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29.月夜の遠吠え
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湖に転移すると、フィガロ皇子は急いでクロノアを湖の浅瀬に浸す。輝く月と星空の下で美しい水面がキラキラと反射していた。
透き通った穏やかなさざ波が待っていたかのようにやって来て、揺れていたクロノアを連れ去っていく。水は濁り出し、やがてクロノアの姿は見えなくなった。
「フィー、何をしているの?」
フィガロの背中越しにセラフィーナが覗き込むと、フィガロ皇子はやるせない表情を浮かべて立ち上がり、セラフィーナの方へと振り返った。
「ずっと妖精が一緒にいたんだ。彼女が苦しがって、この湖の水に浸して欲しいと言ったからその通りにしたら、消えてしまった。君と話したいって言ってたんだ。アンジェロとの約束があるって」
「アンジェロと?」
「もしかして、亡くなったのかな……」
フィガロ皇子はクロノアが消えた湖を見つめる。すでに濁りはなく、今はもう底が見えるほど美しく透き通り、穏やかに煌めきながら揺れていた。
「ねえ、フィー? 少し話が変わるんだけど、私ずっとなぜスノーベアが人の行き交う場所まで下りて来たのか不思議だったの。しかも、夏に」
「そういえば以前言っていたね。山を下りる原因を知りたいって。普通のスノーベアはなぜ山を下りないの?」
「スノーベアの主食は、標高が高く雪が一年中残っているような山頂付近にしか生息しないスノーバードを食べるの。スノーといいつつ、シャドウのように真っ黒な鳥よ。だから、スノーバードがいるはずもない場所には現れない。スノーベアは魔法使いを恐れていて、人を恐れているわけではないけど、見た目だけじゃ判断は出来ないから人間すべてを避けていたわね。だから、スノーバードの絶対いない夏の峠なんかに現れて、避けていた人間を襲うしかないのは、山頂付近で何か異変が起きているからでしょ?」
「異変? 異変だ。母も異変のある場所を探せと」
「じゃあ、そこにバルトロの身体があるのかも」
「わかった。必要な支度が整い次第、行ってくる」
「行ってくるって、一人で行く気?」
「もちろん」
「だめよ。スノーベアは二年前に急に峠に現れるようになったんでしょ? なら異変は二年前に起きたのよ。スノーベアが山頂を追われるような。もしかして、バルトロはすでに復活しているとかじゃなくて? そんな場所に一人で行くなんて危険すぎる」
「でも復活にはセラが必要だって聞いた。だからまだ復活はしていないだろうし、セラが行けば復活させてしまうかもしれない」
その時、闇が広がる緑深い森林の奥から狼の遠吠えがしてきた。その声に応えるように、あちらこちらから遠吠えが返ってきては、湖一帯にこだまする。
セラフィーナはビクリと肩を震わせ、辺りを見回しながら少しだけフィガロ皇子の方へと足を動かす。
「フィー、とにかくもう今夜は宿に戻りましょう。続きは宿で」
セラフィーナは手をフィガロ皇子に差し出した。
「そうだね」
フィガロ皇子は差し出された手を握るが、中々転移をしない。
「フィー?」
「ねえ、セラ……」
「ん? なあに?」
だがまたもアオーンという狼の遠吠えが聞こえ、驚いたセラフィーナは思わずフィガロ皇子に抱き着いてしまった。
フィガロ皇子は、遠慮がちにセラフィーナの背中をさすり、ぽんぽんと叩いて安心させようとした。フィガロ皇子の温度の高い手のひらがセラフィーナの背中をじんわり温めて胸に響くと、セラフィーナは落ち着きを取り戻し、慌ててフィガロ皇子から離れた。
「ごめんなさい。ちょっとびっくりしちゃって。それで、フィー、何か言いたいことがあったでしょ。どうしたの?」
セラフィーナは恥ずかしい所を見せてバツが悪そうにフィガロ皇子を見ると、彼は何故かもごもごと言葉を出せずに迷っている様子だった。セラフィーナは失態を挽回しようと、彼の両手を握り、年上の余裕を見せた微笑みで顔をのぞき込む。
「ほら、なあに? 大丈夫だから言ってごらんなさい」
突然フィガロ皇子は大胆な行動を取り、繋がれた手を引き寄せてセラフィーナを自分の腕の中に捕獲した。
フィガロ皇子の腕に囲われ、逃げ場がなくなったセラフィーナは、耳に当たる彼の胸の鼓動を聞く。年上の余裕はどこへやら。今は密着した身体から自分の胸の高鳴りがフィガロ皇子に漏れ聞こえないよう必死に祈るしかない。
フィガロ皇子はセラフィーナをギュッと抱きしめ、彼女の肩越しに乞う。
「もう一度……フィガロって呼んで」
セラフィーナは浅くなった呼吸で、戸惑いつつもその名を呼ぶ。
「フィガロ……」
ただ彼の名前を呼んだだけ。何でもないことなのに、そう呟けば、セラフィーナはなぜか顔も心も熱りだす。こんな顔を見られまいと、フィガロの胸に顔を埋めた。すると、彼の鼓動は先ほどまでとは比べ物にならない程大きく脈打っているのがわかり、余計に顔が上げられなくなる。
狼の遠吠えはすでにセラフィーナの耳には届いていなかった。
今セラフィーナの耳に届き胸を響かせるのは、熱っぽい鼓動と、耳元で囁かれる優しい声、甘くくすぐったい、はにかんだ声だった。
「胸の音……聞かないで。恥ずかしいから……」
フィガロ皇子の手がもう一度ギュッとセラフィーナを強く抱きしめると、二人は宿屋の部屋に転移した。
透き通った穏やかなさざ波が待っていたかのようにやって来て、揺れていたクロノアを連れ去っていく。水は濁り出し、やがてクロノアの姿は見えなくなった。
「フィー、何をしているの?」
フィガロの背中越しにセラフィーナが覗き込むと、フィガロ皇子はやるせない表情を浮かべて立ち上がり、セラフィーナの方へと振り返った。
「ずっと妖精が一緒にいたんだ。彼女が苦しがって、この湖の水に浸して欲しいと言ったからその通りにしたら、消えてしまった。君と話したいって言ってたんだ。アンジェロとの約束があるって」
「アンジェロと?」
「もしかして、亡くなったのかな……」
フィガロ皇子はクロノアが消えた湖を見つめる。すでに濁りはなく、今はもう底が見えるほど美しく透き通り、穏やかに煌めきながら揺れていた。
「ねえ、フィー? 少し話が変わるんだけど、私ずっとなぜスノーベアが人の行き交う場所まで下りて来たのか不思議だったの。しかも、夏に」
「そういえば以前言っていたね。山を下りる原因を知りたいって。普通のスノーベアはなぜ山を下りないの?」
「スノーベアの主食は、標高が高く雪が一年中残っているような山頂付近にしか生息しないスノーバードを食べるの。スノーといいつつ、シャドウのように真っ黒な鳥よ。だから、スノーバードがいるはずもない場所には現れない。スノーベアは魔法使いを恐れていて、人を恐れているわけではないけど、見た目だけじゃ判断は出来ないから人間すべてを避けていたわね。だから、スノーバードの絶対いない夏の峠なんかに現れて、避けていた人間を襲うしかないのは、山頂付近で何か異変が起きているからでしょ?」
「異変? 異変だ。母も異変のある場所を探せと」
「じゃあ、そこにバルトロの身体があるのかも」
「わかった。必要な支度が整い次第、行ってくる」
「行ってくるって、一人で行く気?」
「もちろん」
「だめよ。スノーベアは二年前に急に峠に現れるようになったんでしょ? なら異変は二年前に起きたのよ。スノーベアが山頂を追われるような。もしかして、バルトロはすでに復活しているとかじゃなくて? そんな場所に一人で行くなんて危険すぎる」
「でも復活にはセラが必要だって聞いた。だからまだ復活はしていないだろうし、セラが行けば復活させてしまうかもしれない」
その時、闇が広がる緑深い森林の奥から狼の遠吠えがしてきた。その声に応えるように、あちらこちらから遠吠えが返ってきては、湖一帯にこだまする。
セラフィーナはビクリと肩を震わせ、辺りを見回しながら少しだけフィガロ皇子の方へと足を動かす。
「フィー、とにかくもう今夜は宿に戻りましょう。続きは宿で」
セラフィーナは手をフィガロ皇子に差し出した。
「そうだね」
フィガロ皇子は差し出された手を握るが、中々転移をしない。
「フィー?」
「ねえ、セラ……」
「ん? なあに?」
だがまたもアオーンという狼の遠吠えが聞こえ、驚いたセラフィーナは思わずフィガロ皇子に抱き着いてしまった。
フィガロ皇子は、遠慮がちにセラフィーナの背中をさすり、ぽんぽんと叩いて安心させようとした。フィガロ皇子の温度の高い手のひらがセラフィーナの背中をじんわり温めて胸に響くと、セラフィーナは落ち着きを取り戻し、慌ててフィガロ皇子から離れた。
「ごめんなさい。ちょっとびっくりしちゃって。それで、フィー、何か言いたいことがあったでしょ。どうしたの?」
セラフィーナは恥ずかしい所を見せてバツが悪そうにフィガロ皇子を見ると、彼は何故かもごもごと言葉を出せずに迷っている様子だった。セラフィーナは失態を挽回しようと、彼の両手を握り、年上の余裕を見せた微笑みで顔をのぞき込む。
「ほら、なあに? 大丈夫だから言ってごらんなさい」
突然フィガロ皇子は大胆な行動を取り、繋がれた手を引き寄せてセラフィーナを自分の腕の中に捕獲した。
フィガロ皇子の腕に囲われ、逃げ場がなくなったセラフィーナは、耳に当たる彼の胸の鼓動を聞く。年上の余裕はどこへやら。今は密着した身体から自分の胸の高鳴りがフィガロ皇子に漏れ聞こえないよう必死に祈るしかない。
フィガロ皇子はセラフィーナをギュッと抱きしめ、彼女の肩越しに乞う。
「もう一度……フィガロって呼んで」
セラフィーナは浅くなった呼吸で、戸惑いつつもその名を呼ぶ。
「フィガロ……」
ただ彼の名前を呼んだだけ。何でもないことなのに、そう呟けば、セラフィーナはなぜか顔も心も熱りだす。こんな顔を見られまいと、フィガロの胸に顔を埋めた。すると、彼の鼓動は先ほどまでとは比べ物にならない程大きく脈打っているのがわかり、余計に顔が上げられなくなる。
狼の遠吠えはすでにセラフィーナの耳には届いていなかった。
今セラフィーナの耳に届き胸を響かせるのは、熱っぽい鼓動と、耳元で囁かれる優しい声、甘くくすぐったい、はにかんだ声だった。
「胸の音……聞かないで。恥ずかしいから……」
フィガロ皇子の手がもう一度ギュッとセラフィーナを強く抱きしめると、二人は宿屋の部屋に転移した。
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