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第7話
合宿と適正 ⑤
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ダイニングキッチンで同期の一人と洗い物を済ませた。
外の片づけは、大矢が主導してあらかた片付いていた。
あいは、女子用の寝室にあてがわれた、奥の和室へ行った。
襖をそろりと開けると、加奈恵がいるはずだが、照明はついておらず部屋は真っ暗だった。
「加奈恵、入るね?」
声をかけて中に入り、後ろ手に襖を締めた。
目はすぐに闇に慣れた。
部屋の中央に敷かれた布団の上に、胡坐で鎮座している加奈恵の背中が見えてくる。
その隣に用意されたもう一組の寝具は、あいのためのものだ。
いそいそと加奈恵の隣へ行き、正座した。
かける言葉は見つけられない。ただ加奈恵の近くにいたい、と思っただけだ。
「ウチの家が経営で行き詰って」
しばらくして、加奈恵がおもむろに口を開いた。
「酪農を辞めることになった時、牛はわりとすんなり、他所の畜産関係で引き取り手が見つかったんよ。けど、今日会した馬、あの二頭は、貰い手が見つからんかった」
あいは黙って加奈恵の話に耳を傾けた。
部屋の窓が開けられており、そこから夜気が流れ込んでいた。肌寒いのは加奈恵も同じはずだが、身動ぎひとつしない。
「いや、おるにはおったんや。馬を捌いて、食肉にして売る会社や。二束三文で、買い叩こうとしてきおった。当然、突っぱねた。せやけど現実問題、引き取り先は見つからんままで、馬だけ飼い続ける、ちゅうわけにもいかんかった」
牛も馬も、食べるものは大きく違わない。
加奈恵の家も経営不振に陥る前は、乳牛を飼育する傍ら、馬を二頭飼うぐらいの余裕があったのだ。
乗馬体験ができるようにし、見学客を呼び込んだりと役立ててもいたらしかった。
牛を手放してなお、馬のためだけに土地を残して飼料を手配し続けるのが難しいであろうことは、あいも想像できた。
「オトンは、馬の首を抱いてひたすら謝っとった。ウチも、悔しかった。そんな時に、ここで民宿をスタートさせてた叔父さんが、隣の牧場で受け入れてくれる話を持ってきてくれたんや」
夕方に会った、健やかそうな毛並みの二頭の馬を、あいは思い浮かべた。牧場の雰囲気は、馬郷とも似ていた。
「加奈恵の叔父さんは、加奈恵の家族の恩人だったんだね。だから、正士郎君の態度にカチンときちゃったんだね」
あいが言うと、加奈恵が振り向き、力なく笑った。
「すまんな、言い訳聞かせてもうた」
「ううん。加奈恵のこと、話してくれて嬉しい。もっと色々知りたい」
「ウチだけは不公平やん。あいのことも、話してぇや」
「うん」
「よっしゃ。そうと決まれば、先にやることやらんとな」
「やること?」
「正士郎に謝ってくる。どうあれ、ウチのあの言動はあかんかった」
加奈恵は立ち上がると窓を閉め、部屋を出て行った。
あいは落ち着かず、少し迷ったが、加奈恵の後を追うことにした。
男子の寝室がある二階へ上がると、廊下で風呂上りの大矢と行き会った。
「藤刀も正士郎を探してるのか? あいつなら、散歩してくるって言って、外に出て行ったぜ」
「ありがとう」
加奈恵も大矢に聞いたのだろう。あいは靴に履き替え、二人を探しに出た。
いた。
二人は、牧場の柵の近くで、肩を並べていた。あいは咄嗟に近くの看板の陰に身を隠した。
牛は牛舎で眠っているのだろう。
深閑とした草原を前に、加奈恵が謝ると、正士郎はいつもの調子ですんなり許した。許したというより、なんとも思っていない、という口ぶりだった。
「一つ、訊いてもいいかい」
民宿に戻りかけた加奈恵を、正士郎が呼び止めた。
「なんや?」
「藤刀さんのこと、どう思う」
「なんであいが、ここで出てくんねん」
加奈恵が訝しげに言う。あいも同じ気持ちで、看板の陰でじっとしたまま、耳をそばだてる。
「あいは、手はかかるけど可愛い妹、みたいな感じやな。不器用やし、おっちょこちょいやし。けど、優しい。それに、純粋や」
「そんなことは訊いていないよ。君から見て、彼女は騎手に向いていると思うかい」
「なんや、それ。あいの乗馬は、大したもんや。間近で見たんは、今日がはじめてやったけど。それこそ、一緒に訓練しとるジブンの方が、よくわかっとるやろ」
「確かに、馬と呼吸を合わせるという点では、同期の中で抜きんでている。正直、現役騎手と比べても、遜色がないんじゃないか、と思うこともある」
「ふん、あいを買ってるんやな」
「どうかな。僕は、彼女が騎手に向いているとは考えていない。彼女には、騎手になるには決定的に欠けているものがある」
「それは、」
「その反応だと、君も、同じふうに考えていたんじゃないか?」
加奈恵が黙りこんだ。沈黙が、そのまま答えだった。
すぐこの場を離れたい、と思っているのに、心に反して、身体が言うことを聞いてくれない。
「騎手は過酷な勝負の世界だ。その世界で生きていくには、彼女は、闘争心が無さ過ぎる」
冷徹に断言する、正士郎のその眼差しを、あいは知っている。
朔だ。
小さい頃は、仲のいい幼馴染だった。けれどいつからか、あいに冷ややかな目を向けるようになった。
中学にあがっても、笑いかけてくれることはあったが、ほんとうには笑っていなかった。心を閉ざし、向ける瞳の奥には、あいを拒絶する火がちろちろと燃えていた。
あの目だ。
あいは、よろよろと立ち上がり、音もなくその場をあとにした。
民宿に戻ると、リビングで過ごしていた同期に呼びかけられたが、碌に受け答えできず、廊下を通り過ぎた。
寝室に入ると、布団を曳き被って背中を丸めた。
綾に縋りたくなる気持ちを、ひたすら抑えた。
外の片づけは、大矢が主導してあらかた片付いていた。
あいは、女子用の寝室にあてがわれた、奥の和室へ行った。
襖をそろりと開けると、加奈恵がいるはずだが、照明はついておらず部屋は真っ暗だった。
「加奈恵、入るね?」
声をかけて中に入り、後ろ手に襖を締めた。
目はすぐに闇に慣れた。
部屋の中央に敷かれた布団の上に、胡坐で鎮座している加奈恵の背中が見えてくる。
その隣に用意されたもう一組の寝具は、あいのためのものだ。
いそいそと加奈恵の隣へ行き、正座した。
かける言葉は見つけられない。ただ加奈恵の近くにいたい、と思っただけだ。
「ウチの家が経営で行き詰って」
しばらくして、加奈恵がおもむろに口を開いた。
「酪農を辞めることになった時、牛はわりとすんなり、他所の畜産関係で引き取り手が見つかったんよ。けど、今日会した馬、あの二頭は、貰い手が見つからんかった」
あいは黙って加奈恵の話に耳を傾けた。
部屋の窓が開けられており、そこから夜気が流れ込んでいた。肌寒いのは加奈恵も同じはずだが、身動ぎひとつしない。
「いや、おるにはおったんや。馬を捌いて、食肉にして売る会社や。二束三文で、買い叩こうとしてきおった。当然、突っぱねた。せやけど現実問題、引き取り先は見つからんままで、馬だけ飼い続ける、ちゅうわけにもいかんかった」
牛も馬も、食べるものは大きく違わない。
加奈恵の家も経営不振に陥る前は、乳牛を飼育する傍ら、馬を二頭飼うぐらいの余裕があったのだ。
乗馬体験ができるようにし、見学客を呼び込んだりと役立ててもいたらしかった。
牛を手放してなお、馬のためだけに土地を残して飼料を手配し続けるのが難しいであろうことは、あいも想像できた。
「オトンは、馬の首を抱いてひたすら謝っとった。ウチも、悔しかった。そんな時に、ここで民宿をスタートさせてた叔父さんが、隣の牧場で受け入れてくれる話を持ってきてくれたんや」
夕方に会った、健やかそうな毛並みの二頭の馬を、あいは思い浮かべた。牧場の雰囲気は、馬郷とも似ていた。
「加奈恵の叔父さんは、加奈恵の家族の恩人だったんだね。だから、正士郎君の態度にカチンときちゃったんだね」
あいが言うと、加奈恵が振り向き、力なく笑った。
「すまんな、言い訳聞かせてもうた」
「ううん。加奈恵のこと、話してくれて嬉しい。もっと色々知りたい」
「ウチだけは不公平やん。あいのことも、話してぇや」
「うん」
「よっしゃ。そうと決まれば、先にやることやらんとな」
「やること?」
「正士郎に謝ってくる。どうあれ、ウチのあの言動はあかんかった」
加奈恵は立ち上がると窓を閉め、部屋を出て行った。
あいは落ち着かず、少し迷ったが、加奈恵の後を追うことにした。
男子の寝室がある二階へ上がると、廊下で風呂上りの大矢と行き会った。
「藤刀も正士郎を探してるのか? あいつなら、散歩してくるって言って、外に出て行ったぜ」
「ありがとう」
加奈恵も大矢に聞いたのだろう。あいは靴に履き替え、二人を探しに出た。
いた。
二人は、牧場の柵の近くで、肩を並べていた。あいは咄嗟に近くの看板の陰に身を隠した。
牛は牛舎で眠っているのだろう。
深閑とした草原を前に、加奈恵が謝ると、正士郎はいつもの調子ですんなり許した。許したというより、なんとも思っていない、という口ぶりだった。
「一つ、訊いてもいいかい」
民宿に戻りかけた加奈恵を、正士郎が呼び止めた。
「なんや?」
「藤刀さんのこと、どう思う」
「なんであいが、ここで出てくんねん」
加奈恵が訝しげに言う。あいも同じ気持ちで、看板の陰でじっとしたまま、耳をそばだてる。
「あいは、手はかかるけど可愛い妹、みたいな感じやな。不器用やし、おっちょこちょいやし。けど、優しい。それに、純粋や」
「そんなことは訊いていないよ。君から見て、彼女は騎手に向いていると思うかい」
「なんや、それ。あいの乗馬は、大したもんや。間近で見たんは、今日がはじめてやったけど。それこそ、一緒に訓練しとるジブンの方が、よくわかっとるやろ」
「確かに、馬と呼吸を合わせるという点では、同期の中で抜きんでている。正直、現役騎手と比べても、遜色がないんじゃないか、と思うこともある」
「ふん、あいを買ってるんやな」
「どうかな。僕は、彼女が騎手に向いているとは考えていない。彼女には、騎手になるには決定的に欠けているものがある」
「それは、」
「その反応だと、君も、同じふうに考えていたんじゃないか?」
加奈恵が黙りこんだ。沈黙が、そのまま答えだった。
すぐこの場を離れたい、と思っているのに、心に反して、身体が言うことを聞いてくれない。
「騎手は過酷な勝負の世界だ。その世界で生きていくには、彼女は、闘争心が無さ過ぎる」
冷徹に断言する、正士郎のその眼差しを、あいは知っている。
朔だ。
小さい頃は、仲のいい幼馴染だった。けれどいつからか、あいに冷ややかな目を向けるようになった。
中学にあがっても、笑いかけてくれることはあったが、ほんとうには笑っていなかった。心を閉ざし、向ける瞳の奥には、あいを拒絶する火がちろちろと燃えていた。
あの目だ。
あいは、よろよろと立ち上がり、音もなくその場をあとにした。
民宿に戻ると、リビングで過ごしていた同期に呼びかけられたが、碌に受け答えできず、廊下を通り過ぎた。
寝室に入ると、布団を曳き被って背中を丸めた。
綾に縋りたくなる気持ちを、ひたすら抑えた。
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