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第5話
師弟と日本ダービー ⑦
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日本ダービーを観戦する校外学習から数日が経った。
夜の自由時間の一時を、担当馬であるサファイアとオハナと過ごし、寮に戻った。
管理室の前で、あいは寮母に呼び止められた。
「天道さんから、電話ですか」
自由時間の間は携帯端末の使用も認められているが、あいは相変わらず携帯端末を持っていないままだった。
管理室に備え付けの電話を借り、保留を切った。
「もしもし」
「やぁ、あい、元気にやってるかい」
受話器から、天道の声が聞こえてくる。
入学前に馬郷で山南の携帯端末を借りて話して以来なので、二カ月ぶりだった。
「学校には馴れた?」
「はい。でも、訓練は、毎日ついていくのがやっとで。この前、フィジカルアセスメントを受けたら、歴代で一番低い記録でした」
「あいの課題がフィジカルにあるのは、わかっていたからね。入学前のトレーニングじゃ、合格の水準にもっていくので限界だったし。
けど、いまが最下位なら、あとは這い上がっていくだけさ」
「トレーナーにも同じことを言われました。私も、一つひとつ、できることをやっていこうと思ってます」
「いいね、まずは同期全員追い抜いてやろう」
「はい」
「担当馬とは? もう仲良くなれたかい?」
あいはサファイアとオハナのことを話しながらも、頭では別のことを考えていた。
校外学習の日に東京競馬場で知り合った美冬から、天道の引退について聞いた。
学校に戻ってからも、その話が頭から離れず、翌日、それとなく実技教官である小早川に当時のことを尋ねようとした。
小早川とは競馬学校で同期で、騎手として切磋琢磨し合った間柄だったと、天道からは聞かされていた。
天道が病になったとき、身近にいて、より詳細に知っているはずだった。
しかし、あいが自由時間に教官室を訪ね、その話題を切り出そうとすると、おもむろに話を逸らされ、はぐらかされてしまった。
小早川が教官室を出て行ってしまうと、その場に居合わせた老教官、落合が、小早川は天道の引退にまつわる話をしたがらないのだと教えてくれた。
天道のことをもっと知りたい。
そう思う反面、過去を知ったところで、自分になにかできるわけでもない、とも思った。
天道への恩に、報いるために、自分にできることはなんなのか。
「あい、どうかした?」
いつの間にか黙りこんでいたらしく、天道に案じられ、あいは我に返った。
背後で、寮母が長電話を咎めるような咳払いをした。
「なにか困ってることでもあるのかい」
「いえ」
「ならいいんだけどさ。そうそう、今日電話したのは、あいに伝えたいことがあって」
「あの、天道さん」
あいはここ数日、天道から受けた恩に報いる方法を、考えて続けていた。
そしてこの瞬間、本人との会話もそっちのけに、ひとつ、思いついた。
「私、騎手になります」
「ん、なにを今さら。そのために、競馬学校に入学したんじゃないか」
「それは、そうなんですけど」
綾に心配されない、強い人になりたくて、騎手を目指した。そのために、競馬学校にも入学した。けれど。
「それだけじゃなくて。私、いつか、凱旋門賞にも挑戦できるような、強い騎手になりますから」
天道が目指していた場所が、凱旋門賞だったと、美冬は言っていた。
そのレースへの挑戦を目前にして、目の病になり、引退せざるを得なくなった、とも。
綾への想い。零とのレースの約束。そして、道半ばで潰えた天道の夢。
すべてひっくるめて、あいは、決意を新たにした。
「それはまた大きく出たね。凱旋門賞がどんな賞か、わかってるのかい?」
「は、はい、学科の授業で習いました」
「本気なんだ?」
「本気、です。だから、もっともっと、頑張ります。見ていてくださいね、天道さん」
かすかに、天道が笑う気配がした。それから、わかったよ、と言う優しい声が耳元で聞こえた。
「じゃあ、また」
寮母が二度目の咳払いをしたので、あいは慌てて通話を切った。
切ってから、気づいた。
「そういえば、天道さん、なんで私に電話してきたんだろう?」
夜の自由時間の一時を、担当馬であるサファイアとオハナと過ごし、寮に戻った。
管理室の前で、あいは寮母に呼び止められた。
「天道さんから、電話ですか」
自由時間の間は携帯端末の使用も認められているが、あいは相変わらず携帯端末を持っていないままだった。
管理室に備え付けの電話を借り、保留を切った。
「もしもし」
「やぁ、あい、元気にやってるかい」
受話器から、天道の声が聞こえてくる。
入学前に馬郷で山南の携帯端末を借りて話して以来なので、二カ月ぶりだった。
「学校には馴れた?」
「はい。でも、訓練は、毎日ついていくのがやっとで。この前、フィジカルアセスメントを受けたら、歴代で一番低い記録でした」
「あいの課題がフィジカルにあるのは、わかっていたからね。入学前のトレーニングじゃ、合格の水準にもっていくので限界だったし。
けど、いまが最下位なら、あとは這い上がっていくだけさ」
「トレーナーにも同じことを言われました。私も、一つひとつ、できることをやっていこうと思ってます」
「いいね、まずは同期全員追い抜いてやろう」
「はい」
「担当馬とは? もう仲良くなれたかい?」
あいはサファイアとオハナのことを話しながらも、頭では別のことを考えていた。
校外学習の日に東京競馬場で知り合った美冬から、天道の引退について聞いた。
学校に戻ってからも、その話が頭から離れず、翌日、それとなく実技教官である小早川に当時のことを尋ねようとした。
小早川とは競馬学校で同期で、騎手として切磋琢磨し合った間柄だったと、天道からは聞かされていた。
天道が病になったとき、身近にいて、より詳細に知っているはずだった。
しかし、あいが自由時間に教官室を訪ね、その話題を切り出そうとすると、おもむろに話を逸らされ、はぐらかされてしまった。
小早川が教官室を出て行ってしまうと、その場に居合わせた老教官、落合が、小早川は天道の引退にまつわる話をしたがらないのだと教えてくれた。
天道のことをもっと知りたい。
そう思う反面、過去を知ったところで、自分になにかできるわけでもない、とも思った。
天道への恩に、報いるために、自分にできることはなんなのか。
「あい、どうかした?」
いつの間にか黙りこんでいたらしく、天道に案じられ、あいは我に返った。
背後で、寮母が長電話を咎めるような咳払いをした。
「なにか困ってることでもあるのかい」
「いえ」
「ならいいんだけどさ。そうそう、今日電話したのは、あいに伝えたいことがあって」
「あの、天道さん」
あいはここ数日、天道から受けた恩に報いる方法を、考えて続けていた。
そしてこの瞬間、本人との会話もそっちのけに、ひとつ、思いついた。
「私、騎手になります」
「ん、なにを今さら。そのために、競馬学校に入学したんじゃないか」
「それは、そうなんですけど」
綾に心配されない、強い人になりたくて、騎手を目指した。そのために、競馬学校にも入学した。けれど。
「それだけじゃなくて。私、いつか、凱旋門賞にも挑戦できるような、強い騎手になりますから」
天道が目指していた場所が、凱旋門賞だったと、美冬は言っていた。
そのレースへの挑戦を目前にして、目の病になり、引退せざるを得なくなった、とも。
綾への想い。零とのレースの約束。そして、道半ばで潰えた天道の夢。
すべてひっくるめて、あいは、決意を新たにした。
「それはまた大きく出たね。凱旋門賞がどんな賞か、わかってるのかい?」
「は、はい、学科の授業で習いました」
「本気なんだ?」
「本気、です。だから、もっともっと、頑張ります。見ていてくださいね、天道さん」
かすかに、天道が笑う気配がした。それから、わかったよ、と言う優しい声が耳元で聞こえた。
「じゃあ、また」
寮母が二度目の咳払いをしたので、あいは慌てて通話を切った。
切ってから、気づいた。
「そういえば、天道さん、なんで私に電話してきたんだろう?」
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