深く刻まれた皇妃への想い

さくらぎしょう

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30.裏切り

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 バルドは村の会合に出席していた。セラ峠からスノーベアの巣穴までのちょうど中間あたりで、男女の無残な遺体が発見されたのだ。まだ腐敗は始まっておらず、数日の間にあった出来事だとわかる。今までと違って村を不安にさせたのが、その男女の遺体のそばで、スノーベアの死体も見つかった事だった。

「スノーベアもやられてるってことは、スノーベア同士で争っているとかなのか?」

「それなら、勝った方が獲物を巣に持ち帰るだろ? 獲物になった人間はスノーベアと一緒に放置されていた」

「じゃあ、スノーベアよりも恐ろしい動物があの山にはいたってことか?」

「聞いたことねぇが、でもそう考えれば、餌場を追われたスノーベアがセラ峠まで下りて来たと自然に考えられる」

「……また、セラ峠を閉じないと」

「閉じた所で、スノーベアを襲った何かがこの村まで来たら?」

「何が来るかもわかんねえとか、何の対策も取れねえだろ」

 村人たちが恐怖に震えながらも興奮して話し合っている様子を、バルドは黙って聞いていた。

「話が変わるが、先日の新聞に載っていた失踪した第四皇子って、あれバルドのとこにいたフィーにそっくりだったよな?」

 バルドは舌打ちして、唸るような声で答えた。

「世の中には似たような人間がうようよいんだろ」

「まあ、そうだけど、もしも本当に皇子だったら、皇子を隠していたとかでこの村が処罰されたりしないのか?」

 それまで妙な熱気に包まれていた部屋の空気が、一転して張り詰めた。

「……お前、フィーを陥れるつもりか?」

「にっ、睨むなよ。もし、って話なだけだろ」

「でも、確かに村全体に関わることだ。おい、バルド。もしフィーが帰ってきたらちゃんと身元を確認しろ」

「じゃあ、もし、あいつが本当に皇子様だって言ったらお前らどうするつもりだ」

 バルドの質問に、全員が口籠った。
 バルドは妻の遺体がスノーベアの巣から帰って来た男を睨む。

「誰のおかげでお前の女房は帰って来れた」

 その隣に座る、東側の商品を扱う商人の男を睨む。

「誰のおかげで商売を再開させられる希望を貰えた」

 バルドは大きな拳で机をドンッと叩いた。

「フィーに身元を確認してもいいが、吊るし上げるための粗探しならしねえぞ。この村はなりだけじゃなく、恩人を手のひら返しで売るような、器まで小せえ村だったのか? この村はガレアータ山脈の麓の村として、何百年も昔は辺境地として国を守った気高い戦士の村だったんだろ? 俺達の熱いこの血は、誰かを陥れるために受け継がれてるわけじゃねえ。誰かを守るために受け継がれてきた血だろ。それがこの村の誇りだったはずだ」

 誰かの喉がゴクリと鳴る音だけが響いた。

「そ……そうだ。俺達は辺境地の戦士の子孫だ」

「今はただの農民が大半だけどな」

「農家をなめんな。農作業で身体は鍛えられてる。あの名峰を越える強靭な足だって先祖からの贈り物だ」

「フィーが真実を話したら、俺達だって協力できることは協力するさ」

「そうだ。でも隠されてたらどうしていいかわからない」

 若い衆のリーダーが鞄の中から新聞を出して広げる。

「これ……写真は載っていないけど、次の皇太子は第四皇子がなるらしい。もし本当にフィーが第四皇子だったなら、彼はただの皇子じゃない。この国の次期皇帝だ」

 バルドはその新聞を奪うように取って凝視して読む。
 読み終えれば、新聞を綺麗に折りたたみ、若い衆のリーダーに返した。

「悪い。先に帰る。フィーの件はわかったから、任せてくれ。って言っても、いつうちに来るかなんてわからねぇがな」

 部屋の中の皆が静かに見守る中、バルドは一人部屋を出た。
 頭の中ではフィーの姿を思い出し、なぜ身分を隠し嘘をついていたのか考える。そして、一年も経ってから皇子失踪の記事。考えるだけ無駄だが、一つだけ確信しているのは、フィーは悪い人間ではなく、助けが必要な子供だったということ。
 もしもフィーが戻ってきたら、先入観なくちゃんと話を聞いてやらないとと思考が固まり出した時、自宅が見えて来た。だが、自宅の前には貴族が乗るような馬車が停まっており、護衛のような者達が馬に乗り待機していた。

 バルドはフィーが本当に皇子だったのだと背筋を凍らせた。

 緊張した面持ちで馬から降りて自宅の柵を越える。護衛の男達に見られながら、バルドは彼らの前を素通りして馬を繋ぎ、家の中に入って行った。

 普段は使わない客間からラーラの笑い声が聞こえる。それと、聞き慣れない男の声と、柔らかな若い女性の声。
 バルドが客間を覗くと、この家には似合わない姿の男女がソファーに座っていた。男のコートは見たことがないほど上質で、首元で立てられた真っ白なシャツにはシミひとつなく、巻かれた真っ赤なクラバットが堀の深い派手な顔を際立たせる。
 男の隣にはフィーくらいの年の娘が座っており、仕立ての良いハイウエストのワンピースドレスを着たプラチナブロンドの髪の、年齢にそぐわない大人びた表情の娘だった。だが、娘の表情は大人びているゆえに隠されているだけで、少し怯えているようにも見える。

 バルドが帰ってきたことに気づいたラーラが大慌てで椅子から立ち上がり、彼のもとに駆け寄る。

「バルド、大変よ! フィーは皇子様だったの」

 バルドは決定的な言葉に心が沈んだ。

「そうか」

「そうかって。この方々はフィーのお兄様のジョアン皇子殿下と、その婚約者のマリエッタ様ですって」

 ジョアン皇子は座ったままバルドに向かって声を掛けた。

「弟が世話になったようで礼を言いたい。もう一人、セラフィーナの面倒も見ていてくれたそうだな」

「セラフィーナ?」

 首を傾げたバルドにラーラは耳打ちした。

「セラの名前よ。本当はセラフィーナだそうよ」

 バルドはジョアン皇子を洞察する。あのフィーの兄と言われようが、どうにも胡散臭い。

「なぜここに皇子殿下とセラフィーナがいたとわかったんですか?」

 バルドは村人の誰かが裏切ったのかと勘繰り、ふつふつと湧きあがる怒りを彼らに悟られないよう堪えながら会話する。
 だがジョアン皇子が長い腕を伸ばせば、バルドの怒りは一瞬で消えた。
 ジョアン皇子はその腕で隣に座るマリエッタの肩を愛でるように抱き寄せていた。

「弟は私の婚約者とずっと文通をしていたんだ。この家から」

 ジョアン皇子は褒美でも与えるかのように、マリエッタのこめかみ辺りに軽くキスをし、頭を撫でた。
 バルドはジョアン皇子とマリエッタに顔は向けていたが、視線はその背後に集まる光に釘付けだった。先日も見たこの輝きが何なのかはもうわかる。

「だめだ……来るなっ!」

 バルドの声は時すでに遅く、ジョアン皇子とマリエッタの背後には転移してきたフィガロ皇子とセラフィーナが立っていた。

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