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第1話
裸馬と少女 ③
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「お嬢ちゃん、名前は?」
馬郷へ続く山道を歩きながら、天道は尋ねた。
「藤刀、あい、です」
「そっちの馬は?」
「綾」
「仲がいいんだ」
綾とあいが、家族のような絆で結ばれているのは、様子を見ていればわかった。
綾が道の先に立ち、その後ろにあい、天道と続いた。綾の足取りに、迷いは感じられない。
「俺は、天道駿だ」
「てんどう、さん。騎手だった?」
あいが振り返り、はじめて関心らしい関心を示した。ここまで、あいはずっと目を反らし、天道を避けていたのだ。
「山南か?」
「はい、山南さんに、あの、天道さんが優勝した有馬記念の、レースの録画を、観せてもらって」
あいの口調はたどたどしく、人と話すのが不慣れな様子だった。
「懐かしいな。有馬を制したのは、引退する一年前だったから、もう十三年前になるのか」
二十五の時だった。史上最年少というわけではなかったが、有馬で競った歴戦の騎手の中では、まだまだ若手だった。
天才などと呼ばれていた当時を、天道はいくらか苦い気分で思い返した。
「あの、騎手になるには、どうしたらいい、ですか」
あいが足を止め、訊いてきた。天道がなぜ引退したのかなどは、気にもならないのだろう。
前髪の奥にある、あいの瞳に、切迫したものを感じとった。
「騎手になりたいの?」
「強い人に、なりたいんです」
言って、あいは薄い唇を噛みしめた。
「強い人?」
「私は、勉強もスポーツもできなくて。みんなを、がっかりさせてばっかりで。綾が、そんな私をいつも慰めて、支えてくれて」
「だから、馬と関わる仕事をしたい? なら、厩務員にでもなったらいい。騎手は、きついよ。命がけの生き方でもある。仕事じゃない、生き方さ」
あいが立ち止まったことで、綾も足を止めていた。この馬が、あいを置き去りにしてどこかへ行ってしまうことは、多分ないのだろう。
「厩務員になれば、あの馬とも一緒に居られる」
「それじゃあ、駄目なんです。私は、強くならないとっ」
悲痛な声が、冬枯れした木立の間に谺した。あいは自分の口から出た大きな声に驚いている。
「すみません」
あいが再び歩き出した。綾も、歩き出す。
馬郷に到着すると、山南と一人の女が、厩舎の並びにある建物から飛び出して来た。建物は二階立てで、宿舎兼事務所らしかった。
「約束、破っちゃってごめんなさい」
山南は、叱る言葉を失い、あいに笑いかけた。
女があいに抱き着いた。あいの母親らしかった。あいと母親のやり取りを、天道は綾の傍で聞いていた。
あいは母の運転する車に乗り、家へ帰っていった。
「過保護そうな親だ」
娘との会話を聞いていて、抱いた感想を、率直に口にした。
「そんなふうに言うな。ほんとうなら、今回のことで、俺は訴えられてもおかしくはなかった。けれど、許してもらえた。娘が元気に話すのは、綾と、馬郷のことだけだ、と言って」
「僕をここに呼んだのは、あの子と会わせるためか、山南?」
「こんなかたちになるとは、思っていなかったよ」
山南が肩を竦めた。もう少し待って、あいが戻ってこなければ、捜索隊を呼ぶつもりだったのだろう。
「あの子、騎手になりたいらしい」
「聞いたのか」
「強い人間になりたい、とも言っていた。その二つが、あの子の中でどう結びついているのかは、ちょっとよくわからなかったが」
「明日も来るだろうから、また話を聞いてやってくれ。綾に飼料をあげて、自分はおにぎりを持ってきて、一緒に朝ごはんを食べる。それも毎日だ。平日は、登校前にな」
「へえ」
今日のようなことがあった後では、あの母親が許さなそうだ、と思ったが、綾の横顔を見ると、なにがなんでも来そうだ、という気もした。
馬郷へ続く山道を歩きながら、天道は尋ねた。
「藤刀、あい、です」
「そっちの馬は?」
「綾」
「仲がいいんだ」
綾とあいが、家族のような絆で結ばれているのは、様子を見ていればわかった。
綾が道の先に立ち、その後ろにあい、天道と続いた。綾の足取りに、迷いは感じられない。
「俺は、天道駿だ」
「てんどう、さん。騎手だった?」
あいが振り返り、はじめて関心らしい関心を示した。ここまで、あいはずっと目を反らし、天道を避けていたのだ。
「山南か?」
「はい、山南さんに、あの、天道さんが優勝した有馬記念の、レースの録画を、観せてもらって」
あいの口調はたどたどしく、人と話すのが不慣れな様子だった。
「懐かしいな。有馬を制したのは、引退する一年前だったから、もう十三年前になるのか」
二十五の時だった。史上最年少というわけではなかったが、有馬で競った歴戦の騎手の中では、まだまだ若手だった。
天才などと呼ばれていた当時を、天道はいくらか苦い気分で思い返した。
「あの、騎手になるには、どうしたらいい、ですか」
あいが足を止め、訊いてきた。天道がなぜ引退したのかなどは、気にもならないのだろう。
前髪の奥にある、あいの瞳に、切迫したものを感じとった。
「騎手になりたいの?」
「強い人に、なりたいんです」
言って、あいは薄い唇を噛みしめた。
「強い人?」
「私は、勉強もスポーツもできなくて。みんなを、がっかりさせてばっかりで。綾が、そんな私をいつも慰めて、支えてくれて」
「だから、馬と関わる仕事をしたい? なら、厩務員にでもなったらいい。騎手は、きついよ。命がけの生き方でもある。仕事じゃない、生き方さ」
あいが立ち止まったことで、綾も足を止めていた。この馬が、あいを置き去りにしてどこかへ行ってしまうことは、多分ないのだろう。
「厩務員になれば、あの馬とも一緒に居られる」
「それじゃあ、駄目なんです。私は、強くならないとっ」
悲痛な声が、冬枯れした木立の間に谺した。あいは自分の口から出た大きな声に驚いている。
「すみません」
あいが再び歩き出した。綾も、歩き出す。
馬郷に到着すると、山南と一人の女が、厩舎の並びにある建物から飛び出して来た。建物は二階立てで、宿舎兼事務所らしかった。
「約束、破っちゃってごめんなさい」
山南は、叱る言葉を失い、あいに笑いかけた。
女があいに抱き着いた。あいの母親らしかった。あいと母親のやり取りを、天道は綾の傍で聞いていた。
あいは母の運転する車に乗り、家へ帰っていった。
「過保護そうな親だ」
娘との会話を聞いていて、抱いた感想を、率直に口にした。
「そんなふうに言うな。ほんとうなら、今回のことで、俺は訴えられてもおかしくはなかった。けれど、許してもらえた。娘が元気に話すのは、綾と、馬郷のことだけだ、と言って」
「僕をここに呼んだのは、あの子と会わせるためか、山南?」
「こんなかたちになるとは、思っていなかったよ」
山南が肩を竦めた。もう少し待って、あいが戻ってこなければ、捜索隊を呼ぶつもりだったのだろう。
「あの子、騎手になりたいらしい」
「聞いたのか」
「強い人間になりたい、とも言っていた。その二つが、あの子の中でどう結びついているのかは、ちょっとよくわからなかったが」
「明日も来るだろうから、また話を聞いてやってくれ。綾に飼料をあげて、自分はおにぎりを持ってきて、一緒に朝ごはんを食べる。それも毎日だ。平日は、登校前にな」
「へえ」
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