センゴク☆ロック

井ノ上

文字の大きさ
2 / 8

第2話

しおりを挟む
鉄道に揺られていた。
 向かい合ったボックスシートの下の隙間に、犬の藤吉が丸まって収まっている。
 鈍行だった。
 駅に停車するたび、線路を隔てて、上り列車を待つホームに、家族連れの姿が多くあった。
 夏のボーナスを受け取り、連休を使って遠出をしようというのだろう。
「藤吉、俺の親父はな、尾張の県庁に勤めていたのだ。いまぐらいの時期に、家に帰って来た親父が、ボーナスの入った茶封筒を、母にぽんと手渡していたのを、ふと思い出した」
 信永は、ほとんど独り言のように、足元の藤吉に話しかけた。
 車窓から浴びる初夏の風が心地よかったが、藤吉のところには届かず、蒸し暑そうに舌を垂らしていた。
「当時高価だったエレキを、その親父が道楽で買ってきてな。それが、俺が音楽をはじめたきっかけだな」
 あの頃、エレキ楽器は国内ではほぼ造られておらず、ほとんどが舶来品だった。
「それから楽器一本で世に出て、音楽だけをやって生きてきた。二十代は、客を呼ばなければその日食うものもなかった。山里のあたりをふらついていたちょっと前のお前と、似たようなものだ」
 大手の音楽レーベルから声がかかり、初のレコードを出したのは、三十をいくらか過ぎた頃だ。
 それに前後して、尾張、美濃一円で最大の人気を誇っていた井間川率いるロックグループを破った。
 そこが転機だった。
 井間川との対バンで敗れ、野に消えていてもおかしくはなかった、と信永はいまにして思う。実力は拮抗していて、勝てたのは運のようなものだったのだ。
 越前の駅で、信永は降車した。
 人波を掻き分け、駅前に出た。道の端に寄り、植え込みの傍で藤吉に水をやった。
 水を飲み終えると、藤吉が湿った鼻頭を突き出してくる。その先を指先で軽く弾いてから、頭を撫でてやった。藤吉は気持ちよさそうに喉を鳴らした。
 路面電車が通り抜けた後の道を渡り、煉瓦造りの都市銀行が建っている角を曲がった。電柱が立ち並び、頭上には蜘蛛が糸を吐いたように電線が張り巡らされている。
 大通りから一本奥に入った通りには、ぱっと見ただけでも、薬屋が多い感じがあった。
 トラベルバッグを肩に掛け、片手にベースケースを引っ提げていた。
 滞在していた安宿を引き払って来たので、バッグには身の回りのものがすべて入っている。それでもベース一本と重さはさほど変わらない。
 適当な薬屋に立ち寄り、店のおやじを呼んだ。
「この店で一番よく効く薬をくれ」
「よく効くったって、風邪なのか腹痛なのかとか、症状でも変わってきますわ」
「なんにでも効くやつがいい」
「そんなもんがあったら、おらぁ今頃、みやこか東京でひと財産築いてますわい」
 薬屋のおやじは豪放に笑い飛ばした。
 信永は、店内を見回し、目についた薬を三つ四つ取って買った。紙袋をトラベルバッグにつっこみ、店を出た。
 藤吉は、店の前で大人しく待っていた。
 眼下をゆったりと流れる足羽川沿いに出た。
 橋の手前で、藤吉が尻尾を股下に潜らせ立ち竦み、鳴声を上げた。
「なんだ、こんな橋が怖いのか。野良だった根性を見せてみろ」
 信永が言い、それ以上構わないと、藤吉は諦めてついてきた。
 橋を渡りきると、元の調子を取り戻し、信永の前に歩み出てきた。ぷりっとした尻を得意げに左右に振っている。
「越前に来るのははじめてのくせに、俺を先導しているつもりか、お前」
 閑静とした住宅街の一角を借りて、平屋の日本家屋が建っていた。そこが、仁羽長秀が静養しているやしきであった。
 生垣伝いに裏へ回り、木戸を押して中に入った。
 裏庭で、桃の木が青々と葉を茂らせていた。その横には、生垣に立てかけるようにして竹で支柱が組まれており、そこに蔓を巻きつけた朝顔が、花をぶら下げていた。
 藤吉が朝顔にそろそろと近づいていき、花弁についた雫の香りを確かめるように鼻先を近づけた。
 その様子を眺めていると、障子が開き、濡縁に寝衣姿の長秀が出てきた。
「今日はもうしぼんでしまったね。どうせなら、綺麗に花を咲かせているところを見てもらいたかった」
「明日も明後日も咲くだろう。気が向いたときにでも見るさ」
 信永が言うと、長秀は細い眉をちょっと持ち上げ、信永が肩に掛けているトラベルバッグに目を向けた。
「その荷物、しばらくここに滞在するつもりなのか?」
「そのつもりで宿は引き払って来た。手土産も買ってきた」
 バッグを濡縁に置き、薬屋の紙袋を長秀に手渡した。
「病人には薬か。風情の欠片もない。お前らしいといえばらしいが」
 長秀は苦笑し、腰を下ろした。もともと華奢な男だった。洒脱なところもあり、昔からよく女に言い寄られていた。
 その頃に比べると、痩せた印象がある。髪には白いものが目立ってもいる。
「この数年で、ずいぶん白髪が増えたな」
「私と歳は変わらないのに、お前は黒いなぁ」
「ロックをやるにはな。髪は黒くなくっちゃ格好がつかん」
「なんだ、染めていたのか」
「ホースがあるな」
「ん、ああ。庭木や花なんかに水をやるのにな」
「ちょうどいい。少し水を借りるぞ」
 信永はホースを手に取り、蛇口を回した。藤吉を掴まえ、水を浴びせた。嫌がりはせず、遊びの一種と思っているのか水を追いかけ飛びかかってくる。信永も、すぐに水浸しになった。
「まるで親犬と仔犬だな」
「おい、長秀、水をひっかけられたくなかったら、俺を二度と犬扱いするんじゃないぜ」
 ぎろりと睨むと、長秀は声を上げて笑った。自分の睨みを笑い流してしまえるのは、世界広しといえこの男だけだ、と信永は思った。
 そんな兄弟同然の男が、なぜ篤い病に冒されねばならないのか、とも思ったが、それは考えてもどうしようもない。
 もし立場が逆なら、長秀だけには慰められたくない。長秀も、同じ気持ちなはずだ。
「誰から私が病だと聞いたんだ? お前、グループを解散してからは、消息を断っていたろう」
九鬼くきが来て報せてくれた。ずいぶんと探させたようだがな」
「なるほど。彼は音楽業界以外にも、顔が広かったものな」
 信永がどこにいたのか、長秀は訊いてこなかった。尋ねられれば、大島にいた、とは答えられるが、なにかをするためにそこにいたわけでもない。
 わざわざ海を渡ってまで、大島に行った理由は、自分でも説明できなかった。
 全国ツアーの途次で、光秀が裏切るようにしてグループを抜けた。
 大手音楽レーベルと袂を分かち、会場、スタッフの手配から宣伝まで、すべてグループ名義で金を引っ張ってきておこなった。
 そのツアーが、尻切れに終わり、チケットの払い戻しを含めた赤字は、すべてグループ、ひいては信永にかかってきた。
 なんとか破産はせずに済んだが、営々と築き上げてきた活動地盤は失った。
 そういう話は、長秀には改めてするまでもなかった。
 信永がロックミュージシャンとして路上ライブをはじめた頃から、長秀とは一緒だったのだ。
 肩を並べて演奏する、ということはなかった。お前が楽器をやるなら、私がその場所をつくってやる。
 そう言って長秀は尾張にライブハウスを開き、求められたので信永が『 AZMARUアザマル』の屋号を与えた。
 知名度を得るまでは、様々に融通の利くAZMARUが、信永の拠点の役割を果たしてくれた。
 大手音楽レーベルと契約し、メジャーデビューしてからも、長秀は後援会という立場で直接的な支援をしてくれていた。
 長秀や、グループの専属運転手だった九鬼は、ミュージシャンではなくとも紛れもなく『天下布舞』の一員だった。
 信長は蛇口を締め、水を止めた。
 藤吉が身震いして水滴を飛ばす。洗ったおかげで、小汚かった藤吉はそれなりにきれいになった。
「それで、今度はなにをするつもだ? まさか私の見舞いのためだけに、戻って来たのではないだろう」
 それでは悪いのか、と言いかけて、やめた。長秀の言う通り、ここを訪ねたのは見舞いだけが理由ではなかった。
「光秀と対バンをやる」
「そうか」
 長秀は庭にできた水たまりに反射する陽射しに目を細めながら、簡素に応えた。
「それだけか?」
「なにか言ってほしかったのか?」
「そうではないが、二日前に仙極と会って話したときには、復讐するつもりではないかと馬鹿なことを言われた」
 あの時は、俺がそんなタマか、と腹が立ってどついてしまったが、そう勘繰られても仕方がないと、少ししてから思った。
「復讐なら、対バンじゃなくていい」
「まぁな」
「明池は、グループを抜けると早々にロック界から消えていった。一悶着あったにはあったが、納得いかないか」
「その、人の心の内を見透かしたような言い方はやめろ」
「悪い、お前相手にはついな」
 信永は、溜息をついて腕を組んだ。
「だがまあ、そうだ。グループを抜けたことは、この際いい。事情を知りたいとも思わん。ただ、あいつがロックを手放したのか。それを対バンで、見極めたい」
「見極めて、捨てていないとわかったら?」
「そのときは、そのときだ」
 先のことを考えていないでもないが、このところ思案はある程度の深さより先に進まなくなっていた。
「いまの俺は、亡霊のようなものだからな」
 諦念とも、また違う感情だった。
 一度、死んだ。命を失うこととは、別の死だ。
 大島で、海と向き合い続けているうちに、その死から抜け出した。すると、やりたいことが溢れだしてきた。まずたらふく飯を食い、次に考えたのが、光秀との対バンだった。
 ロックで天下をるのが、信永の抱いた夢だった。
 それは、潰えたといっていい。
 潰えた夢の跡から、新たに芽吹くものがあるのか。それはまだわからない。天下とはなんなのか、改めて考えてみたりもした。頂点が明確に決まっている世界ではないのだ。
 ただ、一心不乱にロックをやっていた若い頃と比べても、意欲は衰えていない。新しく湧いてきたやりたいことの一つひとつは、かなりはっきりした輪郭を持ってもいる。
「明池も、あるいはどこかで亡霊になっているのかもしれない」
「それならそれでいい」
「仙極君とも会ったと言っていたね。彼はどんな様子だい」
「ライブハウスのオーナー気取りで、似合わないジャケットなど着ていた」
「私が病で伏せっていると知って、義理堅いことに、オーナー代行を申し出てくれたんだよ」
「義理か。島津との対バンライブで敗れ、秀吉のバンドメンバーから外されたのだろう。要は行き所に困っていただけだ」
「だとしても、私を訪ねてきてくれたのは、彼なりの思いやりだよ。それに甘える恰好になってしまっているのが、心苦しくもあってね。彼も、このままでは亡霊になってしまいはしないか」
「やつの場合は、腑抜けているだけだ。光秀との対バンの折にでも、活を入れてやるさ」
「私みたいな老いのとば口に立った病人に付き合わせるには、仙極君はまだ若い」
「お前は、病身であっても世話焼きなのは変わらないのだな」
「性分かな」
 長秀が言って浅く息を吐いた。すっかり白くなった長秀の肌が、すっと透けるような錯覚を受け、信永の太い両の眉がぐいと寄った。
 再び、庭に目を向けた。
 長秀の邸は、草木の匂いに包まれている。そこに、水で濡れ、夏の日差しに照らされた土の匂いが立ち昇ってきていた。
 懐かしい匂いだ、と信永は思った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

盗み聞き

凛子
恋愛
あ、そういうこと。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

処理中です...