなに話の噛み合わない男だったとは。恋は盲目と言うが、冷めてから気づくと本当に恐ろしい。
嵯峨を振り切って帰ろうとした瞬間、痛みを感じるほど力を入れて肩を握られ、そのまま抱き締められて、私の力では振りほどけない。
「痛……やめて……」
「もう困らせるな……愛してるから、綾」
嵯峨が無理矢理キスをしてこようとした瞬間、私はギュッと目を瞑り、出来る限り顔を逸らした。
すると急に嵯峨の手と身体が引き剥がれていき、ドサッとアスファルトに尻もちをついた音がする。
目を開ければ、予想通り地面に尻もちをついている嵯峨の姿と、予想外の汗だく姿の瑞貴が立っていた。
15
あなたにおすすめの小説
それは、ホントに不可抗力で。
樹沙都
恋愛
これ以上他人に振り回されるのはまっぴらごめんと一大決意。人生における全ての無駄を排除し、おひとりさまを謳歌する歩夢の前に、ひとりの男が立ちはだかった。
「まさか、夫の顔……を、忘れたとは言わないだろうな? 奥さん」
その婚姻は、天の啓示か、はたまた……ついうっかり、か。
恋に仕事に人間関係にと翻弄されるお人好しオンナ関口歩夢と腹黒大魔王小林尊の攻防戦。
まさにいま、開始のゴングが鳴った。
まあね、所詮、人生は不可抗力でできている。わけよ。とほほっ。
甘い束縛
はるきりょう
恋愛
今日こそは言う。そう心に決め、伊達優菜は拳を握りしめた。私には時間がないのだと。もう、気づけば、歳は27を数えるほどになっていた。人並みに結婚し、子どもを産みたい。それを思えば、「若い」なんて言葉はもうすぐ使えなくなる。このあたりが潮時だった。
※小説家なろうサイト様にも載せています。
溺婚
明日葉
恋愛
香月絢佳、37歳、独身。晩婚化が進んでいるとはいえ、さすがにもう、無理かなぁ、と残念には思うが焦る気にもならず。まあ、恋愛体質じゃないし、と。
以前階段落ちから助けてくれたイケメンに、馴染みの店で再会するものの、この状況では向こうの印象がよろしいはずもないしと期待もしなかったのだが。
イケメン、天羽疾矢はどうやら絢佳に惹かれてしまったようで。
「歳も歳だし、とりあえず試してみたら?こわいの?」と、挑発されればつい、売り言葉に買い言葉。
何がどうしてこうなった?
平凡に生きたい、でもま、老後に1人は嫌だなぁ、くらいに構えた恋愛偏差値最底辺の絢佳と、こう見えて仕事人間のイケメン疾矢。振り回しているのは果たしてどっちで、振り回されてるのは、果たしてどっち?
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
嘘をつく唇に優しいキスを
松本ユミ
恋愛
いつだって私は本音を隠して嘘をつくーーー。
桜井麻里奈は優しい同期の新庄湊に恋をした。
だけど、湊には学生時代から付き合っている彼女がいることを知りショックを受ける。
麻里奈はこの恋心が叶わないなら自分の気持ちに嘘をつくからせめて同期として隣で笑い合うことだけは許してほしいと密かに思っていた。
そんなある日、湊が『結婚する』という話を聞いてしまい……。
Good day !
葉月 まい
恋愛
『Good day !』シリーズ Vol.1
人一倍真面目で努力家のコーパイと
イケメンのエリートキャプテン
そんな二人の
恋と仕事と、飛行機の物語…
꙳⋆ ˖𓂃܀✈* 登場人物 *☆܀𓂃˖ ⋆꙳
日本ウイング航空(Japan Wing Airline)
副操縦士
藤崎 恵真(27歳) Fujisaki Ema
機長
佐倉 大和(35歳) Sakura Yamato
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる