人魚は久遠を詠えない

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第一航海

その胸に誓うは彼への復讐

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 アリオンは真新しい墓の前で唇を噛んで俯いていた。

 もう時間がない。

 子どもが屋敷を脱け出していることに気づいて、今頃アリオンにつけられていたメイドたちは大騒ぎをしていることだろう。

 だからと言って、大人しく見つかって連れ帰られてやるつもりなどアリオンにはなかった。

 数日の間に起こったさまざまな出来事が、脳裏を凄まじい勢いで駆け抜けていく。
 唯一の肉親となっていた父の訃報を聞いたのは、たったの三日前のことだった。

 海軍総督だった彼は海で死んだ。

 いや、
 死んだ、のではない。

 殺されたのだ。
 ならず者の海賊、ディアギレフに。

 父の部下だった青年、オルテガがそう教えてくれた。

 父の遺体は丘に帰ってはこなかった。アリオンの前に立つ墓石の下に、彼女の父親は眠っていない。戻ってきたのはわずかな遺品だけ。

 アリオンはひっきりなしに腰に差したサーベルの柄頭を鳴らした。落ち着こうとして起こした行動だったが、逆に気持ちが高ぶる。

 ――きっと、この手で。

 身体がぶるぶると震えてどうしようもなかった。怒りが身体中にたぎっていた。
 あまりに大きすぎる激情のせいで、アリオンはいまだ泣くこともできないでいる。


 殺してやる。

 
 ああ、仇打ちなどという美しい感情ではないことくらい、少女は先刻承知している。
 肉親を亡くしたというこの胸の欠落を紛らわす方法に、復讐という手段を選んだだけなのだ。
 
 殉死して海に散った父の葬儀は盛大だったけれど、それが一体何の慰めになるだろう。
 磨き上げられた墓石に大急ぎで刻まれた、名前だけの存在になってしまった父を見る。そして、その先にある忌むべき男の顔を。想像する。

「待ってて父さま、きっとアリオンは、あの男を殺してみせるから」

 ハンチング帽に豊かな銀髪を押し込んだ。人魚の証であるこの髪を、染めている時間はなかった。切りすて目立たなくしてしまうには、勇気がまだ足りなかった。

 父が、綺麗だと手放しでほめてくれた髪だ。

 その父を、母だけでなく亡くしてしまった自分の無力さに、アリオンは愕然とした。

 人魚として父の船に乗っていれば、或いは。

 そんな風に仮定を考えることはばかげていると思っている。けれどももっと愚かしいのは、もう二度と手に入らないと分かっているのに仇を討てばまだ何かを手に入れられる気になっていることだ。

「バカバカしい。――僕は、」

 使いなれない一人称を呟いた途端、アリオンは心が冷たく冴え渡るのを感じた。

「はッ」

 嗤っておいて、幼い子どもは自覚するのだ。
 望んでいたことなどいくらもなかったのだと。
 母は遠い昔に頃に亡くしてしまっていたから、だからせめて、と。

 父娘で穏やかな生活を送ることくらい、夢見てもいいのではないか。きれいな服も、大切に大切に、庇護されるような生活もいらなかった。ただアリオンは幸せになりたかっただけだ。

 本音を吐露してしまえば、人魚と呼ばれる自分さえも、彼女には疎ましかったのだ。人魚は稀少で世界中で身を潜める彼らの乱獲者は後を絶たず、高値で取引されるという。その肉体そのものが、万物の霊薬となるからだ。そのために海賊に、人魚を狙うやつらに見つからないようにアリオンは内地に隠れ住まなくてはならなかった。王都に出たことなど一度もなく、何度もせがんでも許されなかった。父の葬儀でようやく、アリオンは王都に足を踏み入れることができたのだ。

 けれどその荘厳で華やかな景色にも、少女がこころを揺さぶられることはなかった。

 父は娘がいたことを多くに語らなかったのだろう。父の腹心、オルテガに伴われて現れた少女に直接心無い言葉を浴びせることはさすがになかったけれど、好奇心と所有欲を込められたねばつく眼差しははっきりと感じられた。

 それはアリオンに父がどうして人前に自分を出さなかったのか、理解させるには十分だった。

 父は忙しい仕事の合間を縫って、領地に帰ってきてはアリオンに世界の情勢と人魚のおかれている状況を口を酸っぱくして教えてくれていた。

 人魚は、誰もが欲する妙薬だ。誰も彼もから狙われる。その筆頭が海賊で、海の守り手とも呼ばれる人魚は海に生きるものなら死に物狂いで求めてもおかしくない生き物なのだ。
 父はそういった無法者を取り締まる役目も持っていた、正義の人だった。

 自分が人魚であるせいで、かつて母は死に、そして父までも逝ってしまった。

 ディアギレフが父を殺したのも、きっと人魚であるアリオンを欲したからだろう。

「誰が、貴様のものになんかなるかよ――」

 
 彼を、殺しに。


 時間はもう、わずかしかない。

 葬儀が終わり、休む間もあればこそ、アリオンは国王に拝謁賜ることになっている。その意味だってもう、アリオンはきちんと知っている。

 アリオンは深く帽子を被り直した。密かに心を決めて実家の庭師のところからかすめ取ったオーバーオールは大きくて、肩紐を掛け直す。

 腰のサーベルががちゃりと鳴く。これはわずかな父の遺品のひとつだ。それはアリオンを鼓舞しているようだった。

 決意が大きく胸に燃え広がる。

 震えが、全身に伝播した。


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