センゴク☆ロック

井ノ上

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第1話

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キックが、低く響いた。
 ライブハウスAZMARUアザマルの出演枠を埋めるため、オーディションの最中だった。
 応募があったのは、五組。
 そのうち、実際に演奏を聴いてほしいと言ってきたのは、一組だった。他からは、デモテープが送られてきている。
 このバンドから出演希望の連絡があったのは、十日前だ。学校にある、ピンク電話からかけてきたのだろう。仙極せんごくがオーディションの日取りを伝える間、受話器の奥からは、若者の喧騒が聞こえていた。電話口の声も、若かった。
 やって来たのは、高校生バンドだった。
 レコーディングの経験もなく、名刺代わりの音源もないであろうことは、容易に想像できた。
 エレキ楽器さえ、ほんの十数年前までは国内でまともな生産はされておらず、庶民が手を出せるような価格ではなかった。
 再び、キックの重い音が、仙極の耳を打った。
 演奏は続いている。曲はオリジナルだ。度々、ドラムがギターの尻を蹴り上げている、という感じがあった。
 スリーピースのロックバンドで、ギータ―ボーカルに、ドラム、ベースの構成である。
 ギターが、些細なミスを繰り返している。ミスをすると、歌が上擦る。その度にドラムが、ギターを鼓舞するような音を出していた。実際、その音にギターは支えられている。
 ベースはその隣で、淡々と自分の役割を果たしていた。技術的にはAZMARUぐらいの規模のライブハウスでるには十分なレベルで、肝も据わっていそうだった。オーディションを受けるのもはじめてらしい様子のあとの二人とは違い、いくらか場数も踏んでいそうだ。
 演奏の完成度では、音源を送ってきたバンドの方がいい。
 ただ、仙極は、このあおいバンドをもう少し見てみたい、という気分になっていた。
 ギターのチョーキング。
 演奏が終わった。
 ドラムの青年はたった一曲演っただけとは思えないほど、汗にまみれていた。
「どうでしょうか」
 ベースの青年が、ストラップを外しながら言った。
「うん、いいんじゃないかな。結果は、ちゃんと選考してから、後日連絡するけど、僕は君らの演奏をもっと聴きたいと思ったよ」
 仙極は率直に感想を伝えた。
 不安そうにしていたギターとドラムは喜色を浮かべたが、ベースは不服そうだった。いまの出来に、納得していないのだ。口の端には、頑固そうな線が見えた。
 ドラムから求められ、二、三、アドバイスした。それでオーディションは終わりだった。
 高校生らが自前の楽器を手早く片しはじめる。アンプなどはライブハウスにある機材だ。ドラムの青年はスティックをしまうと、スネアやフロアタムに飛んだ汗を丁寧に拭った。
 仙極は腰を上げ、楽屋から持ち出して使っていたパイプ椅子を片しに、一度奥へ引っ込んだ。
 フロアに戻ると、帰り支度を済ませたベースの青年がステージから降りて、一人の男と睨み合っていた。
「俺たちに、なにか用ですか」
「用か。そんなものはない」
 男はフードを目深にかぶり、顔が隠れていた。だが、男の声を聞いただけで、誰かわかった。仙極は、思わず声をあげそうになった。
「なら、構わないでくださいよ」
「ずいぶんと喧嘩腰ではないか」
「どこから聴いていたのか知りませんけど、俺たちの演奏を未熟だとか言って、先に喧嘩を売ってきたのはそっちでしょう」
「思ったことを、そのまま口にしただけだ。フロントに漏れてきたアウトロを聴いただけだが、まぁ、それで十分だな」
「自分の腕に、よっぽど自信があるみたいですね」
「どうかな」
 男は、小汚い犬を片手に抱えていた。反対の手には、黒い牛革製のベースケースをぶら下げている。
「未熟かどうか、確かめたらいい」
「ほう」
「当然、あんたの腕も、確かめさせてもらいますよ。それ、お飾りで持っているわけじゃないでしょう」
 高校生が、背負っていたケースを降ろし、ベースを手にした。
 男が、フードの奥で、にやりと笑う。
 仙極は止めるべきか迷ったが、ことの成り行きを見守ることにした。メンバーは諫めようとしているが、闘争心に火がついたベースの青年は耳を貸さない。
 まず、青年が独奏した。
「へえ」
 つい関心してしまうほど、青年の演奏はうまかった。バンドではギターを食ってしまわないよう、力をセーブしていたのか。
 青年からかなり挑戦的なフレーズを浴びせかけられた男は、ゆったりとした挙措で、犬を降ろし、楽器ケースを開けた。
 ホワイトアッシュのボディに、太いUシェイプネックのベースが、男の手によって立ち上がった。
「藤吉、うろちょろするな」
 男が言うと、ふらりと離れていこうとした犬が小声でいた。
 男の指が、踊った。弦が跳ねる。アンプなしでも、音の粒が、旋律が、仙極の立つ場所まで伝わってくる。技巧だけではない、厚みのある音で、打ちのめされそうになる。
 背中越しでも、男が放つ音の凄味に、青年が気圧されるのがわかった。
「もういいでしょう」
 青年と同じくワンフレーズを引き終えたタイミングで、仙極は二人の間に割って入った。血が滲むほどきつく唇を噛んでいる青年の肩を叩いた。
「久しぶりです、信永さん」
 高校生グループを見送り、男を振り返ると、拳で腹を小突かれた。
「うっ」
「島津との対バンで、こっぴどくやられたらしいな。しかしそれだけなら、秀吉も謹慎させたりはするまい」
 男、信永に、襟首を掴まれ、ぐいと引き寄せられた。
「その腑抜けた面を見て、得心した。ロックから逃げたか、仙極」
 信永の言葉が、自覚すらしていなかった仙極の内面にあるものを、鋭く突いてきた。
「敵わないな。『天下布舞』のボーカルで、天下を見据えていた頃と、あなたはなにも変わらない。もう四年ですか、あの全国ツアーから」
「昔のことは忘れたな。いまの俺は、亡霊のようなもんだ」
 襟首を放された。だが、逃げたな、と言った信永の声は、耳腔に残響して消えなかった。
 四年前、ロック界だけではない、日本の音楽業界の覇権を、『天下布舞』は掴みかけていた。
 しかし、手は届かなかった。
 全国ツアーの大詰めである西国公演前日、ギターを担当していた明池光秀が突如脱退を表明したのだ。
 致命的なかたちで全国ツアーが失敗に終わり、グループは解散せざるを得なかった。
 信永が表舞台から消えて、四年が経ったのだ、と仙極は改めて思った。
「信永さん、あの頃はよく、天下って言葉を口にしていましたよね。グループ名もそうですけど、あの言葉がなにを指していたのか、そういえば詳しく聞いたことってなかったですよね」
「ロックを演るやつ一人ひとりが、それぞれに異なる天下を見ていた。なにか一つを指し示した言葉ではないが、それでもあえて一言で言うなら、夢だな」
「夢を懸けた男が、ステージでぶつかり合っていた。言われてみれば、確かにそんな感じだったな」
「だから、対バンは生易しいものではないのだ。ときに命よりも重いものを、ぶつけ合う。戦のようなものだ」
「なんだか、嬉しいな」
「なにが」
「信永さんとこんな話ができる日が来るとは、思ってなかったから。同じグループで、それなりに長く演らせてもらっていましたけど、あまりこういう話はできなかったし」
「戦の最中に、暢気に喋るやつがあるか」
「いまは違うんですか」
「いまの俺は亡霊だと言っただろう」
「その亡霊っての、いまひとつぴんとはきていないんですが。とりあえず、なにか飲みますか?」
「おう、ビールをくれ」
 仙極はフロア入口の近くにあるバーカウンターへ行き、ビールを注いで渡した。信永は水で喉を潤すように、それを一息で飲み干した。
「光秀を探し出して、対バンをやる。協力しろ」
 信永が口の端についた泡を手の甲で拭い、言った。
「また唐突ですね。しかも、明池さんと対バンなんて。まさか復讐しようというんじゃ」
 言いかけると、また拳が飛んできた。先ほどの挨拶代わりの拳ではなく、ちゃんと重いのを、腹に喰らった。
「すみません」
「ふん、用件は伝えたぞ。俺はもう行く」
「待ってください。明池さんはあれから、羽芝さんとの対バンで敗れて、行方知れずなんですよ。それに僕も、いまはここのオーナー代理で、バンドをやるつもりは」
「やつの行方は、別のやつに探らせている。腑抜けたお前に、ドラムを頼もうとも思っておらん」
「なら、僕になにをしろと」
「ごちそうさん」
 信永は仙極の問いには取り合わず、空いたプラスチックコップをカウンターに置き、出て行ってしまった。藤吉と呼ばれていた雑種らしき犬が、その後を追った。
 週明けの火曜日の夜。
 二組目としてステージに上がった例の高校生バンドは、演奏を終えると、惨澹とした表情で楽屋に引きあげていった。
 仙極は今夜のトリである三組目の演奏を、一曲だけ聴き、楽屋に向かった。
 一度冷めた客は、三組目の演奏で熱を取り戻し、その歓声が舞台裏の楽屋にまで響いていた。
「あのおやじ、『天下布舞』の織田信永だったんですよね」
 仙極が楽屋に顔を出すと、ベースの青年がおもむろに言った。
 ベースの青年は、信永の演奏に圧倒され、すっかり自信を失ってしまっていた。
 それが、今日のライブで演奏に出た。
 果敢に演奏を前に押し出そうとしたのは、ドラムだけだ。それも結局、ギターのフォローに終始させられていた。調子を崩したベースに、ギターは困惑しきっていたのだ。
「あの人は、ボーカルでしょう。なんで、あんなにベースを弾けるんです」
「信永さんはもともとベーシストなんだ。君が生まれる前の話だから、知らないのも無理はないか」
 『天下布舞』を結成する以前の話で、レコードも出していなかったから、信永がベースボーカルだったことはごく限られた人間しか知らない。仙極も、話に聞いて知っているだけで、実際にステージで弾いている姿を見たことがあるわけではなかった。
「井間川っていう、駿河を拠点に活動していたロッカーとの対バン以来、ボーカルに専念するようになってね。それまでは、ベースボーカルだったんだよ」
「俺、自分のベースに自信があったんです。なのに、あんなの」
 うなだれた青年が、消え入るような声で言った。
 仙極は、その青年の姿に、一昨年の自分が重なって見えた。自然と、その隣に座っていた。
「きみ、玉響タマユラを視たことはある?」
「ごく一部のロッカーが、演奏中に発する光の粒ってやつですか。あんなの、眉唾でしょう」
 青年は、膝の上に寝かせた楽器に視線を落としていた。よく手入れ、使い込まれたベースだ。親から譲られたものか。
「確かに、嘘みたいな話だ。でも、ある。実際は、ロッカーが発するというより、演奏に引き寄せられるように、どこからか集まってくるんだ」
「なんすか、それ。ロック好きの妖精でもいるってんですか」
 仙極は、くすりと笑った。
「そうかもしれない」
「励ましてくれるのはありがたいっすけど、もっとほかになにかあるでしょ」
 青年が顔を上げ、ぎこちなく笑う。あと二人のメンバーも、ほっと息をつく。
 彼らの気持ちを和らげようと思ってした話ではなかった。
 信永や、信永と本州で覇を競い合ったロッカー。それに四国で仙極自身がグループを率いて対バンをした、長宗壁や島津。多くはないが、彼らの演奏に魅かれるように集ってきた玉響を、仙極は直に目撃したことがあった。
 どれほど自分のプレーを突き詰めても、仙極のドラムに、玉響が寄って来たことはなかった。
「最初のライブで地獄をみた。捉えようによっては、いい経験になるんじゃないかと、僕は思うよ」
 隣の青年に言いながら、信永に言われた言葉を思い出していた。
 自分は、群雄割拠するロック界にプロとして立ち続けることから背を向けたのか。
 仙極は、掌に残るたこの感触を、指先で確かめていた。
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