Ms.ジョッキー 〜落ちこぼれ少女、騎手になる〜

井ノ上

文字の大きさ
31 / 43
第5話

師弟と日本ダービー ⑦

しおりを挟む
日本ダービーを観戦する校外学習から数日が経った。
 夜の自由時間の一時ひとときを、担当馬であるサファイアとオハナと過ごし、寮に戻った。
 管理室の前で、あいは寮母に呼び止められた。
「天道さんから、電話ですか」
 自由時間の間は携帯端末の使用も認められているが、あいは相変わらず携帯端末を持っていないままだった。
 管理室に備え付けの電話を借り、保留を切った。
「もしもし」
「やぁ、あい、元気にやってるかい」
 受話器から、天道の声が聞こえてくる。
 入学前に馬郷で山南の携帯端末を借りて話して以来なので、二カ月ぶりだった。
「学校には馴れた?」
「はい。でも、訓練は、毎日ついていくのがやっとで。この前、フィジカルアセスメントを受けたら、歴代で一番低い記録でした」
「あいの課題がフィジカルにあるのは、わかっていたからね。入学前のトレーニングじゃ、合格の水準にもっていくので限界だったし。
 けど、いまが最下位なら、あとは這い上がっていくだけさ」
「トレーナーにも同じことを言われました。私も、一つひとつ、できることをやっていこうと思ってます」
「いいね、まずは同期全員追い抜いてやろう」
「はい」
「担当馬とは? もう仲良くなれたかい?」
 あいはサファイアとオハナのことを話しながらも、頭では別のことを考えていた。
 校外学習の日に東京競馬場で知り合った美冬から、天道の引退について聞いた。
 学校に戻ってからも、その話が頭から離れず、翌日、それとなく実技教官である小早川に当時のことを尋ねようとした。
 小早川とは競馬学校で同期で、騎手として切磋琢磨し合った間柄だったと、天道からは聞かされていた。
 天道が病になったとき、身近にいて、より詳細に知っているはずだった。
 しかし、あいが自由時間に教官室を訪ね、その話題を切り出そうとすると、おもむろに話を逸らされ、はぐらかされてしまった。
 小早川が教官室を出て行ってしまうと、その場に居合わせた老教官、落合が、小早川は天道の引退にまつわる話をしたがらないのだと教えてくれた。
 天道のことをもっと知りたい。
 そう思う反面、過去を知ったところで、自分になにかできるわけでもない、とも思った。
 天道への恩に、報いるために、自分にできることはなんなのか。
「あい、どうかした?」
 いつの間にか黙りこんでいたらしく、天道に案じられ、あいは我に返った。
 背後で、寮母が長電話を咎めるような咳払いをした。
「なにか困ってることでもあるのかい」
「いえ」
「ならいいんだけどさ。そうそう、今日電話したのは、あいに伝えたいことがあって」
「あの、天道さん」
 あいはここ数日、天道から受けた恩に報いる方法を、考えて続けていた。
 そしてこの瞬間、本人との会話もそっちのけに、ひとつ、思いついた。
「私、騎手になります」
「ん、なにを今さら。そのために、競馬学校に入学したんじゃないか」
「それは、そうなんですけど」
 綾に心配されない、強い人になりたくて、騎手を目指した。そのために、競馬学校にも入学した。けれど。
「それだけじゃなくて。私、いつか、凱旋門賞にも挑戦できるような、強い騎手になりますから」
 天道が目指していた場所が、凱旋門賞だったと、美冬は言っていた。
 そのレースへの挑戦を目前にして、目の病になり、引退せざるを得なくなった、とも。
 綾への想い。零とのレースの約束。そして、道半ばで潰えた天道の夢。
 すべてひっくるめて、あいは、決意を新たにした。
「それはまた大きく出たね。凱旋門賞がどんな賞か、わかってるのかい?」
「は、はい、学科の授業で習いました」
「本気なんだ?」
「本気、です。だから、もっともっと、頑張ります。見ていてくださいね、天道さん」
 かすかに、天道が笑う気配がした。それから、わかったよ、と言う優しい声が耳元で聞こえた。
「じゃあ、また」
 寮母が二度目の咳払いをしたので、あいは慌てて通話を切った。
 切ってから、気づいた。
「そういえば、天道さん、なんで私に電話してきたんだろう?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

処理中です...