指先はこいねがう 〜禁忌のケモノ少年は軍人皇子に執愛(とら)われる〜

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Because the child doesn't know anything

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 漂流する思考は流れ着く岸を知らない。モモセは何度か意識が浮上するごとに見慣れぬ風景を見た気がしたが、その先を見ようとするたびにゆるやかに押しとどめられていた。

「まだ眠っておけ」

 低く、心地よい声がそう言っていたのが、耳の奥に残っている。

 一番はっきりと意識があったのは湯の中に入れられたときだったが、そこの居心地の悪さはともかく、髪をいらわれるのは随分と気持ちがよかったため、モモセはまた眠ってしまった。ここでも「綺麗な髪だな」等々、やわらかな声が感心していたものの、しっかりと認識するには至らなかった。

 そんなわけで、モモセが目を覚ましたのは夜半も過ぎた頃だった。寝過ぎたせいで気だるく痛む頭を押さえながら、モモセは上掛けの中に潜りこんだ。いやに肌触りのいい、そこまで思うことは出来たのだが、寝起きの論理思考に向かない脳では、その先の何故か、までは導き出せない。そのような上等なものを、今まで一度たりとも使ったことがなかったにもかかわらず。

 取りあえずモモセは本能に従い、目の前にある熱に身体を摺り寄せた。すでに背中にはその人の腕が回っていたのだが、かつて一度もそのように穏やかな夜を過ごしたことのないモモセは、それ以上の体温を欲したのだった。
 硬く筋肉質な胸元に額を寄せたモモセを更に引き寄せながら、頭上でひそめられた笑い声が響く。じんわりとした甘い痺れが、身体の末端まで伝っていった。

「かわいいもんだな」

 男の声。誰だろう。さんざん寝た後だというのに睡眠に必要な温度が十二分にある状態なので、モモセは再びとろとろと夢の中に引き込まれながら、思った。

 誰、誰、聞き覚えのある声。

 ずっとずっと、まどろみの中で聞いていた声。



 ――ウルド


 ふっとその名を思い出した時、覚えたのは急速な喉の渇きだった。脳は一気に覚醒へと直進し、次々と自分の断片的な痴態を暴き立てる。

 そうだ、あの後馬車に乗せられて。ベゼルを封じられていたせいで体調が芳しくなく、気づけばまた意識を失っていたのだった。そしてそのまままともに覚醒しないまま――――、

 ――何てことを。事態を悟ったモモセは顔面を蒼白にさせ、しばしその衝撃に耐えねばならなかった。悲鳴という基本動作すら停止していた。ウルドはモモセの異変に気付いたのか、ゆっくりと身を起してくる。

 彼に遮られる形であったらしい月光が、不意にモモセの周囲を満たした。

 そして掛けられるのは、甘やかな言葉。

「どうした?」

 寝起きがいいのか、はたまた寝てはいなかったのか、やはり訊ねる口調は明瞭だった。ウルドはモモセの頬に掛かった髪を優しく払った。モモセはそれにあからさまな拒絶を示し、瞳を歪めて男を見た。

「どいて……ッ、下さい……ッ!」

 モモセは声を引き絞った。ウルドの腕はモモセの両肩の脇に置かれていて、彼は覆いかぶさる形でモモセを見ていた。ウルドは軽く目を見張り、モモセに触れようとする。咄嗟にモモセは下敷きにしていたクッションを手に取り、彼の顔へと押しつけた。

「モ――、」「触らないでくださいッ!」

 予想外の攻撃だったのだろう、ウルドは一瞬動きを止め、クッションに手をやる。指先が触れてしまいそうになり、モモセはクッションを投げ捨てる勢いでウルドから距離をとった。

 広い寝台だった。いったい何人が使うために作れば、このような大きなものが出来上がるのか。三人ほどの成人男性が余裕で横になれる広さがある。モモセは大量のクッションをかき分け、バリケードを築き、壁と寝台の間の直角にはまりこんだ。寝台は壁に沿う形で置かれている。


「モモセ、」


 耳や尻尾の毛を逆立てて威嚇するモモセの様子に、暗がりに浮かぶ男の顔は困ったように苦笑していた。昼よりも夜のほうが目の利くモモセは、その様子がはっきりと見えた。細まった青い瞳、微かに刻まれた眉間のしわ。きれいに整えられた眉は、今は垂れている。唇は薄く、右側のほうをより持ちあげるのは、クセだろうか。金色の髪は衿足が長く、全体的に華やかな印象を抱かせる、見目の整った男だった。すでに軍装を解き、服はあっさりとした長衣に変わっている。

「怖くないから、お出で」

 腕の中へ誘っているのか、彼は両手を軽く広げて見せる。

 何を言ってるんだ!? 男の思考についていけず、モモセは最早混乱の極みにいた。何処か野性味を感じる男にしては優しすぎる言動だった。

 ワケが分からず吐きそうだった。何でまるでモモセの態度のほうがおかしいのだと言いたげな、子どもの可愛らしい我儘に手を焼いている親のような、手負いの小動物を相手にしているような、ーー事実モモセは獣には違いないのだがーー緊迫感のない顔をしているのだ。

 異常なのはモモセではない、男のほうなのに。

「あなたは貴族でしょう!?」

 声はひどく乱れていた。

「知っていますよねおれは不可触民なんです! あなたのような身分の人が触っていいきれいな生き物じゃないッ!」

 不可触民は、物心つくころには自分を卑下し、諦めることを覚える。周囲の様子がそうするよう、自然と誘導していくのだ。モモセも例外なく、彼らに対する思いより先に、へりくだることが躯に染みついていた。

 ウルドはよりキツく眉を寄せ、しばらくの間沈黙していた。モモセも身動きすることすら出来ず、目前の男の面を見守っていた。鋭い眼光を浴びせられ、モモセは萎縮する。ウルドの一挙手一投足に全神経を集中させ、彼が僅かにでも動こうものならすぐに逃げ出せるよう構え、しかし先ほど自分で退路を断つ方向に逃れてしまったのをモモセは途方もなく後悔していた。

 心臓が徐々に脈拍を速め、モモセは一度喘ぐと無意識に指先を振るった。血がそちらに集中しているのか、熱い脈動をそこに感じた。そしてひどく意識させられる心臓が急速に熱を持ち、どくり、血以外ものも指先に送り込む。



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