深く刻まれた皇妃への想い

さくらぎしょう

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27. 温もり

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 ヴァレリアーニ帝国皇帝の城では悲痛な泣き声が響き渡っていた。
 この日、アルバーノ皇帝の二番目の息子であり皇太子が逝去した。母であるエルマ側妃は皇太子の遺体から離れようとせず、いつもは控えめでか細い声の彼女が、今は腹の底から太い声で泣き叫んでいる。

 その泣き声を自室であくびをかきながら聞いているのは、もう一人の側妃、第三皇子ジョアンの母であるジルベルタ側妃。カナリアブロンドの髪を高く結い上げ、キツイ顔は周りを威圧し、真っ赤なドレスに身を包む。

 執務室で震える手を隠しながら臣下の対応をおこなっているのは、亡き第一皇子と第四皇子フィガロの母、カッサンドラ皇妃。すでに喪服に着替え終え、皇太子の葬儀の準備を取り計らう。

「葬儀の棺は高級感のあるマホガニー材で、花は真っ白なカサブランカを。エルマ側妃には、とにかく気持ちを落ち着けるハーブティーと、あまり胸元の締め付けの強くない喪服を。葬儀予算が足りなければ、私の皇妃費から補てんをして」

 遺体の腐敗による疫病を防ぐため、葬儀は法律により死後四十八時間以内に執り行われる。皇太子の葬儀は皇帝の名の下で行われるが、取り仕切るのは妃の筆頭である皇妃である。

 慌ただしい皇妃の執務室に、久しぶりにアルバーノ皇帝が訪ねてきた。

「忙しそうだな」

 部屋の中にいた臣下や使用人達が一斉に手を止めて皇帝に向かって深々とお辞儀をする。
 アルバーノ皇帝は歴代皇帝に多いシルバー色の長いウェーブの髪をもつ。だがフィガロやジョアン、ましてやアンジェロ大帝のような光り輝く容姿はなく、決して醜いわけではないが、浅黒い肌でもわかるほど目の下にはクマがあり、不健康そうに見えた。

 お辞儀をする皇妃のもとまで来ると、アルバーノ皇帝は人払いするように指示する。あっという間に慌ただしかった部屋が、今は静かな二人きりの空間になっていた。

「カッサンドラ、フィガロはまだ見つからないのか?」

「……申し訳ございません」

「すでに死んだ可能性は?」

 皇妃はピクリと反応し、肩を震わせていた。

「次の皇太子はフィガロだ。たとえ葬儀が終わるまでに見つからなくとも、死体が出ない限り、フィガロは生きているものとみなして公表する」

「しかし、順位でいけば皇太子はジョアン皇子です」

「ジョアンはドロバンディ家出身のジルベルタ側妃の息子だ。ドロバンディ家は大商人の家であって貴族ではない。皇帝の名の下で継承順位を正す。そなたは妃の筆頭である皇妃なのだから、息子が皇太子になって欲しいだろう」

「……わたくしは、フィガロは皇太子でなくとも良いんです。健やかに天寿を全うしてさえもらえれば……」

「まるで皇太子になれば天寿を全うできないような言い方だな」

「ジョアン皇子がなれば全う出来るのではないでしょうか」

 皇妃の言葉に緊張が張り詰めた。
 アルバーノ皇帝を怒らせたかと皇妃は身を固くしたが、よく見ると微かに笑っている。
 アルバーノ皇帝は静かに答える。

「お前はわかっていない。皇太子はフィガロだ。夜中に学校に忍び込んだり、行方を眩ませたり、ある意味器が大きいじゃないか。臆病者の私とは違う」

 それだけ伝えると、皇帝は皇妃との会話を終わらせて部屋を出て行った。

 皇妃は扉が閉まった音がするやいなや、崩れるように座り込んだ。
 隠していた震える両手で床を押さえて上半身を支える。

 だから言ったのに。

 だから目立つなと言ったのに。

 雨でも降ってきたかのように、床にぽたぽたと染みが出来始める。

「お母様」

 聞き覚えのない若い男性の声が聞こえ、涙に濡れる顔をあげた。目の前にはいつの間にかアンジェロ大帝そっくりな青年が立っている。

「……アンジェロ大帝」

 皇妃は思わずそう呟いた。
 守らなければならなかった最初の息子をアンジェロ大帝の天敵とも言えるドロバンディに殺され、今は残された息子の危機をまたも救えるかわからない。もしかしたら、フィガロはもう手遅れなのかと最悪の結末さえ頭をよぎる。

 きっと、ヴァレリアーニ王朝を築いたアンジェロ大帝が、不甲斐ない皇妃に怒りのあまり化けて出てきたのだと思えて仕方なかった。

 アンジェロ大帝は膝を折り、優しくカッサンドラ皇妃の両手を握りしめた。
 亡霊とは思えないほど、優しい温もりに皇妃の震える手が包まれる。

「お母様、一年も消息を断ち申し訳ありませんでした」

「お母様……?」

「ええ、お母様。フィガロです」

 皇妃はすぐさま身を乗り出してフィガロと名乗る青年の顔を両手で掴む。視線を右へ左へと忙しく動かし、顔を丁寧に確かめた。
 最後に視線をフィガロの瞳に止めれば、皇妃は大粒の涙を流し出す。

「フィガロ……生きてた……」

 フィガロ皇子は、まさか母が自分のためにこんなに涙を流してくれるとは思わなかった。

 皇妃はフィガロ皇子の手を握る。

「フィガロ、逃げなさい」

「え?」

「次の皇太子はフィガロにすると陛下はおっしゃいました。このままではジョアン皇子に殺されます」

「お母様、すでに兄上には命を狙われました」

 皇妃は目を見開き固まった。
 フィガロ皇子は落ち着いた声で説明する。

「一年前、寮にお母様と兄上が訪ねてきたでしょう。その時に殺されそうになり、逃げるしかなかったのです」

「……私はてっきり、私が追い込んだばかりにあなたは逃亡してしまったのだとばかり……それで、あなたが自由になりたいと望むならと、この一年間事実を隠して学校には休学としていました。
 まさか、すでにジョアン皇子が行動に移していたとは……」

 城に戻るようにセラフィーナにあんなに言われたのにと、フィガロ皇子は憔悴した母を見つめ今さら悔やんだ。

「もっと早くにお母様に伝えるべきでした……」

 カッサンドラ皇妃の微笑みは、第一皇子だった兄が亡くなる前の母の姿に戻っていた。

「あなたが生きてさえいれば何でも良いの。自分で考えて生き延びたのね」

 皇妃のフィガロ皇子を撫でるその手は、我が子の温もりを確かめるように、離れ難そうにゆっくりと動く。

「でも、どうやってこの部屋まで忍び込めたの?」

「魔法を使いました」

 その突拍子もない発言に、皇妃は驚きつつも否定はしなかった。

「魔法って……あの、魔法?」

 フィガロ皇子は皇妃から一歩下がり、手のひらに炎を出してみせる。

 声を出すわけでもなく、皇妃は黙ってそれを見つめた。

 そして部屋には二人きりにも関わらず、皇妃は周りを警戒してフィガロ皇子に顔を寄せて耳打ちする。

「ドロバンディ家はガレアータ山脈のどこかにバルトロの身体を隠している。異変を感じる場所を探して、見つけて燃やしなさい。そうすれば、ドロバンディも諦める」

「燃やす?」

 皇妃は頷くと、フィガロ皇子から離れた。

「あなたにこんな事託すなんて、不甲斐ない母でごめんなさい。でも、希望が見えた」

「希望ですか?」

 思えば第一皇子がいつの間にか糖尿病を悪化させて亡くなってから、カッサンドラ皇妃はフィガロ皇子に対して監視の如く全ての行動に口を出していた。
 菓子は食べるな、目立つな、婚約者は他国王族か侯爵家以上、ドロバンディ一族の前では感情を表情に出すな。

 我が子を失う恐怖と焦りから、余裕をなくしてしまうことも多かった。

「私の唯一の願いは、あなたがドロバンディの陰謀から逃れ、生き延びること」

 フィガロ皇子は、自分は母に愛されていると初めて信じることが出来た。

「ドロバンディ一族に葬られないよう、必ず生き延びます」

 フィガロ皇子は自ら母を抱きしめ返してから、光に包まれて消えた。







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