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37. 深く刻まれた想い
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フィガロ皇子は表情を変えずに、セラフィーナの震える手に自分の手を添えた。
「震えてるよ?」
「自分が燃えるとわかっているのに、震えない者がいると思う?」
「君を燃やすわけないだろ?」
フィガロ皇子はそのままセラフィーナと共に転移する。
転移した先は東ガレリア王国王宮のあった湖。バルトロの襲撃を受け、その姿は惨憺たるものと変わり果てており、陽が落ちた湖は光を失っていた。
「酷いな……」
フィガロ皇子だけには、破壊された自然の中で倒れている妖精たちの姿が見えていた。
「私の故郷で燃やしてくれるなら本望ね」
「だから、燃やさないって」
フィガロ皇子の視線の高さは、セラフィーナを見上げるわけでも、見下ろす高さでもない。今二人は同じ視線の高さで、お互いを真っ直ぐに見つめて会話をしている。
「アンジェロ大帝の生命の書に入り込んだ時、深い後悔と悲しみが私の中に苦しいほど流れ込んで来た。大帝は自分のことを情けないとか、愚かだと言っていたけど、やはり彼は歴代皇帝の中で一番の傑物だったよ。
自分のことよりも、家族や、仲間や、国や、そしてセラフィーナ、君の幸せを優先させて、人生のすべてを捧げた人だった」
アンジェロを語るフィガロ皇子を、セラフィーナは落ち着いた様子で、時折遠い過去のアンジェロを懐かしむ様に目を細めながら聞いていた。彼女は何も言わないが、フィガロ皇子の語るアンジェロは、セラフィーナの知るその人だと言わんばかりに、何度も深い瞬きをして答えてくる。
「生命の書にはアンジェロ大帝の魔法だけでなく、あまりにも深くなってしまった彼の傷までも刻まれていたんだ。
私は……アンジェロ大帝が人生の全てを捧げて育て守ったこの国を、彼の想いに溢れたこの国を、彼の子孫として受け継ぎ、大切にしたい」
「アンジェロの魂は……もうこの世にないのね?」
「そうだよ。空へ向かっただろ?」
セラフィーナの瞳からは涙が溢れ出し、フィガロ皇子にとっては意外な言葉が安堵の溜息とともに出た。
「ああ……良かった……」
「良かった?」
「ええ、良かった。本当に。アンジェロがやっと、全ての責務だけでなく、私からも解放された。やっと……自由に空で輝ける」
「そんな風にセラは思っていたの? 自分がアンジェロを縛り付けていたと?」
「彼の死んだ身体までも使って全てを守ろうとしていた姿を見て、私も彼を縛り付けて苦しめていた存在だったんだと気づけた」
「それは違うよ、セラ!」
フィガロ皇子は思わずセラフィーナの肩を強く掴んだ。
「アンジェロ大帝は、君を心から大切に想っていた。悔しいくらい、この胸に深く刻まれているんだ。もしも時代が違えば、君達はきっと結ばれていた」
「それはどうかしらね」
「え?」
「私達は間違いなく恋をしていた。大恋愛だったわ。でも、彼が最終的に選んだ女性は、ずっと静かに見守り支えてくれた彼の妻。私達の関係が終わるのは、バルトロがいようがいまいが、必然だったはずよ。
私はね、アンジェロの妻に敬意を示したい。私達の複雑な状況を受け入れ、最後までアンジェロを支えたのは紛れもなく彼女。時代が違えば私達は結ばれていたなんて、冗談でも思ってはいけない」
そう言いながらも、セラフィーナはポロポロと涙を流し続けている。
「アンジェロの愛は……彼女のもの……私じゃない」
真っ赤になった鼻をすすり、その姿のまま、少女のような心を見せていた。
彼女の時は、何百年もずっと止まったまま。
「本当、初恋は甘くて、苦くて、懐かしくて……大人への通過点だわ」
暗く沈んだ空には、いつの間にか白く光る月が昇り、雲は晴れて星が輝き始めていた。
フィガロ皇子はセラフィーナの頬を濡らし続ける涙を拭うように、優しく手を添えた。
「じゃあ、次は、最後の恋をしない?」
「最後の恋……?」
セラフィーナの目の前には、自分と同じ目線で会話をするフィガロ皇子がいた。自分の頬に添えられた手のひらは以前よりも大きくなっており、とても温かかった。
もしかしたら、何百年も生きていた割に、自分の心はあの頃のまま。タイムカプセルのように、あの扉の中ですべての時が止まり、成長すらしていなかったのかもしれない。
今はフィガロ皇子の方が、大人のような笑顔を浮かべている。
「私は初恋相手のアンジェロじゃない。生命の書なんて知る前から、君に恋をしていたフィガロだ。紛れもなくこの気持ちは私自身の心からの気持ちだと確信している。なぜなら、私はアンジェロ大帝とは違い、欲深い。君を手に入れられるなら絶対に手放さない」
セラフィーナの瞳は壊れてしまったのか、涙が止まらなくなっている。
「何よ、欲深いって」
何があっても自分を捨てたりしない、揺るぎない愛をずっと求めていた。懐かしい人が自分を置いてどんどん先に逝ってしまうたび、孤独な心は広がり、自分を温めてくれる深い愛を夢見ていたが、飢えた心が満たされる日は九百年もこなかった。
そんな風にしか生きてこられなかった自分は、なんて幼い子供のままだったのか。
「ねえ、だから、セラフィーナ、大人への通過点のその先は、私が一緒に歩んでもいいかな? 君と成長し、一緒に年老いて、人生の最期まで共に歩みたいんだ」
「だから、私は死ねないのよ」
「そんなことはない」
フィガロ皇子がセラフィーナの手を取り、月と星明かりで煌めき始めた湖にゆっくりと誘う。
不老不死が入水で死ねるわけがないのに、彼が何をしようとしているのかセラフィーナは困惑していると、湖が段々と黒く染まり始めていることに気がついた。
「黒い……水?」
「君は最後の黒い水だよ、セラフィーナ。じゃあ、黒い水はどこに消えていたと思う?」
黒い水が黒曜石のように煌めき始め、懐かしい力の源をセラフィーナは感じ始めた。
九百年も遡る故郷の懐かしさを、やっと感じることができたセラフィーナは、熱をもつ喉元に息さえも詰めながら、泣きじゃくる子供の様に嗚咽した。ありありと蘇る思い出には、突然引き離された人々がフラッシュバックのように目に浮かぶ。そして、その中にはバルトロに処刑された父と母の姿までも、はっきりと見えた。
「お父様ぁ……おっ……おっ……お母様ぁ……」
黒い水の湖面から小さな光が浮かび上がり始めると同時に、セラフィーナの髪が漆黒の色から真っ白な白髪へと変わっていく。湖の色の変化は段々と収まり、また美しいエメラルドグリーンの色へと戻った。
だが、湖面の光景にセラフィーナは泣き止み、息を呑み言葉を失った。
浮かび上がった光は、すべて妖精の卵だったのだ。孵化が始まり、光が弾けると、中から虹色の美しい羽が顔を出し、そして光り輝く妖精たちが蛍のように湖の上を飛び始めた。
「これは……妖精?」
セラフィーナの力が湖に分けられたからか、セラフィーナにも妖精の姿がはっきりと見えた。
「黒い水は、妖精に進化していたんだよ。妖精がこの豊かな自然を生み出し、黒い水以上に人々の生活を満たし、潤していた」
フィガロ皇子のもとに一匹の妖精が舞い降りて来た。
「おかえり、クロノア」
「セラフィーナ皇妃を連れてきてくれてありがとう、フィガロ」
クロノアはセラフィーナの黒い水の力ですっかり元気を取り戻し、跳ねるように飛び回る。そして、彼女に力を与えたセラフィーナにもその姿ははっきりと見え、クロノアが自分の顔の前で止まり、人間のマネをしてカーテシーをしたのがわかった。
「セラフィーナ皇妃にご挨拶申し上げます」
「やめて。私はもう皇妃ではないわ」
「では、セラフィーナ様にご挨拶と、贈り物を」
「贈り物?」
「はい。アンジェロとの約束なんです。あなた様の居場所を聞く前にアンジェロが亡くなってしまい、見つけることも出来ず、長いことお待たせしてしまい申し訳ありませんでした」
クロノアがそう言うと、彼女と同じ色に輝く妖精が無数に集まってくる。
「私達は時を操る魔法が使えます。セラフィーナ様のお身体の時間だけを、不老不死になる前にお戻し致します」
「そんなことが出来るの?」
「黒い水から生まれた妖精の魔法は、四大エレメントに留まらない進化したものなんです」
その説明を聞くそばから、セラフィーナの身体が妖精たちの魔法によって輝き始めた。
風にそよぐように浮かび上がる白髪は、毛先からどんどん漆黒の美しい黒髪を取り戻していく。見た目こそ変わらないが、セラフィーナ自身が体内で何かが起きていることを感じ取っていた。
力を使い切った妖精たちはぽとぽとと湖に落ちていく。驚いてセラフィーナが受け止めようとするが、クロノアがフラフラとよろめきながら説明した。
「大丈夫。私達はこの湖に浸れば力を取り戻せるんです。そういうことで……おやす……み……なさい」
言い切ったクロノアは湖へポトリと落ちた。すやすやと眠りながら沈んでいくクロノアは、かつての魔法使いたちが睡眠で魔力を回復している姿そのものであった。
光り輝く湖に浸かりながら、フィガロ皇子はセラフィーナの濡れた手を握り締めて、真剣な表情で見つめた。
「セラフィーナ、私と一緒に人生を歩もう」
セラフィーナは濡れた手で何度も頬を拭うが、拭っても拭っても水が滴り落ちてくる。
「私……もう、あなたと一緒に年老いていけるのね」
「そうだよ。私と最後の恋をしよう。一緒に成長し、しわしわになるんだ。だから、婚約してくれるよね?」
「九百歳を超えたおばあちゃんよ?」
「違うよ。君は十八歳で、やっと時計の針が進むんだ」
「皇太子と婚約できる身分じゃない」
「ラッキーなことに、時代は変わっている。どうにか出来るさ」
「でも、セラフィーナ皇妃と呼ばれるのはもうコリゴリなの」
「皇妃じゃないよ」
「え?」
フィガロ皇子は目を細めて慈しむような瞳でセラフィーナを見つめる。そんな大人の表情を見せたフィガロ皇子の瞳は、揺るぎない愛を感じさせた。
「君は皇后になるんだ。私は側妃は持たない。君と対等でありたい。だから、私が皇帝になったら、君は皇后だ」
「どんな発想なの、フィーは」
はにかむセラフィーナは、フィガロ皇子によって腰に両腕を回され引き寄せられ、さらに顔を赤らめた。
「ねえ、セラフィーナ?」
「な……なあに?」
すでに立場は逆転し、すっかりフィガロ皇子のほうがリードを取る年上の男性のようだった。
「フィーじゃなく、フィガロって呼んでよ」
「フィガロ……これ、意味がある?」
「大ありだよ。私は嫉妬深いんだ。君が私をアンジェロ大帝の代わりとして見ていたらと思うと嫌なんだ。だから、名前で呼んで欲しい。私自身を見て欲しいんだ」
セラフィーナはクスリと笑う。やはりフィガロはまだ幼い。自分の気持ちにまったく気がついていなかったのだ。
セラフィーナはフィガロ皇子の濡れた髪を愛おしそうな目で見つめながら、白く細い指でそっとかき上げた。
「あなたは紛れもなくフィガロという一人の男性よ。いつからか、意識しないようにするため、フィーと呼ぶことで一線を保てた」
二人の心臓は共鳴するかのように高鳴り始め、お互いの胸の音を密着した身体を通して感じる。
「一線を越えてよ。私の婚約者に、妻になるって言って」
「それには約束して」
「するよ、何でも」
泣き止んでいたはずのセラフィーナは、最後に一粒だけ涙をスッと流した。
「私より先に死なないって」
フィガロ皇子はその涙を拭い去る。
これで彼女の悲しみがすべて取り除かれるようにと願い、生命の書に深く刻み込まれたアンジェロ大帝のセラフィーナに対する懺悔や幸せを願う想いが昇華されるようにと祈り、自らの心にはセラフィーナへの決意とも呼べる想いを深く刻み込みながら……。
「約束しよう」
「震えてるよ?」
「自分が燃えるとわかっているのに、震えない者がいると思う?」
「君を燃やすわけないだろ?」
フィガロ皇子はそのままセラフィーナと共に転移する。
転移した先は東ガレリア王国王宮のあった湖。バルトロの襲撃を受け、その姿は惨憺たるものと変わり果てており、陽が落ちた湖は光を失っていた。
「酷いな……」
フィガロ皇子だけには、破壊された自然の中で倒れている妖精たちの姿が見えていた。
「私の故郷で燃やしてくれるなら本望ね」
「だから、燃やさないって」
フィガロ皇子の視線の高さは、セラフィーナを見上げるわけでも、見下ろす高さでもない。今二人は同じ視線の高さで、お互いを真っ直ぐに見つめて会話をしている。
「アンジェロ大帝の生命の書に入り込んだ時、深い後悔と悲しみが私の中に苦しいほど流れ込んで来た。大帝は自分のことを情けないとか、愚かだと言っていたけど、やはり彼は歴代皇帝の中で一番の傑物だったよ。
自分のことよりも、家族や、仲間や、国や、そしてセラフィーナ、君の幸せを優先させて、人生のすべてを捧げた人だった」
アンジェロを語るフィガロ皇子を、セラフィーナは落ち着いた様子で、時折遠い過去のアンジェロを懐かしむ様に目を細めながら聞いていた。彼女は何も言わないが、フィガロ皇子の語るアンジェロは、セラフィーナの知るその人だと言わんばかりに、何度も深い瞬きをして答えてくる。
「生命の書にはアンジェロ大帝の魔法だけでなく、あまりにも深くなってしまった彼の傷までも刻まれていたんだ。
私は……アンジェロ大帝が人生の全てを捧げて育て守ったこの国を、彼の想いに溢れたこの国を、彼の子孫として受け継ぎ、大切にしたい」
「アンジェロの魂は……もうこの世にないのね?」
「そうだよ。空へ向かっただろ?」
セラフィーナの瞳からは涙が溢れ出し、フィガロ皇子にとっては意外な言葉が安堵の溜息とともに出た。
「ああ……良かった……」
「良かった?」
「ええ、良かった。本当に。アンジェロがやっと、全ての責務だけでなく、私からも解放された。やっと……自由に空で輝ける」
「そんな風にセラは思っていたの? 自分がアンジェロを縛り付けていたと?」
「彼の死んだ身体までも使って全てを守ろうとしていた姿を見て、私も彼を縛り付けて苦しめていた存在だったんだと気づけた」
「それは違うよ、セラ!」
フィガロ皇子は思わずセラフィーナの肩を強く掴んだ。
「アンジェロ大帝は、君を心から大切に想っていた。悔しいくらい、この胸に深く刻まれているんだ。もしも時代が違えば、君達はきっと結ばれていた」
「それはどうかしらね」
「え?」
「私達は間違いなく恋をしていた。大恋愛だったわ。でも、彼が最終的に選んだ女性は、ずっと静かに見守り支えてくれた彼の妻。私達の関係が終わるのは、バルトロがいようがいまいが、必然だったはずよ。
私はね、アンジェロの妻に敬意を示したい。私達の複雑な状況を受け入れ、最後までアンジェロを支えたのは紛れもなく彼女。時代が違えば私達は結ばれていたなんて、冗談でも思ってはいけない」
そう言いながらも、セラフィーナはポロポロと涙を流し続けている。
「アンジェロの愛は……彼女のもの……私じゃない」
真っ赤になった鼻をすすり、その姿のまま、少女のような心を見せていた。
彼女の時は、何百年もずっと止まったまま。
「本当、初恋は甘くて、苦くて、懐かしくて……大人への通過点だわ」
暗く沈んだ空には、いつの間にか白く光る月が昇り、雲は晴れて星が輝き始めていた。
フィガロ皇子はセラフィーナの頬を濡らし続ける涙を拭うように、優しく手を添えた。
「じゃあ、次は、最後の恋をしない?」
「最後の恋……?」
セラフィーナの目の前には、自分と同じ目線で会話をするフィガロ皇子がいた。自分の頬に添えられた手のひらは以前よりも大きくなっており、とても温かかった。
もしかしたら、何百年も生きていた割に、自分の心はあの頃のまま。タイムカプセルのように、あの扉の中ですべての時が止まり、成長すらしていなかったのかもしれない。
今はフィガロ皇子の方が、大人のような笑顔を浮かべている。
「私は初恋相手のアンジェロじゃない。生命の書なんて知る前から、君に恋をしていたフィガロだ。紛れもなくこの気持ちは私自身の心からの気持ちだと確信している。なぜなら、私はアンジェロ大帝とは違い、欲深い。君を手に入れられるなら絶対に手放さない」
セラフィーナの瞳は壊れてしまったのか、涙が止まらなくなっている。
「何よ、欲深いって」
何があっても自分を捨てたりしない、揺るぎない愛をずっと求めていた。懐かしい人が自分を置いてどんどん先に逝ってしまうたび、孤独な心は広がり、自分を温めてくれる深い愛を夢見ていたが、飢えた心が満たされる日は九百年もこなかった。
そんな風にしか生きてこられなかった自分は、なんて幼い子供のままだったのか。
「ねえ、だから、セラフィーナ、大人への通過点のその先は、私が一緒に歩んでもいいかな? 君と成長し、一緒に年老いて、人生の最期まで共に歩みたいんだ」
「だから、私は死ねないのよ」
「そんなことはない」
フィガロ皇子がセラフィーナの手を取り、月と星明かりで煌めき始めた湖にゆっくりと誘う。
不老不死が入水で死ねるわけがないのに、彼が何をしようとしているのかセラフィーナは困惑していると、湖が段々と黒く染まり始めていることに気がついた。
「黒い……水?」
「君は最後の黒い水だよ、セラフィーナ。じゃあ、黒い水はどこに消えていたと思う?」
黒い水が黒曜石のように煌めき始め、懐かしい力の源をセラフィーナは感じ始めた。
九百年も遡る故郷の懐かしさを、やっと感じることができたセラフィーナは、熱をもつ喉元に息さえも詰めながら、泣きじゃくる子供の様に嗚咽した。ありありと蘇る思い出には、突然引き離された人々がフラッシュバックのように目に浮かぶ。そして、その中にはバルトロに処刑された父と母の姿までも、はっきりと見えた。
「お父様ぁ……おっ……おっ……お母様ぁ……」
黒い水の湖面から小さな光が浮かび上がり始めると同時に、セラフィーナの髪が漆黒の色から真っ白な白髪へと変わっていく。湖の色の変化は段々と収まり、また美しいエメラルドグリーンの色へと戻った。
だが、湖面の光景にセラフィーナは泣き止み、息を呑み言葉を失った。
浮かび上がった光は、すべて妖精の卵だったのだ。孵化が始まり、光が弾けると、中から虹色の美しい羽が顔を出し、そして光り輝く妖精たちが蛍のように湖の上を飛び始めた。
「これは……妖精?」
セラフィーナの力が湖に分けられたからか、セラフィーナにも妖精の姿がはっきりと見えた。
「黒い水は、妖精に進化していたんだよ。妖精がこの豊かな自然を生み出し、黒い水以上に人々の生活を満たし、潤していた」
フィガロ皇子のもとに一匹の妖精が舞い降りて来た。
「おかえり、クロノア」
「セラフィーナ皇妃を連れてきてくれてありがとう、フィガロ」
クロノアはセラフィーナの黒い水の力ですっかり元気を取り戻し、跳ねるように飛び回る。そして、彼女に力を与えたセラフィーナにもその姿ははっきりと見え、クロノアが自分の顔の前で止まり、人間のマネをしてカーテシーをしたのがわかった。
「セラフィーナ皇妃にご挨拶申し上げます」
「やめて。私はもう皇妃ではないわ」
「では、セラフィーナ様にご挨拶と、贈り物を」
「贈り物?」
「はい。アンジェロとの約束なんです。あなた様の居場所を聞く前にアンジェロが亡くなってしまい、見つけることも出来ず、長いことお待たせしてしまい申し訳ありませんでした」
クロノアがそう言うと、彼女と同じ色に輝く妖精が無数に集まってくる。
「私達は時を操る魔法が使えます。セラフィーナ様のお身体の時間だけを、不老不死になる前にお戻し致します」
「そんなことが出来るの?」
「黒い水から生まれた妖精の魔法は、四大エレメントに留まらない進化したものなんです」
その説明を聞くそばから、セラフィーナの身体が妖精たちの魔法によって輝き始めた。
風にそよぐように浮かび上がる白髪は、毛先からどんどん漆黒の美しい黒髪を取り戻していく。見た目こそ変わらないが、セラフィーナ自身が体内で何かが起きていることを感じ取っていた。
力を使い切った妖精たちはぽとぽとと湖に落ちていく。驚いてセラフィーナが受け止めようとするが、クロノアがフラフラとよろめきながら説明した。
「大丈夫。私達はこの湖に浸れば力を取り戻せるんです。そういうことで……おやす……み……なさい」
言い切ったクロノアは湖へポトリと落ちた。すやすやと眠りながら沈んでいくクロノアは、かつての魔法使いたちが睡眠で魔力を回復している姿そのものであった。
光り輝く湖に浸かりながら、フィガロ皇子はセラフィーナの濡れた手を握り締めて、真剣な表情で見つめた。
「セラフィーナ、私と一緒に人生を歩もう」
セラフィーナは濡れた手で何度も頬を拭うが、拭っても拭っても水が滴り落ちてくる。
「私……もう、あなたと一緒に年老いていけるのね」
「そうだよ。私と最後の恋をしよう。一緒に成長し、しわしわになるんだ。だから、婚約してくれるよね?」
「九百歳を超えたおばあちゃんよ?」
「違うよ。君は十八歳で、やっと時計の針が進むんだ」
「皇太子と婚約できる身分じゃない」
「ラッキーなことに、時代は変わっている。どうにか出来るさ」
「でも、セラフィーナ皇妃と呼ばれるのはもうコリゴリなの」
「皇妃じゃないよ」
「え?」
フィガロ皇子は目を細めて慈しむような瞳でセラフィーナを見つめる。そんな大人の表情を見せたフィガロ皇子の瞳は、揺るぎない愛を感じさせた。
「君は皇后になるんだ。私は側妃は持たない。君と対等でありたい。だから、私が皇帝になったら、君は皇后だ」
「どんな発想なの、フィーは」
はにかむセラフィーナは、フィガロ皇子によって腰に両腕を回され引き寄せられ、さらに顔を赤らめた。
「ねえ、セラフィーナ?」
「な……なあに?」
すでに立場は逆転し、すっかりフィガロ皇子のほうがリードを取る年上の男性のようだった。
「フィーじゃなく、フィガロって呼んでよ」
「フィガロ……これ、意味がある?」
「大ありだよ。私は嫉妬深いんだ。君が私をアンジェロ大帝の代わりとして見ていたらと思うと嫌なんだ。だから、名前で呼んで欲しい。私自身を見て欲しいんだ」
セラフィーナはクスリと笑う。やはりフィガロはまだ幼い。自分の気持ちにまったく気がついていなかったのだ。
セラフィーナはフィガロ皇子の濡れた髪を愛おしそうな目で見つめながら、白く細い指でそっとかき上げた。
「あなたは紛れもなくフィガロという一人の男性よ。いつからか、意識しないようにするため、フィーと呼ぶことで一線を保てた」
二人の心臓は共鳴するかのように高鳴り始め、お互いの胸の音を密着した身体を通して感じる。
「一線を越えてよ。私の婚約者に、妻になるって言って」
「それには約束して」
「するよ、何でも」
泣き止んでいたはずのセラフィーナは、最後に一粒だけ涙をスッと流した。
「私より先に死なないって」
フィガロ皇子はその涙を拭い去る。
これで彼女の悲しみがすべて取り除かれるようにと願い、生命の書に深く刻み込まれたアンジェロ大帝のセラフィーナに対する懺悔や幸せを願う想いが昇華されるようにと祈り、自らの心にはセラフィーナへの決意とも呼べる想いを深く刻み込みながら……。
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※本作の章構成:
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第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編
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※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位)
※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。
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