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第7話
合宿と適正 ④
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思いのほか時間が経ってしまっていた。
加奈恵はあいと、急いで民宿に戻った。
「夕食の支度も手伝わずにどこに行ってたんだ、藤刀」
「ごめん、大矢君」
「あいを叱らんといてくれ。ウチが連れまわし過ぎたんや」
「まったく。バーベキューの火の準備は俺らでやっておくから、二人は中で正士郎の手伝いをしてきてくれ」
「おう、わかったわ。いこ、あい」
靴を脱いで掃き出し窓から中に入ると、キッチンで正士郎が野菜を切っているところだった。南瓜に玉葱、茄子、人参と、バーベキューで焼く野菜のようだ。
「すまん、遅れたわ」
「構わないよ。どうせなら夕食の準備ができるまで、もう少し遊んできたらどうだい?」
「嫌味なやっちゃな。手伝うっちゅうに」
「そう。なら、そこの具材を串に刺していってもらおうかな」
「了解や」
「先に手を洗ってね」
「わかってるわい」
加奈恵とあいは脱衣所の洗面台で手を洗ってから、キッチンに戻った。
正士郎の隣で串に肉や野菜を通していく。
「わっ」
南瓜に串を通そうと力んでいたあいが、手を滑らせて危うく自分の手を刺しそうになった。
「こっわ、怪我しとらんか、あい」
「う、うん、平気」
「藤刀さんは、サラダの準備に回ってもらえるかい。レタスを千切ったり、プチトマトのへたを取るだけなら、怪我をする心配もない」
「わ、わかった」
半ば追い出されるようにして、あいはキッチンの隅で言われた作業にかかった。
「その南瓜と人参、串通す前に電子レンジにかけるで。その方が串に通しやすいし、食材の焼きむらもなくなってええやろ」
「気が回るね。家でも料理してたのかい?」
「年少の弟妹らは、ウチの料理で育ったようなもんや」
朝と夜の食事は、加奈恵が毎日用意していた。
運動会や遠足などで、弁当が必要なら、それも作ってやった。五人いる弟妹は、好き嫌いせず、加奈恵の料理をなんでもおいしいと言って食べてくれたので、作り甲斐はあった。
「にしても、意外やな。ジブンもなかなかの包丁さばきやないか」
「これぐらい、誰でもできる」
「そっちも家で料理やってたんか?」
正士郎が黙った。
以前、元中央騎手だった父のことを話題にした時も、似たようなことがあった、と加奈恵は思い出した。
多少気になりはしたが、他所の家庭事情をみだりに詮索するべきではない。
「……母が、精神的に落ち込んだりして、料理ができないときなんかに、僕が代わりにキッチンに立っていただけだ」
加奈恵は串に食材を通す手を止め、正士郎の横顔を見た。つまらなそうな顔で茄子を輪切りにしている。
「そうやったんか。そら、お母さんは助かったやろうな」
正士郎は答えない。
父親はそういう時どうしておったんや。考えたが、自重した。
正士郎の父、諏訪騎手は、落馬事故による足の故障で引退した。
当時そう報道されていたことは憶えている。加奈恵が中学に上がったばかりの頃の出来事で、正士郎は当時小学三年生だったはずだ。
諏訪騎手が引退後にどうしていたかは知らず、家での様子など、それこそ他人の加奈恵が知る由もない。
「おう、正士郎、火の準備はできたけど、そっちはどうよ」
大矢が、炭の汚れがついた顔を出してきた。
「もう終わるよ。彼女が手を動かしてくれさえすれば」
手が止まったままになっていた加奈恵を揶揄する正士郎に、睨み返し、ずんずんと残りの食材を串に刺していった。
「ほれ、終わったで」
「お、さんきゅ。サラダの方は?」
「それなら、あいがやっとるで。どうや、あい、できたか?」
「う、うん」
あいが手にした深めの皿を覗きこみ、大矢が噴き出すように笑った。
「こりゃまたずいぶん細かく千切ったな。ハムスターにでもやるつもりだったのかよ」
ともあれ、支度は済み、夕食となった。
串を炭火で焼く間、飲み物が配られ、乾杯した。
最初に焼けた串は、リビングで世間話をしている叔父と引率教官に届け、それから各自思い思いに焼けた串を取り、齧りついた。
「あい、こっち来ぃや。そこ風下で煙たいやろ」
煙で涙目になりながら串を咥えていたあいを呼び寄せた。
あい以外は、食べ盛りな男どもである。普段は節制した食生活を送っているだけに、貪るように肉に食らいついている。
用意していた串はみるみる減り、すべて焼き終えると叔父が網を鉄板に替え、焼きそばを焼いた。
焼きそばまで平らげると、叔父がデザートにメロンを切って出してくれた。
「あ、甘い」
メロンをひと切れ口にしたあいが、目を輝かせて言った。
「お、馬のこと以外でも、そんな顔になるんだな」
「大矢君、そんな顔って、どんな顔」
「なんていうか、生きてる、って感じの顔だよ」
「ああ、せやな。馬に乗ってるときのあいは、まさにそんな顔しとるな」
「加奈恵まで」
からかわれていると思ったのか、あいはふくれっ面をした。その表情に、また笑い声が起きる。
「はい、諏訪君も」
「いえ、僕は遠慮しておきます」
盛り上がっている輪の外で、デザートを断ろうとする正士郎に、加奈恵は気づいた。
「おう、メロン食えんのか?」
「食べられないわけじゃない。ただ、今日はもう必要な分の食事はしたから、これ以上は余分になる」
「なんや、叔父さんの好意が、余計やっちゅうんか」
正士郎は、呆れたように息を吐き、叔父の手にある皿から一切れだけ取って食べた。
「ごちそうさまです。これでいいかい」
「喧嘩売っとんのか」
「それは、こっちの台詞だよ」
「そこまでにしとけよ、お前ら」
「大矢」
「片付けは俺たちがやっとくから、正士郎は先に休んどけよ」
「……悪い。そうさせてもらうよ」
正士郎は叔父と教官に一礼し、玄関に回って寝室に引き上げていった。
「すみません、先生。私が気を遣うべきでした。騎手課程生は、それこそ血の滲むような思いで、体重を管理しているというのに」
「いえ、いえ、お気になさらず。ああして喜んでいる生徒もいますし、木村さんのご好意はありがたいです。諏訪のように、ナーバスというか、ストイックな学生もいるというだけなので」
教官は頭を下げようとする叔父に慌てて釈明した。
叔父は、もう一度教官に詫びてから、加奈恵を呼んだ。
「わかっとる。あれは、ウチが悪かった。せやけど、あいつの態度にカチンときてもうたんや」
「お前も、少し頭を冷やしておいで。厩務員課程とはいえ、同じ学校で学んでいるんだ。騎手になる大変さは、私以上に理解しているだろう」
「ん、せやな」
加奈恵は間に入って止めてくれた大矢に礼を言ってから、一階の奥に用意された女子用の寝室へと引き上げた。
加奈恵はあいと、急いで民宿に戻った。
「夕食の支度も手伝わずにどこに行ってたんだ、藤刀」
「ごめん、大矢君」
「あいを叱らんといてくれ。ウチが連れまわし過ぎたんや」
「まったく。バーベキューの火の準備は俺らでやっておくから、二人は中で正士郎の手伝いをしてきてくれ」
「おう、わかったわ。いこ、あい」
靴を脱いで掃き出し窓から中に入ると、キッチンで正士郎が野菜を切っているところだった。南瓜に玉葱、茄子、人参と、バーベキューで焼く野菜のようだ。
「すまん、遅れたわ」
「構わないよ。どうせなら夕食の準備ができるまで、もう少し遊んできたらどうだい?」
「嫌味なやっちゃな。手伝うっちゅうに」
「そう。なら、そこの具材を串に刺していってもらおうかな」
「了解や」
「先に手を洗ってね」
「わかってるわい」
加奈恵とあいは脱衣所の洗面台で手を洗ってから、キッチンに戻った。
正士郎の隣で串に肉や野菜を通していく。
「わっ」
南瓜に串を通そうと力んでいたあいが、手を滑らせて危うく自分の手を刺しそうになった。
「こっわ、怪我しとらんか、あい」
「う、うん、平気」
「藤刀さんは、サラダの準備に回ってもらえるかい。レタスを千切ったり、プチトマトのへたを取るだけなら、怪我をする心配もない」
「わ、わかった」
半ば追い出されるようにして、あいはキッチンの隅で言われた作業にかかった。
「その南瓜と人参、串通す前に電子レンジにかけるで。その方が串に通しやすいし、食材の焼きむらもなくなってええやろ」
「気が回るね。家でも料理してたのかい?」
「年少の弟妹らは、ウチの料理で育ったようなもんや」
朝と夜の食事は、加奈恵が毎日用意していた。
運動会や遠足などで、弁当が必要なら、それも作ってやった。五人いる弟妹は、好き嫌いせず、加奈恵の料理をなんでもおいしいと言って食べてくれたので、作り甲斐はあった。
「にしても、意外やな。ジブンもなかなかの包丁さばきやないか」
「これぐらい、誰でもできる」
「そっちも家で料理やってたんか?」
正士郎が黙った。
以前、元中央騎手だった父のことを話題にした時も、似たようなことがあった、と加奈恵は思い出した。
多少気になりはしたが、他所の家庭事情をみだりに詮索するべきではない。
「……母が、精神的に落ち込んだりして、料理ができないときなんかに、僕が代わりにキッチンに立っていただけだ」
加奈恵は串に食材を通す手を止め、正士郎の横顔を見た。つまらなそうな顔で茄子を輪切りにしている。
「そうやったんか。そら、お母さんは助かったやろうな」
正士郎は答えない。
父親はそういう時どうしておったんや。考えたが、自重した。
正士郎の父、諏訪騎手は、落馬事故による足の故障で引退した。
当時そう報道されていたことは憶えている。加奈恵が中学に上がったばかりの頃の出来事で、正士郎は当時小学三年生だったはずだ。
諏訪騎手が引退後にどうしていたかは知らず、家での様子など、それこそ他人の加奈恵が知る由もない。
「おう、正士郎、火の準備はできたけど、そっちはどうよ」
大矢が、炭の汚れがついた顔を出してきた。
「もう終わるよ。彼女が手を動かしてくれさえすれば」
手が止まったままになっていた加奈恵を揶揄する正士郎に、睨み返し、ずんずんと残りの食材を串に刺していった。
「ほれ、終わったで」
「お、さんきゅ。サラダの方は?」
「それなら、あいがやっとるで。どうや、あい、できたか?」
「う、うん」
あいが手にした深めの皿を覗きこみ、大矢が噴き出すように笑った。
「こりゃまたずいぶん細かく千切ったな。ハムスターにでもやるつもりだったのかよ」
ともあれ、支度は済み、夕食となった。
串を炭火で焼く間、飲み物が配られ、乾杯した。
最初に焼けた串は、リビングで世間話をしている叔父と引率教官に届け、それから各自思い思いに焼けた串を取り、齧りついた。
「あい、こっち来ぃや。そこ風下で煙たいやろ」
煙で涙目になりながら串を咥えていたあいを呼び寄せた。
あい以外は、食べ盛りな男どもである。普段は節制した食生活を送っているだけに、貪るように肉に食らいついている。
用意していた串はみるみる減り、すべて焼き終えると叔父が網を鉄板に替え、焼きそばを焼いた。
焼きそばまで平らげると、叔父がデザートにメロンを切って出してくれた。
「あ、甘い」
メロンをひと切れ口にしたあいが、目を輝かせて言った。
「お、馬のこと以外でも、そんな顔になるんだな」
「大矢君、そんな顔って、どんな顔」
「なんていうか、生きてる、って感じの顔だよ」
「ああ、せやな。馬に乗ってるときのあいは、まさにそんな顔しとるな」
「加奈恵まで」
からかわれていると思ったのか、あいはふくれっ面をした。その表情に、また笑い声が起きる。
「はい、諏訪君も」
「いえ、僕は遠慮しておきます」
盛り上がっている輪の外で、デザートを断ろうとする正士郎に、加奈恵は気づいた。
「おう、メロン食えんのか?」
「食べられないわけじゃない。ただ、今日はもう必要な分の食事はしたから、これ以上は余分になる」
「なんや、叔父さんの好意が、余計やっちゅうんか」
正士郎は、呆れたように息を吐き、叔父の手にある皿から一切れだけ取って食べた。
「ごちそうさまです。これでいいかい」
「喧嘩売っとんのか」
「それは、こっちの台詞だよ」
「そこまでにしとけよ、お前ら」
「大矢」
「片付けは俺たちがやっとくから、正士郎は先に休んどけよ」
「……悪い。そうさせてもらうよ」
正士郎は叔父と教官に一礼し、玄関に回って寝室に引き上げていった。
「すみません、先生。私が気を遣うべきでした。騎手課程生は、それこそ血の滲むような思いで、体重を管理しているというのに」
「いえ、いえ、お気になさらず。ああして喜んでいる生徒もいますし、木村さんのご好意はありがたいです。諏訪のように、ナーバスというか、ストイックな学生もいるというだけなので」
教官は頭を下げようとする叔父に慌てて釈明した。
叔父は、もう一度教官に詫びてから、加奈恵を呼んだ。
「わかっとる。あれは、ウチが悪かった。せやけど、あいつの態度にカチンときてもうたんや」
「お前も、少し頭を冷やしておいで。厩務員課程とはいえ、同じ学校で学んでいるんだ。騎手になる大変さは、私以上に理解しているだろう」
「ん、せやな」
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