深く刻まれた皇妃への想い

さくらぎしょう

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3.世界が輝く瞬間

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 マリエッタを女子寮まで送る際、フィガロ皇子は何だか彼女の様子がおかしいことに気づく。頬はいつもより血色が良く、前を向いているのに視線はどこか遠くを見ている。そして時折溜息を漏らしていた。

「マリエッタ?」

 フィガロ皇子の声がまったく聴こえていなかった。

「マリエッタ、どうしたの?」

 フィガロ皇子がマリエッタの肩に手を乗せると、やっと気づいたマリエッタは惚けた顔をフィガロ皇子に向けた。

「へっ?」

 フィガロ皇子はこの顔を見てやっと何かに気づく。

「まさか……レリオに惚れた?」

「ひぇっ!? そそそんな、私はジョアン皇子殿下の婚約者ですよ? 冗談もほどほどにしてください」

「マリエッタ……」

 フィガロ皇子はマリエッタを心配そうに見つめた。

 二人は幼馴染で、互いの努力をずっと見て来た。何を我慢し、何を使命として、自分を殺して生きて来たか。
 最初は同じ年の二人が婚約を結ぶ可能性が高かった。だから幼いころから親の計らいで顔を合わせる機会が多かったのだが、前皇太子が病気で亡くなったのをきっかけに、皇妃のフィガロ皇子への過干渉が始まり、婚約者候補は他国王族か侯爵家以上の娘とされ、子爵家のマリエッタは除外された。

 ただ、結婚の可能性が消えて二人とも心からホッとした。互いを知れば知るほど、仲の良い兄妹のような友情が育まれてしまったのだ。いつかこの人と結ばれ、後継ぎを残さないといけない。二人はそう思うと、どこか違和感を感じ、相手を婚約者候補として見ようとすれば、罪の意識を感じてしまうほど、二人は互いを異性として見れなくなっていた。
 だから、結婚の可能性が消えたおかげで、心置きなく親友として過ごしている。

 そんな二人には特別な約束がある。

「マリエッタ。真実の瞳だ」

「ええっ!? 嫌ですよ」

「問答無用」

 フィガロ皇子はポケットからコインを取り出し、空に向けて勢いよく指で弾いた。
 コインは空中をクルクルと回転しながら落ちてくる。フィガロ皇子がそれを手でキャッチして、コインは隠したままマリエッタの前に差し出す。

 マリエッタは見えないコインを見つめて唸った。

「う……裏」

 フィガロ皇子が手をパッと広げると、瞳のようなコインの柄が現れた。

「残念、表。真実の瞳だ」

 コインの瞳がマリエッタをジッと見つめている。
 マリエッタは観念してフィガロ皇子に答えた。

「絶対秘密ですよ」

「誓う」

「レリオ様が笑った瞬間、世界が輝いたんです」

「そうか」

 マリエッタはフィガロ皇子の返答に不服そうに目を細める。

「馬鹿にしてますね。どうせ殿下も恋を知ったら同じことを言うんですよ。逆に、この気持ちが一生わからなければ、私は殿下に同情します」

「どうせ結婚相手は周りが決める。そんな気持ち、知らない方が幸せだ」

「なら、私が殿下の正式な妻となったら、受け入れられますか?」

「もちろんだ」

「私と子を成さなければならなくても?」

 フィガロ皇子の眉間に皺が寄り、マリエッタから視線が逸れる。

「……当然」

 一切視線を合わせようとしないフィガロ皇子に、マリエッタが皇子を心配そうに見つめ、溜息をついた。

「殿下はお優しい。きっと、本当に私が妻になっても責務を果たすでしょう。でも、その瞬間に私達のこの居心地の良い最高の関係は終わります。だって、兄に抱かれるようなものですから」

「マリエッタ、もうその可能性はないんだから。こんな無駄な話はやめよう」

「本能が求めるんです。あの人と結ばれたいと。もちろん、そんな事は無理ですけど、この感情を知ることが出来ただけで、私は生まれて来た意味をほんの少し知った気がします。本能のまま責務を放棄すると言っているわけではないです。だからせめて私達……少しくらい、自分の本当の感情を感じてもいいじゃないですか。この世に生まれて来たのだから」

 俯いてしまったマリエッタに、フィガロ皇子はやるせない気持ちでため息を吐いた。

「マリエッタ……恋なんて貴族達から散々聞くし、いくつかそういった類の本も読んだ。大体どんな気持ちかは想像がつくし、それが我々のような人間には危険だとも思っている。私も、実の兄達よりもマリエッタに本当の兄妹のような絆を感じている。だからどうか、不幸になる様な恋はしないで欲しい」

「殿下……恋は不幸ではなく、それこそ魔法です。たとえ実らなくても、力を与えてくれます。でも殿下のお気持ちもとても嬉しく思います。私も殿下には幸せになって頂きたいと心から願っておりますよ」

「もちろん私は幸せだよ、マリエッタ」


 ✻

 深夜、目が覚めてしまったフィガロ皇子は、外に気配を感じて、ベッドから降りて窓まで近づいて外を見れば、人影が見える。
 目を凝らしてそれが誰か確かめようとすると、運よく人影に月明りが差して顔が見えた。

「ジェズアルド?」

 それはフィガロ皇子と一緒に生徒会メンバーとなった、同級生のジェズアルド・ソレンギだった。

 フィガロ皇子は周りを起こさないように気を付けて、壁にかけられた制服のジャケットに手を伸ばし、すぐに外へと向かいジェズアルドを追った。

 すでにジェズアルドの姿はないが、行先はわかっていたので迷わず校舎へと走る。昼間はあんなにも美しかった黄葉の並木道が、今は闇を纏った恐ろしい森に見えた。ブルリと身が震えたのは秋の深夜の寒さからか、それとも恐怖心からくる悪寒か、フィガロ皇子は震えを止めようと手に掴んでいた制服のジャケットを着た。
 並木道を一秒でも早く駆け抜けようと速度は速まり、わずかに開かれた校門に勢いをつけて飛び込んだ。

 膝に手をつき、ゼエゼエと上がった息を整える。

「ハァ……ハァ……一体……どこから校舎に入るんだ?」
 
 フィガロ皇子が校門から少し離れた位置にある校舎を眺めると、校舎横の巨木から人影が二階バルコニーに飛び乗ったのが見えた。

「あそこか」

 フィガロ皇子は巨木を登り、二階バルコニーに飛び降りると、校舎の窓を順に手で触れて開くか確かめていく。一番端の窓に触れた時、ガタッと上に持ち上げて窓を開くことが出来た。
 そこからフィガロ皇子は校内に侵入すると、再び闇に呑まれた薄気味悪い空間に飛び込んでしまった。

 ここまで来たら後戻りするわけにもいかず、大きく深呼吸してから足早に廊下に出る。目の前に飛び込んで来た階段を駆け上がり、規制線のチェーンをまたいで越えた。脇目もふらず、余計なものを視界にいれず、とにかく封印の部屋へと一心不乱に突き進めば、やっとの思いで封印の部屋まで辿り着く。だが、そこにジェズアルドはいなかった。

 封印の部屋の扉には、大きな赤黒い魔法陣が描かれている。
 綺麗な円形とは言い難い、円の端々が不気味に垂れ滴たる、見るからに怪しい魔法陣が描かれた扉。

 その不気味さに、段々と赤い絵具ではなく、血で描かれているように見えてくる。

 フィガロ皇子は両手で肩を掴んでブルッと身震いした。これはやはり恐怖心だった。

 ジェズアルドがいないのなら、自分はここに用はないと引き返そうとした時、部屋の中から物音がした。

 心臓が跳ね上がり、息も足も止める。

 ゆっくりと首を動かして扉を見つめた。今は何も聞こえない。

 慎重に忍び足で扉に近づき、そっと耳をあてる。

 コツコツコツ……

 やはり中に誰かいる気配がする。

 フィガロ皇子は扉の前で拳を作った。

 コンッ

 扉を一回ノックしたが、特に何も起きなかった。

 フィガロ皇子は一気に力が抜けて、思わずハハッと笑い声が漏れてしまう。更に何を思ったのかドアノブを回してしまった。だが内側からも誰かがドアノブに触れている感触を感じ取った瞬間、扉の魔法陣が青白い光を放ち始め、封印の部屋の前の廊下を煌々と照らした。

 明らかに異常な事態を目の当たりにしたフィガロ皇子は、急いでドアノブから手を離そうとしたが、まったく離れなくなってしまった。
 次第に扉が内側にゆっくりと開き始め、ドアノブから手を離せないフィガロ皇子はそのまま部屋の中へといざなわれてしまう。
 バランスが保てず部屋の中に倒れ込むと、手はドアノブから離れていた。だが、振り返ればそこには壁しかなく、扉自体が無くなっていた。

 コツ……

 足音が今度は生々しく耳に響いた。恐怖で身体は震え、自分のそばに誰かが立っていることには気づいているが、視線を向けることが出来なかった。

「違う……。そうよね、そんな筈ないし……じゃあこの子は」

 血の通った声がして、フィガロ皇子は気配のしている場所に振り返る。

 目に飛び込んで来た景色に、マリエッタの言っていた、世界が輝く瞬間を知ってしまった——。
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