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冬の女神が愛した庭で、狼と老人が死んだ。
冬のはじめ。
人々が吐き出す息がとがる、白と闇とが領土を分け合う日のことだった。
◆◆◆
ニルヴァーシュ、と呼ばれる国がある。
大陸の北に位置し、神々が治める国。
四季をもち、豊かな自然に溢れた美しき国……。
そのニルヴァーシュで神々の王に任じられこの国の季節を司るのは四人の女神だった。
四季それぞれを具現化した美しい女神がこの国を支配し、人々に恩恵を与える。彼女たちは季節ごとに国の中心にある時間(とき)の王宮に君臨して王冠を抱き、季節が巡れば王冠を次節の女神に引き継ぐことになっていた――――そして、女神の仲立ちをする男は「王の使者」と呼ばれていた。
「冬の君はやはり、お出ましにならないって?なんでまた」
吹雪吹き荒れる朝の事である。時間の王宮から程ない距離にある小屋のテーブルに座り込んだ男は声を上げた。
器用に片眉をあげ、皮肉な表情を作る。
痩身で背は高く、肌は白く、瞳は深い湖の苔の色。
エメラルドのような、透明度の高い作り物めいた目が退屈に飽いた猫のように眇められる。
彼は季節を司る王の中の王、全能の神に仕える使者だった。
名をニキと言い、黒を意味する簡素な名は、彼が元々この地方の出自でない事を示す。
一方、彼の目の前にいるのは如何にもこの国の出自らしい風体の男だった。月の光に似たプラチナ・ブロンドと飴色の瞳。騎士姿の男はその甘い顔に困り顔を浮かべた。こちらの名をフェルナンと言う。
フェルナンは広い肩を竦めた。
「女神さまの考える事は、よくわからんよ。ただ――時間(とき)の王宮からお出になりたくない、とそれだけ」
「冬の女神が、王宮から出たくないとは、何故なのだ?」
「さあなぁ……泣いて懇願したが、駄目だった。この俺様の美貌をもってしても、駄目だったとは、――ただ事ではない」
優男の後半の戯言はまるきり無視して、ニキは溜息をついた。
ここ、ニルヴァーシュは神々が住まいたもう国。
その中心にある時の王宮は、神々の長たる「王」が任じた女神が座し、ニキとフェルナンは彼女に季節の交代を告げる使者だった。
そもそも、季節がめぐる十日前には王宮に入るはずが、近隣の小屋で足止めを食らわされている。ニキ、フェルナンそしてもう一人の使者が機嫌伺いに幾度も王宮の門を叩いているのだが、けんもほろろに追い返されている。
フェルナンは口が達者だ。女神をなんとか言いくるめて王宮の中へ招かれたのはいいが、やはり、拒絶の言葉を土産に戻って来たらしい。
男二人は顔を見合わせて、ため息をついた。
女神は四人。
春の女神イシュタリ、夏の女神サラディナンサ、秋の女神フォーリー。
そして、冬の女神、ルーファ。
彼女たちがきっかり三月ずつ、王宮に座し、そして女神が座すあいだそれぞれの季節が地上に巡るのだ。ニキとフェルナン、それからもう一人、サントと呼ばれる男は王の使者、役目を終えた女神を出迎えて神々の庭に送り届けるのが、使命だった。
冬の女神の任期は十日前まで――期日を過ぎても座を明け渡さないとは、前代未聞の事だ。
「――このままでは、冬が終わらないではないか。どうなるのだ」
深刻な口調で窓の外、硝子の向こうに荒れ狂う吹雪を睨む。ニキの深刻さを横目に、フェルナンはいとも気易い口調で応じた。
「冬が終わらねば?――決まっている」
「――どのように?」
「春が来ないのさ」
阿呆な答えに、お前は永遠に黙っていろ、とニキがフェルナンの脛を蹴飛ばした所で、ガタガタと小屋の粗末な扉が音を立てた。
誰か扉の前に、来たらしい。
二人の使者は一瞬顔を見合わせ、フェルナンが扉を開けた。
羽虫のように舞い込んできた雪と黒づくめの男が雪崩れるようにして部屋に飛び込み、フェルナンは男を押し込むようにして後ろ手で扉を閉めた。
「やあ、サント!雪男かと思ったが――生きていたか」
サントと呼ばれた二人に比べれば小柄な男は切れ長の目を不快げに細めた――これは単に寒かったから、らしい。
獣の毛皮ごと背中を震わせると大きくクシャミをする。
サントもまたニルヴァーシュの出ではない。
東の、遊牧民の出だから髪も瞳も黒。
墨でかいたような茫洋とした容姿をしている。ただ、黒曜石のような美しい色の瞳は、ニルヴァーシュの民は持ち得ぬ色だからと冬の女神の気に入りだった。
「サント、お前でも駄目か?」
ニキが問うと、サントは頷いた。寒さで口が聞けぬのではない。元々、口数が少ない性分の男なのだ。
フェルナンが追い返された後もサントは門の前で女神に話をしていたらしい。
「女神に――俺も懇願してみたのだ。王宮を辞して、神々の庭に帰りましょう、と」
だが、女神気に入りのサントの真摯な頼みでも、駄目だったらしい。
奔放な春、我儘な夏、妖艶な秋の女神に比べ、冬の女神ルーファは今までに神々を困らせた事はない。優等生と言っていい。それが、この事態。
「一体、冬の君は何が不満なのだ?春の君を困らせたいのか?」
フェルナンが天井を仰いで愚痴り、ニキが反論する。
「そのような嫌がらせをする方ではあるまい」
「王への反乱か?」
「冬の君は、王を父とも慕っておられる――」
「全く、見当がつかんな」
ニキはチラリと硝子の向こうの吹雪に重ねて女神を案ずるような目をしたサントを眺めた。
「サント――お前に聞きたいのだが。冬が終わらねば、どうなると思う」
彼は感情の伺い知れぬ顔でそれでも困ったように眉根を寄せた。
「決まっている――春が来なければ、国は滅ぶ」
びゅう、と横殴りの風が、粗い雪粒を硝子窓に打ち付けた。
◆◆◆
「ありえないわ!ありえないっ!あーりえないったら!!」
ほんのりと薄づいた桃色の髪に若木の瞳、春の女神イシュタリは三人の使者の報告を聞いて、地団駄を踏んだ。
年の頃はまだ若い、少女と言ってもいい外見だ。
(――その実、外見(みため)の五倍は生きてそうだけどな)
「使者が三人も雁首揃えてルゥを迎えに行って、連れ帰って来れないなんて!!役立たず!!ニキの馬鹿!馬鹿!禿げちゃえばいいのに!!」
「大変、申し訳もございません」
禿げませんよ、と青筋を隠しながら膝をついた青年は深々と小娘に頭を下げた。
フェルナンがニキの背後でヘラヘラと笑い、「あんたもよーー!馬鹿フェルナンっっ」と特大のクッションを投げつけられたのを視界の端に収めて、溜飲を下げる。
時の王宮と神々の庭には少しばかり距離がある。
だから女神の交代の時期には次の季節を司る女神が、時の王宮の近隣にある青の城まで出向き、そこで交代を待つのが慣例だった。
冬の女神ルーファが王宮を出るのを待つのは、勿論、春の女神たるイシュタリだった。
イシュタリは散々二人を罵って、サントが同じように頭を下げると、今度は――女神たちは何故かサントにだけは概ね優しい――そっと溜息をついた。
「良いわ、サント。貴方が謝らなくても――ルーファは何故、王宮を出たくないの?」
若木の瞳が心配げに潤む。サントは跪いたまま顔をあげて、首を傾げた。
「それが、分からぬのです、春の君。ただ、冬の君はどうしても、氷が溶けるのが嫌だと仰って――私を――あの方にしては珍しいことに叱責なさいました」
ニキとフェルナンも目を瞠った。
サントが叱責された事に驚いたのではない。司る季節の如く……良く言えば冷静な――悪く言えば表情と感情に乏しい女神ルーファなのだ。
叱責はおろか、怒りを顕にする姿などついぞ見たことが無かった。
「困ったものだわ……」
「王に相談いたしましょうか」
ニキは極めて現実的な提案をした。
季節の交換を速やかに遂行させるべき使者としては――己の無能を報告するようなものなので些(いささ)か気は乗らないが、いつまでもニルヴァーシュ全土が冬というわけにも行くまい。
「冬のままでは――人間たちは、困るわよね」
幼い少女の横顔が、人ならざる者としての思慮深さを一瞬浮かび上がらせた。少女の横におとなしく座り込んでいた雌狼が心配げに、くぅンと一声なく。
「春が来ねば、植物たちは眠ったままです。人も動物も、生きてはいけません」
サントが言い、フェルナンも「風邪も引きますしな」と軽口で応じた。
「春の君、やはり王を呼んで参りましょう――」
季節の女神達は王の眷属だ。
王の力の前には吹雪も、氷も害を為すまい。しかし、ニキの提案にイシュタリはふるふる、と首を振った。
「待って。まだ、待って頂戴――王もこの事態は察しておられるはず。だって、ルーファの当番の三月は終わっちゃったんだもの。なのに、この吹雪で、春女神(わたし)がまだ青の城にいる。何が原因かを全能の父たる王が存じ上げないわけがない」
「では何故、王は何も仰らないのです?」
全能の父はその身を鷹に変えて、全世界を瞬く間に羽ばたく事が出来る。この事態を知っているのに傍観者に徹しているのは、何故か。
「猶予よ」
首を傾げた使者達に向かい、春の女神は、彼女の属性に似つかわしくない、硬い声音を床に落とした。
「猶予、とは?」
「冬の女神がその任を放棄したと、王自らがお責めになれば、ルゥは女神を降りるしかないわ」
使者三人は顔を見合わせた。
女神が神性を失う事などあるのか。
「私達は、王の眷属。王が作った、木偶(にんぎょう)。替えなど幾らでも作れます。王から季節の番人――その任を解かれたら」
自虐的で不穏な内容を歌うように言い放つ春の女神の台詞を咎めるように、サントが平坦な声で尋ねた。
「如何、相成ります」
イシュタリは視線鋭く、サントを射た。
「――ルーファは跡形もなく溶けて、天に帰すでしょう――」
まさか、とは言えずにニキもゴクリと喉を鳴らした。
全能の神たる王の峻厳な横顔を脳裏に思い浮かべ――それがあり得ない事では無い、と思う。
同胞が消えてなくなる姿……その有様を想像したのだろう。イシュタリは細い腕(かいな)で己を抱きしめ、僅かに身を震わせた。
「……そんな事が怒らぬよう、お考えを、翻していただかなくてはなりませんね?」
出来るだけ優しい声で、ニキは春の女神を慰める。
我儘放題のやんちゃな小娘だが、その気質が優しいことは知っている。彼女が傷つく姿を見たくはなかったし、同様に、生真面目で不器用な冬の女神がまるで氷人形のように溶ける様など、決して見たくはない。
まだ冬の期限が過ぎて十日ばかり。ニルヴァーシュのどこにも齟齬(きしみ)は生じていない。今であれば、全能の父も単に使者の落ち度だと目溢ししてくれるだろう。
「春の君――迎えに行きましょう。冬の君に、せめて理由をお聞きしなければ」
「ええ、そうね――私が行けばルーファはきっと、話を聞いてくれるはず」
涙を拭い春の女神が微笑んだ。
二人のやりとりを複雑な表情で見ながら、優男のフェルナンか腕を組んだ――しおしおと萎れているイシュタリとそれを慰めるニキに聞こえぬよう、サントにこっそりと囁く。
「冬の君は――待っているのかもしれんぞ」
「待つ、とは?」
フェルナンの、飴玉のような瞳が煌めく。
「王が、王宮へお出ましになるのを」
何のためだ、と言いかけて、同輩の言葉の意味を察したサントは、唇をきゅっと引き結んだ。
まさか、と反論しようとしたが、否定の言は淡雪のように舌の上で溶ける。
三人の使者たちは元は人間で、神々の恩恵を得て不老になった。
それぞれの齢(よわい)は百を超える。だが、彼らよりずっと若く見える女神達は、彼らが人であった頃より、それよりもずっと長きに渡って女神で居続けているのだ。
長い生に膿んだとしても、あり得ない事では無い。
そして、神々は自死が出来ない。倫理として許されないのではない……自分たちで命を絶つことが、出来ないのだ、決して。
己の考えをサントが理解したことを悟って――優男はついと厳しい目をした。
「冬の君は、消えておしまいになりたいのかもしれない――だから無茶をして、王から罰せられるのを、時間の王宮で待っているのでは――」
フェルナンの囁きは決して大きくなかったが。しかし、サントの耳には重く、乾いた音でもって響いた――。
冬のはじめ。
人々が吐き出す息がとがる、白と闇とが領土を分け合う日のことだった。
◆◆◆
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四季をもち、豊かな自然に溢れた美しき国……。
そのニルヴァーシュで神々の王に任じられこの国の季節を司るのは四人の女神だった。
四季それぞれを具現化した美しい女神がこの国を支配し、人々に恩恵を与える。彼女たちは季節ごとに国の中心にある時間(とき)の王宮に君臨して王冠を抱き、季節が巡れば王冠を次節の女神に引き継ぐことになっていた――――そして、女神の仲立ちをする男は「王の使者」と呼ばれていた。
「冬の君はやはり、お出ましにならないって?なんでまた」
吹雪吹き荒れる朝の事である。時間の王宮から程ない距離にある小屋のテーブルに座り込んだ男は声を上げた。
器用に片眉をあげ、皮肉な表情を作る。
痩身で背は高く、肌は白く、瞳は深い湖の苔の色。
エメラルドのような、透明度の高い作り物めいた目が退屈に飽いた猫のように眇められる。
彼は季節を司る王の中の王、全能の神に仕える使者だった。
名をニキと言い、黒を意味する簡素な名は、彼が元々この地方の出自でない事を示す。
一方、彼の目の前にいるのは如何にもこの国の出自らしい風体の男だった。月の光に似たプラチナ・ブロンドと飴色の瞳。騎士姿の男はその甘い顔に困り顔を浮かべた。こちらの名をフェルナンと言う。
フェルナンは広い肩を竦めた。
「女神さまの考える事は、よくわからんよ。ただ――時間(とき)の王宮からお出になりたくない、とそれだけ」
「冬の女神が、王宮から出たくないとは、何故なのだ?」
「さあなぁ……泣いて懇願したが、駄目だった。この俺様の美貌をもってしても、駄目だったとは、――ただ事ではない」
優男の後半の戯言はまるきり無視して、ニキは溜息をついた。
ここ、ニルヴァーシュは神々が住まいたもう国。
その中心にある時の王宮は、神々の長たる「王」が任じた女神が座し、ニキとフェルナンは彼女に季節の交代を告げる使者だった。
そもそも、季節がめぐる十日前には王宮に入るはずが、近隣の小屋で足止めを食らわされている。ニキ、フェルナンそしてもう一人の使者が機嫌伺いに幾度も王宮の門を叩いているのだが、けんもほろろに追い返されている。
フェルナンは口が達者だ。女神をなんとか言いくるめて王宮の中へ招かれたのはいいが、やはり、拒絶の言葉を土産に戻って来たらしい。
男二人は顔を見合わせて、ため息をついた。
女神は四人。
春の女神イシュタリ、夏の女神サラディナンサ、秋の女神フォーリー。
そして、冬の女神、ルーファ。
彼女たちがきっかり三月ずつ、王宮に座し、そして女神が座すあいだそれぞれの季節が地上に巡るのだ。ニキとフェルナン、それからもう一人、サントと呼ばれる男は王の使者、役目を終えた女神を出迎えて神々の庭に送り届けるのが、使命だった。
冬の女神の任期は十日前まで――期日を過ぎても座を明け渡さないとは、前代未聞の事だ。
「――このままでは、冬が終わらないではないか。どうなるのだ」
深刻な口調で窓の外、硝子の向こうに荒れ狂う吹雪を睨む。ニキの深刻さを横目に、フェルナンはいとも気易い口調で応じた。
「冬が終わらねば?――決まっている」
「――どのように?」
「春が来ないのさ」
阿呆な答えに、お前は永遠に黙っていろ、とニキがフェルナンの脛を蹴飛ばした所で、ガタガタと小屋の粗末な扉が音を立てた。
誰か扉の前に、来たらしい。
二人の使者は一瞬顔を見合わせ、フェルナンが扉を開けた。
羽虫のように舞い込んできた雪と黒づくめの男が雪崩れるようにして部屋に飛び込み、フェルナンは男を押し込むようにして後ろ手で扉を閉めた。
「やあ、サント!雪男かと思ったが――生きていたか」
サントと呼ばれた二人に比べれば小柄な男は切れ長の目を不快げに細めた――これは単に寒かったから、らしい。
獣の毛皮ごと背中を震わせると大きくクシャミをする。
サントもまたニルヴァーシュの出ではない。
東の、遊牧民の出だから髪も瞳も黒。
墨でかいたような茫洋とした容姿をしている。ただ、黒曜石のような美しい色の瞳は、ニルヴァーシュの民は持ち得ぬ色だからと冬の女神の気に入りだった。
「サント、お前でも駄目か?」
ニキが問うと、サントは頷いた。寒さで口が聞けぬのではない。元々、口数が少ない性分の男なのだ。
フェルナンが追い返された後もサントは門の前で女神に話をしていたらしい。
「女神に――俺も懇願してみたのだ。王宮を辞して、神々の庭に帰りましょう、と」
だが、女神気に入りのサントの真摯な頼みでも、駄目だったらしい。
奔放な春、我儘な夏、妖艶な秋の女神に比べ、冬の女神ルーファは今までに神々を困らせた事はない。優等生と言っていい。それが、この事態。
「一体、冬の君は何が不満なのだ?春の君を困らせたいのか?」
フェルナンが天井を仰いで愚痴り、ニキが反論する。
「そのような嫌がらせをする方ではあるまい」
「王への反乱か?」
「冬の君は、王を父とも慕っておられる――」
「全く、見当がつかんな」
ニキはチラリと硝子の向こうの吹雪に重ねて女神を案ずるような目をしたサントを眺めた。
「サント――お前に聞きたいのだが。冬が終わらねば、どうなると思う」
彼は感情の伺い知れぬ顔でそれでも困ったように眉根を寄せた。
「決まっている――春が来なければ、国は滅ぶ」
びゅう、と横殴りの風が、粗い雪粒を硝子窓に打ち付けた。
◆◆◆
「ありえないわ!ありえないっ!あーりえないったら!!」
ほんのりと薄づいた桃色の髪に若木の瞳、春の女神イシュタリは三人の使者の報告を聞いて、地団駄を踏んだ。
年の頃はまだ若い、少女と言ってもいい外見だ。
(――その実、外見(みため)の五倍は生きてそうだけどな)
「使者が三人も雁首揃えてルゥを迎えに行って、連れ帰って来れないなんて!!役立たず!!ニキの馬鹿!馬鹿!禿げちゃえばいいのに!!」
「大変、申し訳もございません」
禿げませんよ、と青筋を隠しながら膝をついた青年は深々と小娘に頭を下げた。
フェルナンがニキの背後でヘラヘラと笑い、「あんたもよーー!馬鹿フェルナンっっ」と特大のクッションを投げつけられたのを視界の端に収めて、溜飲を下げる。
時の王宮と神々の庭には少しばかり距離がある。
だから女神の交代の時期には次の季節を司る女神が、時の王宮の近隣にある青の城まで出向き、そこで交代を待つのが慣例だった。
冬の女神ルーファが王宮を出るのを待つのは、勿論、春の女神たるイシュタリだった。
イシュタリは散々二人を罵って、サントが同じように頭を下げると、今度は――女神たちは何故かサントにだけは概ね優しい――そっと溜息をついた。
「良いわ、サント。貴方が謝らなくても――ルーファは何故、王宮を出たくないの?」
若木の瞳が心配げに潤む。サントは跪いたまま顔をあげて、首を傾げた。
「それが、分からぬのです、春の君。ただ、冬の君はどうしても、氷が溶けるのが嫌だと仰って――私を――あの方にしては珍しいことに叱責なさいました」
ニキとフェルナンも目を瞠った。
サントが叱責された事に驚いたのではない。司る季節の如く……良く言えば冷静な――悪く言えば表情と感情に乏しい女神ルーファなのだ。
叱責はおろか、怒りを顕にする姿などついぞ見たことが無かった。
「困ったものだわ……」
「王に相談いたしましょうか」
ニキは極めて現実的な提案をした。
季節の交換を速やかに遂行させるべき使者としては――己の無能を報告するようなものなので些(いささ)か気は乗らないが、いつまでもニルヴァーシュ全土が冬というわけにも行くまい。
「冬のままでは――人間たちは、困るわよね」
幼い少女の横顔が、人ならざる者としての思慮深さを一瞬浮かび上がらせた。少女の横におとなしく座り込んでいた雌狼が心配げに、くぅンと一声なく。
「春が来ねば、植物たちは眠ったままです。人も動物も、生きてはいけません」
サントが言い、フェルナンも「風邪も引きますしな」と軽口で応じた。
「春の君、やはり王を呼んで参りましょう――」
季節の女神達は王の眷属だ。
王の力の前には吹雪も、氷も害を為すまい。しかし、ニキの提案にイシュタリはふるふる、と首を振った。
「待って。まだ、待って頂戴――王もこの事態は察しておられるはず。だって、ルーファの当番の三月は終わっちゃったんだもの。なのに、この吹雪で、春女神(わたし)がまだ青の城にいる。何が原因かを全能の父たる王が存じ上げないわけがない」
「では何故、王は何も仰らないのです?」
全能の父はその身を鷹に変えて、全世界を瞬く間に羽ばたく事が出来る。この事態を知っているのに傍観者に徹しているのは、何故か。
「猶予よ」
首を傾げた使者達に向かい、春の女神は、彼女の属性に似つかわしくない、硬い声音を床に落とした。
「猶予、とは?」
「冬の女神がその任を放棄したと、王自らがお責めになれば、ルゥは女神を降りるしかないわ」
使者三人は顔を見合わせた。
女神が神性を失う事などあるのか。
「私達は、王の眷属。王が作った、木偶(にんぎょう)。替えなど幾らでも作れます。王から季節の番人――その任を解かれたら」
自虐的で不穏な内容を歌うように言い放つ春の女神の台詞を咎めるように、サントが平坦な声で尋ねた。
「如何、相成ります」
イシュタリは視線鋭く、サントを射た。
「――ルーファは跡形もなく溶けて、天に帰すでしょう――」
まさか、とは言えずにニキもゴクリと喉を鳴らした。
全能の神たる王の峻厳な横顔を脳裏に思い浮かべ――それがあり得ない事では無い、と思う。
同胞が消えてなくなる姿……その有様を想像したのだろう。イシュタリは細い腕(かいな)で己を抱きしめ、僅かに身を震わせた。
「……そんな事が怒らぬよう、お考えを、翻していただかなくてはなりませんね?」
出来るだけ優しい声で、ニキは春の女神を慰める。
我儘放題のやんちゃな小娘だが、その気質が優しいことは知っている。彼女が傷つく姿を見たくはなかったし、同様に、生真面目で不器用な冬の女神がまるで氷人形のように溶ける様など、決して見たくはない。
まだ冬の期限が過ぎて十日ばかり。ニルヴァーシュのどこにも齟齬(きしみ)は生じていない。今であれば、全能の父も単に使者の落ち度だと目溢ししてくれるだろう。
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涙を拭い春の女神が微笑んだ。
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「冬の君は――待っているのかもしれんぞ」
「待つ、とは?」
フェルナンの、飴玉のような瞳が煌めく。
「王が、王宮へお出ましになるのを」
何のためだ、と言いかけて、同輩の言葉の意味を察したサントは、唇をきゅっと引き結んだ。
まさか、と反論しようとしたが、否定の言は淡雪のように舌の上で溶ける。
三人の使者たちは元は人間で、神々の恩恵を得て不老になった。
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長い生に膿んだとしても、あり得ない事では無い。
そして、神々は自死が出来ない。倫理として許されないのではない……自分たちで命を絶つことが、出来ないのだ、決して。
己の考えをサントが理解したことを悟って――優男はついと厳しい目をした。
「冬の君は、消えておしまいになりたいのかもしれない――だから無茶をして、王から罰せられるのを、時間の王宮で待っているのでは――」
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