指先はこいねがう 〜禁忌のケモノ少年は軍人皇子に執愛(とら)われる〜

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It's a new world I start, but I don't need you anymore.

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 カナン、呆然と呟く声は、今も耳の奥で鮮明に残っている。もしあの声を聞かなかったなら、モモセはそう思わずにはいられない。もしも、などとどちらにせよそれは辿られることのなかった道なのであって、言ったところで意味もないことなどはっきりとしているというのに。そうすれば拒絶するにしても幾ばくかは軟化したものであったはずだなどと。

 カナン、モモセを見てから発されたものだ。あれは誰かの名前だった。あのときは意識が朦朧としていたので断言はできなかったが、今なら出来る。あれは、確かに名前だった。

 そしてそれがモモセに向けられた言葉ならば、そのカナンなる者とモモセが多少なり似通った顔立ちをしていることはまず間違いない。呆けてしまうくらいだ、多少どころでなく似ているという仮説も否定することは難しい。

 ウルドは探していたと言った。モモセを。そのどうして、の部分を補う台詞なら、実はいくつか上げ連ねる用意があった。ただそれは深層に押し込められ、絶対に表に出ることがないようにされている。絶対に見てはだめだ。だってそれは、


(――おれを否定する)


 それが脳の回路に乗り言語として認識された瞬間、モモセは強烈な嘔吐感に見舞われ思わず膝を折った。

 激しい音を立てて思考が遮断される。モモセは口を押さえた。目をきつく瞑れば、鈍い痛みすら覚えるほどに眼球が眼窩で蠢いているのが分かる。

「モモセ、大丈夫!?」

「――、だい、じょうぶ」

 のろく頷きながら、モモセはふらふらとはしていつつも立ち上がろうとしたが、上手くいかない。心臓から送りだされる血が、氷を含んでいるみたいに冷えている。軋む動作でモモセは左手を開き、額の汗を拭った。脳の疼きが、身体全体を痺れさせている。これ以上考えるなということだ、モモセは首を振って完全にその問題を頭から追い払った。まだそのことを考えたくはなかった。不利なことから逃げようとするこのクセには、失笑するほかない。

「モモセ、立てる?」

 ヒタキはしゃがみ込み、モモセの顔を覗く。彼は手を伸べようとし、寸前で止めて訊ねてきた。

「掴まる? 掴まるなら貸すよ」

「、いらない。ありがと……」

 行為そのものは嬉しいが、モモセはそれを受け入れられない。その事情をヒタキは聞かないまでも悟ってくれたので、モモセには随分とありがたかった。

 と、ヒタキがピクリと耳を動かした。首を巡らし、視線の先を窺う。十歩も行ったところから、廊下は右へと続いていた。そこから話し声が近づいてくる。ヒタキは瞳に緊張を奔らせると、おもむろにモモセの袖の余りを引いた。

「立って!」

 なぜそこまで鋭い声を出すのか、モモセは混乱しつつ感覚に乏しいつま先に力を入れた。眩暈がする。やっとこさ立ちあがったところで視線を上げると、角から二人の学生が姿を現わす。制服はモモセらのようなふんわりとしたものではなく、ウルドが着ている軍服のほうに近い。貴族と、平民の獣。隷属階級とは違うということか。流れるベゼルでモモセは察した。

 彼らの上背はモモセとは比べようもなく高かった。ひとりはブラウンの髪をひとつに括って背中に流しており、もうひとりは肩に着かない程度に切りそろえている。跳ねているのはクセのようだ。髪色は近いが、似ていないことから兄弟ではないだろう。

 談笑していたその長髪の男子生徒は廊下の真ん中に立つ二人の姿を見咎めると、あからさまに蔑んだ色を浮かべた。彼は、貴族だ。一歩引いた場所で微笑する短髪の少年とは、対照的な表情だった。

 ああしまった、遅かった、と苦り切った口調でヒタキは溜息を吐いた。

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