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第三航海
開戦
しおりを挟む――――部下の注進を聞きながら、ディアギレフは額を押さえる。
「だったら余計、着ていたほうがいい! さっさと思い出させちまえ! あんた今、どんな顔しているのか知ってるか!」
「ん、んー?」
そうするのもかったるそうに、ディアギレフは首をかしげた。
「死相でも出てる? そう、間違いはないけども」
「そうだ! いますぐ死にそうだ! 頼むから着物着て、そうだ、煙管も持っててくれ!」
「だってもう、煙管も効果ないよ。アリオンの言葉のほうが強い。持ってても無駄だ」
「気休めにはなる!」「それは、まあ」
今までディアギレフがなすことに黙って従ってくれていた部下たちだったが、一日二日で簡単に憔悴させられているのを見ると、もう黙してはいられなくなったようだった。一度口火を切るともう耐えられなくなったように、みな口々とディアギレフに詰め寄った。
「あんたに死んで欲しくないんだ!」
「何もあの人魚じゃなくてもいいはずだ! 人魚なら他にもいる!」
そう言うのは、まだ船に乗って日が浅い青年だ。もちろん、アリオンにはほとんど面識がなく、幼いころの彼女も知らない。ディアギレフを慕う分、余計アリオンに嫌悪を抱く。
かつてを知る面々が懊悩していることを飛び越える。
ディアギレフは咎めもせずに、目を細めた。
「だめだよ、あれはもう俺の人魚だ。十年前、そうなってしまった。契約は完全履行ではなかったが……、俺はもう、あの子に傅くしかないんだ」
「死ぬって言うんですか!」
絶叫に、一度ディアギレフはうつむいた。
語調を強くして、宣言した。
「折を見て、皆、船を下りるがいい。後のことはイサクに任せる。お前たちまで一緒に、俺と沈む必要はない」
それは――――、肯定だ。
さざなみのように、動揺は広がる。
船と、船長と、人魚は、一心同体だ。
同一、と言ってもいい。
船長が死ぬとき、船は沈む、人魚も死ぬ。
沢山の約束事と引き換えに、人魚は船の安全と、船の上にいる限りの人には永い時間を約束する。
だから契約者を王と呼びながら、その頂点にいるのは人魚だった。人魚の気まぐれで、いかようにも命運はなる。例えばその契約を破棄して、今すぐその場で契約者を死に至らしめることも。
「……俺の航海は、もうすぐ終わる」
そこで男は目を閉じた。次に囲む船員の顔を見まわしたとき、その表情はいつもの捉えどころのない笑みに塗りつぶされている。ディアギレフは呆れたように皆を軽く睨めつけた。
「というか、今は俺のことなんてどうでもいいでしょ。少なくともいますぐ死ぬわけじゃないんだし……。――アルミリア海軍だって?」
「は、はい。十四時の方向、三艦、まっすぐにこちらに向かってきています」
若い乗組員から双眼鏡を受け取り、ディアギレフは船首へ向かう。
「うわ、やっぱり来たか」
ディアギレフはカラーグラスを押し上げ、双眼鏡を覗きこむ。そこにまだ遠く映るのは、アルミリアの最新式魔導帆船――だが造船において圧倒的に分があるのは海を故郷とする者たちのほかにない。
「……まあまあ、堂々と国旗なんて掲げちゃって。前に一艦沈められたばっかりなくせに、勇ましいねえ。《海の女王号》だって? 身の程知らずめ、溺れさせてやろう」
双眼鏡を下ろした男は、口元に獰猛な笑みを浮かべていた。獲物の血を滴らせた肉食獣の気配を全身に湛え、振りかえる。
底辺に喜色を込めたひずんだ声が、表面ばかりは冷静さを纏って重く響く。
「総員に伝えろ。戦闘準備せよ。商船ランドルを守れ。あの船には一切傷を付けさせるな。我らが《海洋の秩序》の、誇りと命をかけて戦え」
「イエス、キャプテン!」
男どもの声が見事に揃う。
「どんな権力にも明け渡すな、我らの自由な海を」
拳を突き上げ、雄々しい鼓舞の声が空に響き渡る。余韻がすべて消え去る前に、それぞれ慌ただしく持ち場に去っていく。その中の一人であるエンジェルの勇ましく歩み去る背中に、ディアギレフは声をかけた。
「エンジェルちゃん、」
「なあに、お頭」
「アリオンはまだ寝てる?」
「寝てるって言うか……」
エンジェルはちょっと遠い目をし、肩を竦めた。「気絶してるわ。まだ」
今朝がた早い時間に、派手に一戦やらかしたディアギレフとアリオンである。やはり結果はいつも通り、失神してアリオンは医務室行きになった。いつの間にかアリオンの居室は医務室に固定されている。
人魚とはいえ唯一の女の子であるアリオンを男しかいない大部屋で寝起きさせるわけにはいかないし、個室のあるディアギレフは命の危険が高いということで論外(これまで何度かアリオンが気絶しているあいだに医務室から持ち去るか一緒に寝ようとしていたのを、エンジェルによって阻まれている、もちろんアリオンは知らない)。イサクもまた個室持ちではあったが、ディアギレフの猛反発にあい却下となった。
そこで、いまは誰も使うべき病人もいないし、その目的としても一番適任なアリオンがそこのベッドを借り受けることになったのだった。
「悪いんだけどさ、目が覚めてもアリオンを外に出さないようにしてくれるかな。余計な火種は作りたくない。見張るなりなんなりしててほしいんだけど」
「え、じゃあアタシ今回戦闘外要員? 他の若いのじゃだめなの?」
「うん、ごめん。だってアリオンが一番懐いてるの、エンジェルちゃんなんだもん」
怪我のこともあってか世話になる機会の多いエンジェルには、アリオンも心を許しているようだった。それにアリオンを治療するのにそれなりに魔術を使っているエンジェルに、いま戦場へ出ろとは言いたくなかった。魔術を使える人間はそう多くないし、オー・スクエアでもエンジェルと、あと一人だけだ。ディアギレフはそちらの方面はからっきしで、とはいえ、人間の魔術行使は消耗するものだと聞いている。
休んでいろ、と言えば反感を買うだろうが、アリオンのためと言えば頷いてくれるだろう。エンジェルもまた、アリオンを玉のようにかわいがっている。
「頼むよ、他の奴らだったらアリオンに何されるかわかんないし、何するかも分かんないし、船内余計にぶっ壊されるかも」
少女の気性の荒さを脳裏に描き、あり得る……とエンジェルはつい納得してしまう。
人魚は総じて容姿が優れているものだが、アリオンのそれは一級品だ。普段のアリオンは手負いの竜の子で、見た目は愛らしくても中身は暴力そのものだ。特に眦を吊りあげて激昂しているさまなど傍目から見ている分には充分に鑑賞に値するものの、標的が自分に向かうとなるとひどい目に遭うのはディアギレフが証明済みである。外見とのギャップが広すぎて目も当てられない。
対して怒っていないときのアリオンは、まるで愛玩用に造られた人形だ。妖精だ。
内地の深い森の奥に住むというそれらを海の民である彼らが目にしたことはないが、ひどく美しいといわれている。あるいは天界の存在である天使と称してもいいのかもしれない。同じ意味のあだ名を関するエンジェルを前にするとその説得力は薄れるが――それほどまでに、人を狂わす容貌をしているのだ。
海の陽や風に曝されていても一切焼けず荒れない白く滑らかな肌。それを覆うけぶる細く繊細な銀髪。アーモンド形の大きな目に嵌めこまれた濃い紅の宝石が、長い銀糸に縁どられて瞬くと、思わず恐れ多さを抱かずにはいられないほどだ。身の程知らずの若いものなら、誰かがうっかり恋に落ちないとも信仰し始めないとも限らない。
反対に少女があからさまにディアギレフに反目しているせいで快く思っていない人間もいる。一番ディアギレフが安心して任せられるのが、エンジェルなのだ。
「分かったわ、お頭。アリオンは任せて。外には出さないようにしておく」
「頼んだよ」
頼もしい返事に、ディアギレフは微笑んだ。
船が大きく進路を変え、海軍船と商船ランドルの間に割り込んだ。大きな揺れにエンジェルはなんなく耐えたが、ディアギレフは僅かにたたらを踏んだ。いつものディアギレフなら、耐えられるはずの揺れだった。
「……お頭、」
表情を曇らせたエンジェルの、その先の言葉をディアギレフは取り上げる。「アリオンを見張っててよ。ね? あの子さえこちらに出てこなければ、俺はまだ十分闘えるよ」「……ええ」
エンジェルは無理やり言いたかった言葉を嚥下して、アリオンの眠っている医務室へ足を向けた。
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