深く刻まれた皇妃への想い

さくらぎしょう

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2. お菓子の力

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 落ち葉を踏み、カサ、カサと鳴る足音に段々と心は落ち着き、温かな黄金の道を抜ければ、開けた場所に辿り着く。木製の柱や梁が露出したハーフティンバー様式の古民家が点在している。学生寮や教職員宿舎である。
 その内の一軒の男子寮の煙突から白い煙が出ていた。そばを通る時、バターの甘い香りが漂い、二人とも思わずスッと鼻から息を吸い込む。あまりにも美味しそうな香りに目尻は下がり、ついついその寮の前を通り過ぎる際に窓を一瞥すれば、窓際に立っていた男子生徒とばっちり目が合ってしまった。

 柔らかなオリーブブラウンの長い髪を後ろで一つに束ね、表情も柔らかにこちらに微笑む男子生徒は、少年時代も終わり、大人の男性へと変化を始めた姿であった。つまり、おそらく、最上級生である。

 エプロン姿で今しがたオーブンから取り出したばかりであろう、ほかほかと焼けたばかりのケーキスポンジを乗せたトレーを、分厚いミトンをはめた片手で持っており、にっこりと微笑みながらもう片方の手で皇子とマリエッタに手招きしている。

 上級生の誘いを無下にしたばかりのフィガロ皇子は、さすがに二度はないと寮の中へと入って行く。マリエッタはそこが男子寮であった為少し悩んだが、まだ時間的には女子生徒が一階共用部に入ったところで問題にはならない時間だったので、フィガロ皇子に続いて入って行った。

「やあ、こっちだよ。来て来て」

 中に入れば、エプロン姿の上級生が玄関ホール奥にあるアーチ型の出入口から身体を半分出して手招きしている。

 呼ばれるがまま、フィガロ皇子とマリエッタは上級生のもとまで向かった。アーチ型の出入口に入れば、そこはキッチンで、テーブルの上には先ほどのケーキスポンジが置かれている。

「ケーキを焼いたんだけど、一人で食べるには多いから一緒に食べてくれないか?」

「えーっと……」

 返事に困ったフィガロ皇子が隣に立つマリエッタを見れば、冷静な表情を保ちながらも、どこか誘惑と戦っている表情にも見えた。

「あの、では、お言葉に甘えて頂きます。ね、マリエッタ」

「え? ええ! ぜひ」

 マリエッタの表情がパッと華やぎ、やはり食べたいのを我慢していたのだとフィガロ皇子は確信し、笑顔を見せた。

「僕はレリオ・ティベリオ。今年が青春時代最後の年。君達は新入生かな?」

 レリオは楽しそうにスポンジを半分に切りながら二人に聞いた。

「はい、新入生です。私はフィガロ・ヴァレリアーニと申します」

 フィガロ皇子の名を聞いたレリオはぴたりと手を止めた。そして慌ててナイフを置くと、急いで礼儀正しくお辞儀をする。

「これは失礼いたしました。皇子殿下とは露知らず、ご無礼を働きましたことお許しください」

「いえ、ここでは私はただの一生徒にしかすぎなく、レリオ先輩の後輩として扱って頂けますようお願いいたします」

 頭を下げるフィガロ皇子に、レリオはぶんぶんと両手を振る。

「やっ、やめてください。わかりました。殿下のおっしゃる通りに致しますから、どうぞお顔を上げてください」

「ありがとうございます」

 フィガロ皇子は顔を上げ、にこりと微笑んだ。レリオはこの状況に苦笑いしながら、マリエッタの方へと視線を移す。

「まさかあなたも皇族やどこかの王族ですか?」

 マリエッタは気品に満ちたカーテシーを披露して返事をする。

「ご安心ください。私はただの貴族で、マリエッタ・ヴィスコンテと申します」

 マリエッタの名を聞いたレリオは、首をかっくんと後ろへ曲げ、そのまま唖然としながら天井を見つめた。

「こっちはジョアン皇子殿下の婚約者殿だったか……」

 レリオは首を振り頭を切り替えると、一番最初に二人に見せた柔らかな笑顔に変えて首を戻した。

「承知いたしました。では遠慮なく先輩面させて頂きます。なぜなら私はこの学校の理事長の息子で、来年にはあなたたちの先生ですから」

「そうでしたか。それは失礼いたしました」

「はは、まあ、そうでも言わないと中々皇子殿下に偉そうに振る舞えないだけなので、私が何者かは特にお気になさらず」

 レリオは笑いながらテーブルに置かれていた瓶に手を伸ばして蓋を開けると、半分に切ったケーキにジャムを塗り始める。

 鮮やかなルビー色のジャムにはつぶつぶとした種が見え、想像し得る味と食感にすでに二人は口の中に唾液が溢れて喉を鳴らしている。

「それはもしかして、ラズベリージャムでしょうか?」

 マリエッタの前のめりな視線と質問に、レリオは微笑みを返す。

「そうだよ。ラズベリー好き? このジャムも僕の手作りなんだよ。ラズベリーだって、せっせと畑作業を手伝って、おすそ分けして貰ったんだ」

「授業以外で、わざわざ畑作業をされたんですか?」

「そう。大変だけど、太陽の下で土に触れるってすっごく気持ちがいいよ。マリエッタ嬢も今度やってみたらいいよ」

 たっぷりと半分に切ったスポンジ一面にラズベリージャムを塗り終えると、その上にもう半分のスポンジを乗せ、最後に粉砂糖を振りかけた。
 手際よく紅茶まで入れ、テーブルにケーキセットが並べられれば、三人は席に着き出来立てのケーキを口に運ぶ。

「美味しい……」

 マリエッタは感動して口元を手でおさえた。

 バターたっぷりの密度のあるスポンジと、甘酸っぱいラズベリージャムの酸味が口いっぱいに広がり、小粒の種たちの食感が果実感を増して、シンプルながらもとても美味しく、マリエッタ好みの味だった。

「それは良かった。お菓子作りが趣味でしょっちゅう作ってるから、また食べに来てよ」

 レリオは目尻を下げ、ふわりと笑顔を見せる。

 マリエッタは初めてレリオのような男性に出会った。甘いお菓子のようなレリオの笑顔に戸惑い、視線をケーキに向けてこくりと頷くしかなかった。その姿は十三歳の少女らしい初々しさだった。

 フィガロ皇子と言えば、ケーキのあまりの美味しさに夢中になって食べていたため、二人のやり取りは一切見ていなかった。

「フィガロ様は……甘党?」

 ケーキをぺろりと食べ終えたフィガロ皇子は、やっと意識を現実に戻し、口元をナプキンで拭きながらレリオに答える。

「お恥ずかしい姿をお見せしました……甘いものは城ではあまり食べさせてもらえなかったもので、目がなく……」

 レリオは驚いて目を瞬き、同じように夢中になってケーキを食べていたマリエッタを見る。

「まさか君も?」

 マリエッタは顔を赤くしながら口元をナプキンで拭いた。

「あの……ええ、太りますから。虫歯を誇る人もいますが、私の母は見た目が悪いからと虫歯になるような甘いものは許してくれず、テーブルマナーのレッスンくらいでしか食べられませんでした。でもそのレッスンで出るケーキが本当に楽しみで……」

「高貴な人ほど菓子を食べまくってると思っていたよ……」

「でもまあ、ここまで厳しかったのは私とフィガロ様くらいじゃないでしょうか」

 マリエッタはちらっとフィガロ皇子に伺うような視線を投げた。

「そうですね。でも、マリエッタの両親は彼女の縁談のため、私の場合は同母である兄が病気で亡くなったので、母が私の健康に神経質になってしまっただけです。どちらも親心からと理解しています」

「ああ、皇妃様の最初のお子様であられた前皇太子殿下だね。亡くなられたのは残念だった」

「なんだか辛気臭くなってしまいましたね。そういえばレリオ先輩は、封印の部屋に行かれたことはありますか?」

 新入生の口から噂の部屋の名を聞き、レリオは思わずクスっと笑ってしまった。

「学校生活最初のワクワクだね? そりゃ好奇心旺盛な生徒なら一度くらいはあの規制線を越えて行ったことがある。だからもちろん僕も夜中に友人達と忍び込んだよ。でも、扉を開けて部屋の中まで入った生徒はいないよ」

「私もあんな怪談を聞いたら、さすがに中に入ろうとは思わないわ」

「実際にノックしちゃう奴は沢山いるよ。僕の時も威勢のいいやつがいて、ノックしたんだ。でも何も起こらなかったし、ドアを開けようとしてもドアノブが回らないんだ」

「貴重な部屋なら鍵が掛かってて当然だわ」

「封印だろ?」

「まさか。魔法なんて昔の人の迷信です」

「さあ~どうかなぁ~。実際魔法の痕跡は世界各地にあるわけだし」

「私は信じません。殿下だって信じていませんよね?」

 同意を求めたマリエッタに、フィガロ皇子は言い辛そうに答えた。

「魔法は確かにあったんだよ、マリエッタ」

「うそ……」

 マリエッタは両手で口を覆った。

「ジョアン皇子と結婚すれば、いずれ王城で資料が見れるよ」

 フィガロ皇子は席を立ち、食べた食器を片そうとする。

「そのままでいいよ。そろそろ門限の時間になるから、マリエッタは早く男子寮から出た方がいいし」

「あらやだ、本当だわ」

 マリエッタも立ち上がり、ケーキをくれたレリオに向かってお辞儀した。

 レリオは棚に置いていた手作りのクッキーが入った小袋を二人に渡す。

「夜中小腹が空いたらこっそり食べたらいい」

 フィガロとマリエッタは大喜びして制服のポケットにしまうと、レリオに挨拶をし、上級生の男子寮を出た。
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