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第2話
坂道と鬼門 ④
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合宿形式の二次試験が開始され、二日が経過した。
場所は千葉にある競馬学校だ。
合宿形式であることには、入学後の生活を擬似的に送る中で、人格の適正を見定める目的もあった。
普段は座学や実技を担当している教員の監督下で、四日間、一次試験を突破した三十名ほどと生活を共にする。それ自体が試験の一部といってよかった。
一日を占める割合では、厩舎作業をしている時間が、一番大きかった。
乗馬経験があっても、厩舎作業には不慣れな受験生も少なくなかった。
中には、乗馬経験自体がない受験生もいる。
習熟度にばらつきがある集団が、数名の教員の指示で作業をするので、どうしても時間はかかった。
あいは、馬郷で厩舎作業を手伝っていたから、戸惑うことはほぼなかった。
とはいえ、些細なミスや不注意が失点につながるかもしれないと考えると、否が応でも緊張し、馬郷と同じ作業をするのでも倍以上の疲労を覚えた。
毎朝の起床も早く、三日目となると、ほとんどの受験生が、表情に疲れを滲ませていた。
朝の馬房清掃と、飼い付けを終え、ぞろぞろと厩舎から宿舎に戻った。
実際の寮は当然在校生が使用しているので、資料館のような趣のある棟が、試験中の宿舎にあてがわれた。
長机が並んだ会議室のような広間に、食缶が運ばれ、食事は受験生全員でとる。
初日は黙々と箸を使っていた受験生が、精神的緊張を少しでも和らげるためか、二日目の昼食以降、自然と食事中に会話をするようになっていた。
櫛目の通った髪をした小早川が、広間に入って来た。
一同に緊張が走り、室内がしんと静まり返った。
「食事を続けながらで結構。今日は騎乗の実技試験を行う。各自、八時までにゼッケンを着用し放牧場へ移動するように」
端的に連絡事項を伝えると、小早川は怜悧な光を灯した切れ長な瞳で受験生に一瞥くれ、踵を返し去っていった。
天道から、鬼門だ、と聞かされているだけに、あいは小早川を目にすると、他の受験生以上に心胆を寒からしめた。
受験生は、食後、体重を計量、記録し、小用を済ませ、三々五々、放牧場に向かった。
放牧場は、柵でいくつかに仕切られた角馬場の東隣にあった。
角馬場には数頭の馬の姿があった。放牧場を挟み、向かいの植え込みの先には、砂土の走路が見える。
「では、諸君には三組に分かれてもらう。まず、騎乗経験のある者と、ない者。そして、経験者の中でも、乗馬クラブなどに一定期間所属していた者と、そうでない者」
騎乗実技は、小早川が取り仕切るようだった。
前日の運動機能考査で、反復横跳び、シャトルランの進行を担当した教員が、乗馬未経験の受験生を呼び集めている。
あいは、迷った末、乗馬経験はあるがクラブには所属していなかった群に入った。
嘘ではない。
ただ、クラブ所属の受験生を集めているのが、小早川で、そこを敬遠する気持ちはあった。
「おい、お前、こっちでホントにいいのかよ」
教員が実技試験の運びを説明していると、後ろから、囁くような会話が聞こえてきた。
「なんだよ。乗馬経験ならあるって言っただろ」
「だってお前、五歳の時に、親と曳馬に乗っただけなんだろ」
「いつ、どんなふうに、なんて話はなかったんだ。馬に乗ったことがあるのは事実なんだ。黙ってろよ」
あいは、ちらりと後ろを窺った。
配られたヘルメットを着用した、鉤鼻気味の男子に、じろりと見返され、慌てて前に向き直った。
経験者、未経験者ごとに、考査基準が異なるとは、知らないわけではないだろう。
それでも、経験者であると騙った方が有利である、という先入観を捨てきれないでいるのか。
鞍を装着した馬が三頭、厩務員過程の学生らしい青年に手綱を曳かれ、連れて来られた。
三グループに分けられた受験生は、少し距離を取り、ゼッケンの番号が早い順に試験にかかった。
「おいっ、なにをやっているっ」
教員の怒声が響いたのは、試験がはじまって一時間ほどしてからだった。
場所は千葉にある競馬学校だ。
合宿形式であることには、入学後の生活を擬似的に送る中で、人格の適正を見定める目的もあった。
普段は座学や実技を担当している教員の監督下で、四日間、一次試験を突破した三十名ほどと生活を共にする。それ自体が試験の一部といってよかった。
一日を占める割合では、厩舎作業をしている時間が、一番大きかった。
乗馬経験があっても、厩舎作業には不慣れな受験生も少なくなかった。
中には、乗馬経験自体がない受験生もいる。
習熟度にばらつきがある集団が、数名の教員の指示で作業をするので、どうしても時間はかかった。
あいは、馬郷で厩舎作業を手伝っていたから、戸惑うことはほぼなかった。
とはいえ、些細なミスや不注意が失点につながるかもしれないと考えると、否が応でも緊張し、馬郷と同じ作業をするのでも倍以上の疲労を覚えた。
毎朝の起床も早く、三日目となると、ほとんどの受験生が、表情に疲れを滲ませていた。
朝の馬房清掃と、飼い付けを終え、ぞろぞろと厩舎から宿舎に戻った。
実際の寮は当然在校生が使用しているので、資料館のような趣のある棟が、試験中の宿舎にあてがわれた。
長机が並んだ会議室のような広間に、食缶が運ばれ、食事は受験生全員でとる。
初日は黙々と箸を使っていた受験生が、精神的緊張を少しでも和らげるためか、二日目の昼食以降、自然と食事中に会話をするようになっていた。
櫛目の通った髪をした小早川が、広間に入って来た。
一同に緊張が走り、室内がしんと静まり返った。
「食事を続けながらで結構。今日は騎乗の実技試験を行う。各自、八時までにゼッケンを着用し放牧場へ移動するように」
端的に連絡事項を伝えると、小早川は怜悧な光を灯した切れ長な瞳で受験生に一瞥くれ、踵を返し去っていった。
天道から、鬼門だ、と聞かされているだけに、あいは小早川を目にすると、他の受験生以上に心胆を寒からしめた。
受験生は、食後、体重を計量、記録し、小用を済ませ、三々五々、放牧場に向かった。
放牧場は、柵でいくつかに仕切られた角馬場の東隣にあった。
角馬場には数頭の馬の姿があった。放牧場を挟み、向かいの植え込みの先には、砂土の走路が見える。
「では、諸君には三組に分かれてもらう。まず、騎乗経験のある者と、ない者。そして、経験者の中でも、乗馬クラブなどに一定期間所属していた者と、そうでない者」
騎乗実技は、小早川が取り仕切るようだった。
前日の運動機能考査で、反復横跳び、シャトルランの進行を担当した教員が、乗馬未経験の受験生を呼び集めている。
あいは、迷った末、乗馬経験はあるがクラブには所属していなかった群に入った。
嘘ではない。
ただ、クラブ所属の受験生を集めているのが、小早川で、そこを敬遠する気持ちはあった。
「おい、お前、こっちでホントにいいのかよ」
教員が実技試験の運びを説明していると、後ろから、囁くような会話が聞こえてきた。
「なんだよ。乗馬経験ならあるって言っただろ」
「だってお前、五歳の時に、親と曳馬に乗っただけなんだろ」
「いつ、どんなふうに、なんて話はなかったんだ。馬に乗ったことがあるのは事実なんだ。黙ってろよ」
あいは、ちらりと後ろを窺った。
配られたヘルメットを着用した、鉤鼻気味の男子に、じろりと見返され、慌てて前に向き直った。
経験者、未経験者ごとに、考査基準が異なるとは、知らないわけではないだろう。
それでも、経験者であると騙った方が有利である、という先入観を捨てきれないでいるのか。
鞍を装着した馬が三頭、厩務員過程の学生らしい青年に手綱を曳かれ、連れて来られた。
三グループに分けられた受験生は、少し距離を取り、ゼッケンの番号が早い順に試験にかかった。
「おいっ、なにをやっているっ」
教員の怒声が響いたのは、試験がはじまって一時間ほどしてからだった。
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