深く刻まれた皇妃への想い

さくらぎしょう

文字の大きさ
29 / 38

29.月夜の遠吠え

しおりを挟む
 湖に転移すると、フィガロ皇子は急いでクロノアを湖の浅瀬に浸す。輝く月と星空の下で美しい水面がキラキラと反射していた。
 透き通った穏やかなさざ波が待っていたかのようにやって来て、揺れていたクロノアを連れ去っていく。水は濁り出し、やがてクロノアの姿は見えなくなった。

「フィー、何をしているの?」

 フィガロの背中越しにセラフィーナが覗き込むと、フィガロ皇子はやるせない表情を浮かべて立ち上がり、セラフィーナの方へと振り返った。

「ずっと妖精が一緒にいたんだ。彼女が苦しがって、この湖の水に浸して欲しいと言ったからその通りにしたら、消えてしまった。君と話したいって言ってたんだ。アンジェロとの約束があるって」

「アンジェロと?」

「もしかして、亡くなったのかな……」

 フィガロ皇子はクロノアが消えた湖を見つめる。すでに濁りはなく、今はもう底が見えるほど美しく透き通り、穏やかに煌めきながら揺れていた。

「ねえ、フィー? 少し話が変わるんだけど、私ずっとなぜスノーベアが人の行き交う場所まで下りて来たのか不思議だったの。しかも、夏に」

「そういえば以前言っていたね。山を下りる原因を知りたいって。普通のスノーベアはなぜ山を下りないの?」

「スノーベアの主食は、標高が高く雪が一年中残っているような山頂付近にしか生息しないスノーバードを食べるの。スノーといいつつ、シャドウのように真っ黒な鳥よ。だから、スノーバードがいるはずもない場所には現れない。スノーベアは魔法使いを恐れていて、人を恐れているわけではないけど、見た目だけじゃ判断は出来ないから人間すべてを避けていたわね。だから、スノーバードの絶対いない夏の峠なんかに現れて、避けていた人間を襲うしかないのは、山頂付近で何か異変が起きているからでしょ?」

「異変? 異変だ。母も異変のある場所を探せと」

「じゃあ、そこにバルトロの身体があるのかも」

「わかった。必要な支度が整い次第、行ってくる」

「行ってくるって、一人で行く気?」

「もちろん」

「だめよ。スノーベアは二年前に急に峠に現れるようになったんでしょ? なら異変は二年前に起きたのよ。スノーベアが山頂を追われるような。もしかして、バルトロはすでに復活しているとかじゃなくて? そんな場所に一人で行くなんて危険すぎる」

「でも復活にはセラが必要だって聞いた。だからまだ復活はしていないだろうし、セラが行けば復活させてしまうかもしれない」

 その時、闇が広がる緑深い森林の奥から狼の遠吠えがしてきた。その声に応えるように、あちらこちらから遠吠えが返ってきては、湖一帯にこだまする。
 セラフィーナはビクリと肩を震わせ、辺りを見回しながら少しだけフィガロ皇子の方へと足を動かす。

「フィー、とにかくもう今夜は宿に戻りましょう。続きは宿で」

 セラフィーナは手をフィガロ皇子に差し出した。

「そうだね」

 フィガロ皇子は差し出された手を握るが、中々転移をしない。

「フィー?」

「ねえ、セラ……」

「ん? なあに?」

 だがまたもアオーンという狼の遠吠えが聞こえ、驚いたセラフィーナは思わずフィガロ皇子に抱き着いてしまった。
 フィガロ皇子は、遠慮がちにセラフィーナの背中をさすり、ぽんぽんと叩いて安心させようとした。フィガロ皇子の温度の高い手のひらがセラフィーナの背中をじんわり温めて胸に響くと、セラフィーナは落ち着きを取り戻し、慌ててフィガロ皇子から離れた。

「ごめんなさい。ちょっとびっくりしちゃって。それで、フィー、何か言いたいことがあったでしょ。どうしたの?」

 セラフィーナは恥ずかしい所を見せてバツが悪そうにフィガロ皇子を見ると、彼は何故かもごもごと言葉を出せずに迷っている様子だった。セラフィーナは失態を挽回しようと、彼の両手を握り、年上の余裕を見せた微笑みで顔をのぞき込む。

「ほら、なあに? 大丈夫だから言ってごらんなさい」

 突然フィガロ皇子は大胆な行動を取り、繋がれた手を引き寄せてセラフィーナを自分の腕の中に捕獲した。
 フィガロ皇子の腕に囲われ、逃げ場がなくなったセラフィーナは、耳に当たる彼の胸の鼓動を聞く。年上の余裕はどこへやら。今は密着した身体から自分の胸の高鳴りがフィガロ皇子に漏れ聞こえないよう必死に祈るしかない。

 フィガロ皇子はセラフィーナをギュッと抱きしめ、彼女の肩越しに乞う。

「もう一度……フィガロって呼んで」

 セラフィーナは浅くなった呼吸で、戸惑いつつもその名を呼ぶ。

「フィガロ……」

 ただ彼の名前を呼んだだけ。何でもないことなのに、そう呟けば、セラフィーナはなぜか顔も心もほてりだす。こんな顔を見られまいと、フィガロの胸に顔をうずめた。すると、彼の鼓動は先ほどまでとは比べ物にならない程大きく脈打っているのがわかり、余計に顔が上げられなくなる。

 狼の遠吠えはすでにセラフィーナの耳には届いていなかった。
 今セラフィーナの耳に届き胸を響かせるのは、熱っぽい鼓動と、耳元で囁かれる優しい声、甘くくすぐったい、はにかんだ声だった。

「胸の音……聞かないで。恥ずかしいから……」

 フィガロ皇子の手がもう一度ギュッとセラフィーナを強く抱きしめると、二人は宿屋の部屋に転移した。


 
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さくら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

【完結】以上をもちまして、終了とさせていただきます

楽歩
恋愛
異世界から王宮に現れたという“女神の使徒”サラ。公爵令嬢のルシアーナの婚約者である王太子は、簡単に心奪われた。 伝承に語られる“女神の使徒”は時代ごとに現れ、国に奇跡をもたらす存在と言われている。婚約解消を告げる王、口々にルシアーナの処遇を言い合う重臣。 そんな混乱の中、ルシアーナは冷静に状況を見据えていた。 「王妃教育には、国の内部機密が含まれている。君がそれを知ったまま他家に嫁ぐことは……困難だ。女神アウレリア様を祀る神殿にて、王家の監視のもと、一生を女神に仕えて過ごすことになる」 神殿に閉じ込められて一生を過ごす? 冗談じゃないわ。 「お話はもうよろしいかしら?」 王族や重臣たち、誰もが自分の思惑通りに動くと考えている中で、ルシアーナは静かに、己の存在感を突きつける。 ※39話、約9万字で完結予定です。最後までお付き合いいただけると嬉しいですm(__)m

【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。 復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。 やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、 勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。 過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。 魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、 四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。 輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。 けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、 やがて――“本当の自分”を見つけていく――。 そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。 ※本作の章構成:  第一章:アカデミー&聖女覚醒編  第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編  第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編 ※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位) ※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。

処理中です...