あなたはカエルの御曹司様

さくらぎしょう

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 翌日を迎え、職場では朝礼が終わり、業務が始まる。

 昨日の件もあり、隣の席の瑞貴に顔を向けづらい。
 しばらくお互いにパソコン画面を見つめていたら、瑞貴の方から声を掛けてくれた。

「綾さん、十二月に予定されてる社長の海外出張の現地ホテルって、もう手配済んでますか?」
「え?」

 私は瑞貴に言われて慌てて社長の出張申請の書類を確認し直す。

「ああ、良かった。びっくりさせないでよ」

 ちゃんと手配は終わっており、申請も済んで承認も下りていた。
 
「あ、いえ、実は私も同行する事になって、私の宿泊場所は自分で手配するんで、宿泊ホテルがどこか知りたかったんです」
「え? 瑞貴も行くの?」
「はい」
「一週間くらいの日程だったっけ?」
「はい。でも、私だけもしかしたら、交渉の状況次第で少し長引きます」
「秘書が???」
「綾さん、東堂の息子の私が秘書課配属なのは、経営陣の仕事が一番身近でよく分かるからです。つまり、秘書としてではなく、経営陣として成長させる目的で配属されています。それに、この会社で一番アメリカ担当に向いていたので、今回は秘書兼現地の交渉まで担当する事になったんです」
「ああ、はあ、まあ、そうだわね。あなたが社長のご子息って、ついつい失念しちゃうわ。アメリカ担当、適任だと思います……」
「まあ、皆さん私が社長の息子だなんて完全に忘れてますし、その方が私もいいんですけどね」
「あはは……」

 朝の会話をきっかけに、結局普段通りに戻り、問題なく一日を終えた。

 退勤して会社から出ると、瑞貴はスーツ姿からジャージにリュックという姿に変わっていて、会社の近くで準備運動をしている。

「あれ? 皇居ランでも始めるの?」
「お疲れ様です。いえ、家までランニングして帰るんです」
「ええ!? ここから家まで? 何キロあると思ってるの!?」
「十五キロくらいですよ。じゃ、お先に失礼しますっ!」

 そう言うと瑞貴は巨体を揺らしながら走って行った。そのフォームは意外としっかりしていて、太っているから運動音痴というのは酷い思い込みだと痛感した。

「本当、私がこんなに偏見だらけだったとは……」

 翌日も、その翌日も、雨が降ろうが、その後ずっと、瑞貴は退勤後、走って帰っていた。

 帰りの電車が一人になり、寂しかった。
 
 十五キロって、どれくらいで走れるんだろう……。

 スマホを取り出して検索してみると、少し駅で時間を潰してから帰れば、ばったり道で会えそうだと気づく。
 
 翌日の退勤後、会社から駅までの道のりにあるランニング専門店に入り、瑞貴に合うランニンググッズを探して時間を潰した。
 
「ランニングシューズ……瑞貴のサイズ聞いておけばよかった……」
「よっ」

 突然肩を叩かれて振り返ると、嵯峨がいた。

「宗……嵯峨さん、お疲れ様です」

 突然の事で思わず下の名前で呼びそうになってしまったが、なんとか軌道修正できた。

「宗でいいって。それより、ランニングでも始めるの?」
「ええ、ああ、いえ……」
「綾がするなら、俺も始めようかな? ランステーションで一式レンタル出来るし」
「頑張ってください」

 私はそう言ってその場から立ち去ろうとしたが、すぐに腕を掴まれてしまう。
 
「なあ、ずっと電話も出てくれないし、メッセージが既読にならないし、もしかしてブロックしてる?」

 私を見る嵯峨の目が据わり、寒気がした。

「え? ごめんなさい、忙しくてメッセージ溜めてて誰のも開けてなかった。電話は、うん、掛けなおそうと思ってたんだけど、今新人さんの教育担当になって、そっちに時間が割かれてて、つい忘れてしまって」
「ふーん……その新人って、社長の息子だろ?」
「そうそう。だから、気が抜けないのよ。退勤した後も彼の指導に関する進捗報告書作成したり、もうくたくた」
「そんなに忙しいのに、なんでここに?」
「いや、だからぁ、自分の時間も欲しいなーって思ってたら、何となくぼーっと見てたというか……」
「まあ、いいや。今は時間あるってことだろ? いつものファミレス行こう。ずっと話したかったんだ」
「ごめんなさいっ! 金曜ロードショーが観たいから、今日は帰るねっ!」

 私は嵯峨の手を振り払って、出来る限り早足で店を出て駅へと向かった。時折ちらちらと後ろを確認しながら進むが、どうやら後は追って来ていない。

 ふーっと安堵の息を吐いて電車に乗り込み、無事に帰路についた。

 あんなに面倒くさい男だったとは……。

 ぼーっと走る電車の窓の外を眺めていれば、いつの間にか頭で考え始めているのは嵯峨ではなく瑞貴の事。

 自宅最寄り駅の改札を出て、バスは使わず歩いて帰る。
 走って帰ってくる瑞貴と会えるかもと期待し、そわそわしながらゆっくり歩いた。
 
「綾っ!」

 それは、期待していた声ではない、私を呼ぶ声にゾッとする。

 昔はあの声を聞くだけで心が弾んだのだが……。
 
 恐る恐る振り返ると、そこにはやはりあいつがいた。

「さ……嵯峨さん? なんでここに?」
「ごめん、どうしても綾と話したくて」
「つけてきたの!?」

 嵯峨は距離を詰めて来て、私の肩を強い力で掴んだ。

「俺、綾の為に女友達全部切ったんだ」
「女友達って、セフレでしょ? そういうのは付き合う前に切るものじゃない? でもそんな事も正直どうでもいいです。もう私は、嵯峨さんに恋愛感情がないの。だから、諦めてください」
「俺は綾を真剣に愛してたんだ! 綾は違ったのか?」
「ええ、嘘でしょ!? それはこっちのセリフだわ」
「俺の愛を確かめたくて駄々こねてるならやめろよな。なあ、明日は休みだ。もっとゆっくりできるところでちゃんと話そう」
「お断りします」

 こんなに話の噛み合わない男だったとは。恋は盲目と言うが、冷めてから気づくと本当に恐ろしい。

 嵯峨を振り切って帰ろうとした瞬間、痛みを感じるほど力を入れて肩を握られ、そのまま抱き締められて、私の力では振りほどけない。

「痛……やめて……」
「もう困らせるな……愛してるから、綾」

 嵯峨が無理矢理キスをしてこようとした瞬間、私はギュッと目を瞑り、出来る限り顔を逸らした。
 すると急に嵯峨の手と身体が引き剥がれていき、ドサッとアスファルトに尻もちをついた音がする。
 
 目を開ければ、予想通り地面に尻もちをついている嵯峨の姿と、予想外の汗だく姿の瑞貴が立っていた。
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