深く刻まれた皇妃への想い

さくらぎしょう

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12.生命の書

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 放課後、マリエッタはフェリーチャに会いに実験室へと向かった。

 実験室の扉を少しだけ開けて中を覗くと、なぜかフェリーチャはブロッコリーをゴリゴリとすり鉢ですりつぶしている。
 実験台の上にはビーカーなどこの教室に似合うそれっぽいものもあるのだが、逆に様々な野菜や、塩袋、結露したバケツの中に酒瓶が入っているなど、調理場かとも思えるものも見える。

「失礼いたします」

 マリエッタは扉を全開にして声を出した。
 フェリーチャは驚きの余り肩がビクッと跳ね上がり、扉の方へと振り返る。

「やだ、びっくりした。どうされましたか?」

「今されていることが気になりまして……それは何ですか?」

「ああ、これですか?」

 マリエッタの指差した方へ視線を移し、今すりつぶしていた物を確認すると、マリエッタに向かってはじけるような笑顔を見せた。

「そうそう、ちょっと急ぐんです。こっちに来て見ていてください」

 彼女の朗らかな雰囲気は、噂を聞いていなければ好感しか持てない。

 マリエッタは扉を閉めて中に入って行く。
 実験台を挟んだフェリーチャの前で座り、彼女がしていることをじっと見つめた。

 謎の水溶液をすり潰した野菜に加えてゆっくり混ぜ、麻布を被せたビーカーでろ過をする。
 ぽたり、ぽたりとビーカーに落ちる緑の液体を二人で静かに見守った。

 マリエッタはこの静寂の時間に戸惑いつつも、ビーカーの中がどうなるのか気になって来た。

 ろ過が終われば、棒を使ってビーカーの壁を伝わせながらゆっくりとアルコールを注いだ。そのアルコールからは強い香りが漂い、度数の高さをうかがわせた。
 ビーカーの中は濾過して出来た緑色の下層と、注いだアルコールの透明な上層との二層になった。
 段々とその透明な上層に白い糸のようなものが姿を浮き上がらせ、漂い始める。

「ほら」

 声を出したフェリーチャに、これがこの実験の結果なのかとマリエッタは少しがっかりした。
 確かに面白い現象だが、マリエッタには思っていたほど感動するような出来事でもなかったのだ。

「これが……何か?」

「この白い糸は生命の書です」

「生命の書???」

「そう。この中に、この野菜の姿や形や色を決める情報が詰め込まれてるんですよ」

「そんなことが? 人にも生命の書はあるのですか?」

「もちろん。この生命の書は、生き物全てが親から子へと受け継ぎ紡いでいるのです」

「素敵な話ですね」

「ふふ、ありがとうございます。こんなことばかり言ってるから、我が家は大昔から変人一家と揶揄されますが。ちなみにこの生命の書は、かかりやすい病気だとか、筋肉のつき方なども書かれていて、足の速さとかも受け継がれますね」

「そんなことまで?」

 マリエッタは顔を真っ青にして恐る恐る聞く。

「じゃあ……記憶も?」

 フェリーチャは首を振って微笑んでくれる。

「記憶や感情はその人だけのものでしょうね。だって、お父様やお母様、果てはご先祖様の記憶はありますか?」

 マリエッタは首を振り、ホッと胸を撫で下ろした。
 フェリーチャはマリエッタが安心している様子を見て笑った。

「確かに自分の恥ずかしい記憶とか、子孫に残るのは嫌ですね」

「ええ、嫌です。誰にだって秘密にしていることはあるでしょ?」

 マリエッタとフェリーチャは楽しそうにクスクス笑い合い、放課後の実験室は和やかな雰囲気に包まれた。
 しかしその空気を打ち消すかのように、何の前触れもなく男の声が割り込む。

「秘密にしていること? それは婚約者としては気になるな」

 声のした方へ振り返ると、実験室の扉にいつの間にかジョアン皇子が寄り掛かって二人を見ていた。

「「ジョアン皇子殿下」」

 フェリーチャは慌ててその場でカーテシーをし、マリエッタは急いでジョアン皇子の前まで歩み出てから、ゆっくりと間違えないように気品に満ちたカーテシーをする。

 だがジョアン皇子はマリエッタを素通りして行き、フェリーチャの前まで行った。

「その生命の書とやらは、魔力の情報も残していると思うか?」

「えっと……魔力ですか?」

 フェリーチャはジョアン皇子が自分を揶揄っているのか本気で聞いているのかわからず、中途半端な苦笑いをしてみせた。

「笑ってないで答えろ」

 ジョアン皇子はいたって真剣な表情で聞いている。フェリーチャも上がっていた口角を下げて真面目な顔をした。

「現代に魔法使いがいないのなら、記されていないのではないでしょうか……申し訳ありません、古典文学や神話には詳しくなく、上手い回答が出来かねます」

 フェリーチャの答えに、ジョアン皇子は不服そうな顔を見せ詰め寄ろうとした時、もう一人誰かが実験室に入って来た。

「こんなところにいらしたんですね、ジョアン皇子殿下。もうあの部屋には行かれましたか? 父がお待ちしておりますよ」

 扉の前にはレリオが立っていた。ジョアン皇子はレリオをみるや舌打ちをし、フェリーチャを睨みつける。

「魔力や魔法は神話ではない。君はもっと歴史の勉強をするように」

 ジョアン皇子は機嫌を悪くして扉の方へと踵を返す。扉近くで控えていた婚約者のマリエッタには目もくれず、そのまま部屋を出て行った。

 マリエッタは制服のスカートの前で重ねた両手をキュッと握り締めた。
 自分を保とうと必死に立つマリエッタの背中に、レリオがそっと手を添える。

 マリエッタは泣きそうになるのをグッと堪え、微笑んだ。

「レリオ、ごきげんよう」 

 レリオはマリエッタの挨拶に、複雑そうな笑顔で応えた。

 フェリーチャは二人の会話に入ってよいものかと迷いつつ、マリエッタに声を掛ける。

「今さらだけど、ご令嬢のお名前を伺ってもよろしいかしら?」

「あ、申し訳ございません。マリエッタ・ヴィスコンテと申します」

「まあ! じゃあ、あなたがジョアン皇子の……」

 先ほどの扱いを見られてすぐに、自分がジョアン皇子の婚約者だということに気付かれてしまうのは少し息苦しかった。なぜ、ジョアン皇子は自分を通り過ぎたのか。マリエッタはフェリーチャが目の前にいるにもかかわらず、次第にそんな事に気を取られ始めてしまう。

「……名ばかりの婚約者です。あの、私、ちょっと急用が……とても有意義なお時間をありがとうございました。次回はお茶でもご一緒させてください、フェリーチャ嬢・・・・

 フェリーチャは一瞬目を開いて動きを止めたが、すぐに何でもなかったように微笑んでくれた。

「次回はぜひお茶をいたしましょう」

 マリエッタは足早に実験室を出ると、あまりに深く考え込んでしまい、レリオが追いかけてきてくれたことにも気づいていなかった。

「マリエッタ、ねえ、マリエッタ」

 レリオがマリエッタの手を握って引っ張り、自分へと振り向かせる。

「レリオ……」

 マリエッタは胸元で空いている片手をギュッと握りしめ、彼に抱きつきたい衝動を必死に抑えた。
 レリオから手を振り払い、礼儀正しくスカートを持って頭を下げる。

「大変失礼いたしました」

「気にしないで……」

 二人の間には沈黙が続いた。大好きな彼を目の前にして、今は何を話して良いかがわからない。

「そうだ、フェリーチャ嬢とは話せたようだね」

「あ……ええ、フェリーチャ嬢は……とても博識で、生命の書のお話がとても面白かったです」

「生命の書? ああ、あの実験を見させてもらったんだね」

「レリオもご存じなのですか?」

 レリオは胸に手をあてて、嬉しそうに遠くを見つめて語り始めた。

「ああ。胸が熱くなるよね。自分の中には父や母や、そのずっとずっと前から紡がれたものがあるなんて」

 レリオの無邪気な姿に、次第にマリエッタにも笑顔が戻って会話が出来るようになった。

「ええ、本当に。もし魔力というものも記されていたら、今頃この世界はどうなっていたんでしょうね」

「必要ないから神が取り上げたんだよ、きっと」

「まあ、レリオも魔法神話を信じているのですね」

 レリオはマリエッタを見つめて、口元だけ軽く微笑んだ。何かを言おうか迷った様子だが、先ほどまでの無邪気さはどこにいったのか、目の前の彼は達観した大人の表情をしていた。

「生命の書に魔力が記されていないのではなく、そのページが破られているとしたら? そして、そのページを修復できる人がいたらどうする?」

「それは……修復してもらうのでは?」

「そうだよね。でも、修復してしまうと、神が封じた蘇らせてはいけない力がこの世界に復活してしまうかもしれない」

 マリエッタを見つめるレリオの瞳には静かな熱があった。マリエッタは本能的に後ずさり、距離を保とうとした。レリオの迷いは、するりと逃げられそうになると焦りに変わり、男性の本能に火をつけてしまう。

「ティベリオ家はその修復人の守り人なんだ。これを知ってるのは、皇帝陛下と陛下に近しい人、そして我がティベリオ家だけ。時が来るまで、僕が君に明かしたことは秘密にしてもらえるかな」

「秘密……」

 レリオはマリエッタに近づき、ゆっくりと顔を彼女の耳元に寄せた。
 そして、真っ赤に染まったマリエッタの耳たぶを見つめながら囁く。

「そう。二人だけの秘密」
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