人魚は久遠を詠えない

色数

文字の大きさ
18 / 28
第三航海

開戦

しおりを挟む

 ――――部下の注進を聞きながら、ディアギレフは額を押さえる。

「だったら余計、着ていたほうがいい! さっさと思い出させちまえ! あんた今、どんな顔しているのか知ってるか!」
「ん、んー?」

 そうするのもかったるそうに、ディアギレフは首をかしげた。

「死相でも出てる? そう、間違いはないけども」
「そうだ! いますぐ死にそうだ! 頼むから着物着て、そうだ、煙管も持っててくれ!」
「だってもう、煙管も効果ないよ。アリオンの言葉のほうが強い。持ってても無駄だ」
「気休めにはなる!」「それは、まあ」

 今までディアギレフがなすことに黙って従ってくれていた部下たちだったが、一日二日で簡単に憔悴させられているのを見ると、もう黙してはいられなくなったようだった。一度口火を切るともう耐えられなくなったように、みな口々とディアギレフに詰め寄った。

「あんたに死んで欲しくないんだ!」
「何もあの人魚じゃなくてもいいはずだ! 人魚なら他にもいる!」

 そう言うのは、まだ船に乗って日が浅い青年だ。もちろん、アリオンにはほとんど面識がなく、幼いころの彼女も知らない。ディアギレフを慕う分、余計アリオンに嫌悪を抱く。
 かつてを知る面々が懊悩していることを飛び越える。

 ディアギレフは咎めもせずに、目を細めた。

「だめだよ、あれはもう俺の人魚だ。十年前、そうなってしまった。契約は完全履行ではなかったが……、俺はもう、あの子に傅くしかないんだ」
「死ぬって言うんですか!」

 絶叫に、一度ディアギレフはうつむいた。
 語調を強くして、宣言した。

「折を見て、皆、船を下りるがいい。後のことはイサクに任せる。お前たちまで一緒に、俺と沈む必要はない」

 それは――――、肯定だ。

 さざなみのように、動揺は広がる。

 船と、船長と、人魚は、一心同体だ。
 同一、と言ってもいい。
 船長が死ぬとき、船は沈む、人魚も死ぬ。

 沢山の約束事と引き換えに、人魚は船の安全と、船の上にいる限りの人には永い時間を約束する。

 だから契約者を王と呼びながら、その頂点にいるのは人魚だった。人魚の気まぐれで、いかようにも命運はなる。例えばその契約を破棄して、今すぐその場で契約者を死に至らしめることも。

「……俺の航海は、もうすぐ終わる」

 そこで男は目を閉じた。次に囲む船員の顔を見まわしたとき、その表情はいつもの捉えどころのない笑みに塗りつぶされている。ディアギレフは呆れたように皆を軽く睨めつけた。

「というか、今は俺のことなんてどうでもいいでしょ。少なくともいますぐ死ぬわけじゃないんだし……。――アルミリア海軍だって?」

「は、はい。十四時の方向、三艦、まっすぐにこちらに向かってきています」

 若い乗組員から双眼鏡を受け取り、ディアギレフは船首へ向かう。
「うわ、やっぱり来たか」

 ディアギレフはカラーグラスを押し上げ、双眼鏡を覗きこむ。そこにまだ遠く映るのは、アルミリアの最新式魔導帆船――だが造船において圧倒的に分があるのは海を故郷とする者たちのほかにない。

「……まあまあ、堂々と国旗なんて掲げちゃって。前に一艦沈められたばっかりなくせに、勇ましいねえ。《海の女王号》だって? 身の程知らずめ、溺れさせてやろう」

 双眼鏡を下ろした男は、口元に獰猛な笑みを浮かべていた。獲物の血を滴らせた肉食獣の気配を全身に湛え、振りかえる。

 底辺に喜色を込めたひずんだ声が、表面ばかりは冷静さを纏って重く響く。

「総員に伝えろ。戦闘準備せよ。商船ランドルを守れ。あの船には一切傷を付けさせるな。我らが《海洋の秩序Ocean・Order》の、誇りと命をかけて戦え」

「イエス、キャプテン!」

 男どもの声が見事に揃う。

「どんな権力にも明け渡すな、我らの自由な海を」

 拳を突き上げ、雄々しい鼓舞の声が空に響き渡る。余韻がすべて消え去る前に、それぞれ慌ただしく持ち場に去っていく。その中の一人であるエンジェルの勇ましく歩み去る背中に、ディアギレフは声をかけた。

「エンジェルちゃん、」

「なあに、お頭」
「アリオンはまだ寝てる?」
「寝てるって言うか……」

 エンジェルはちょっと遠い目をし、肩を竦めた。「気絶してるわ。まだ」

 今朝がた早い時間に、派手に一戦やらかしたディアギレフとアリオンである。やはり結果はいつも通り、失神してアリオンは医務室行きになった。いつの間にかアリオンの居室は医務室に固定されている。

 人魚とはいえ唯一の女の子であるアリオンを男しかいない大部屋で寝起きさせるわけにはいかないし、個室のあるディアギレフは命の危険が高いということで論外(これまで何度かアリオンが気絶しているあいだに医務室から持ち去るか一緒に寝ようとしていたのを、エンジェルによって阻まれている、もちろんアリオンは知らない)。イサクもまた個室持ちではあったが、ディアギレフの猛反発にあい却下となった。

 そこで、いまは誰も使うべき病人もいないし、その目的としても一番適任なアリオンがそこのベッドを借り受けることになったのだった。

「悪いんだけどさ、目が覚めてもアリオンを外に出さないようにしてくれるかな。余計な火種は作りたくない。見張るなりなんなりしててほしいんだけど」
「え、じゃあアタシ今回戦闘外要員? 他の若いのじゃだめなの?」
「うん、ごめん。だってアリオンが一番懐いてるの、エンジェルちゃんなんだもん」

 怪我のこともあってか世話になる機会の多いエンジェルには、アリオンも心を許しているようだった。それにアリオンを治療するのにそれなりに魔術を使っているエンジェルに、いま戦場へ出ろとは言いたくなかった。魔術を使える人間はそう多くないし、オー・スクエアでもエンジェルと、あと一人だけだ。ディアギレフはそちらの方面はからっきしで、とはいえ、人間の魔術行使は消耗するものだと聞いている。

 休んでいろ、と言えば反感を買うだろうが、アリオンのためと言えば頷いてくれるだろう。エンジェルもまた、アリオンを玉のようにかわいがっている。

「頼むよ、他の奴らだったらアリオンに何されるかわかんないし、何するかも分かんないし、船内余計にぶっ壊されるかも」

 少女の気性の荒さを脳裏に描き、あり得る……とエンジェルはつい納得してしまう。

 人魚は総じて容姿が優れているものだが、アリオンのそれは一級品だ。普段のアリオンは手負いの竜の子で、見た目は愛らしくても中身は暴力そのものだ。特に眦を吊りあげて激昂しているさまなど傍目から見ている分には充分に鑑賞に値するものの、標的が自分に向かうとなるとひどい目に遭うのはディアギレフが証明済みである。外見とのギャップが広すぎて目も当てられない。

 対して怒っていないときのアリオンは、まるで愛玩用に造られた人形だ。妖精だ。

 内地の深い森の奥に住むというそれらを海の民である彼らが目にしたことはないが、ひどく美しいといわれている。あるいは天界の存在である天使と称してもいいのかもしれない。同じ意味のあだ名を関するエンジェルを前にするとその説得力は薄れるが――それほどまでに、人を狂わす容貌をしているのだ。

 海の陽や風に曝されていても一切焼けず荒れない白く滑らかな肌。それを覆うけぶる細く繊細な銀髪。アーモンド形の大きな目に嵌めこまれた濃い紅の宝石が、長い銀糸に縁どられて瞬くと、思わず恐れ多さを抱かずにはいられないほどだ。身の程知らずの若いものなら、誰かがうっかり恋に落ちないとも信仰し始めないとも限らない。

 反対に少女があからさまにディアギレフに反目しているせいで快く思っていない人間もいる。一番ディアギレフが安心して任せられるのが、エンジェルなのだ。

「分かったわ、お頭。アリオンは任せて。外には出さないようにしておく」
「頼んだよ」

 頼もしい返事に、ディアギレフは微笑んだ。

 船が大きく進路を変え、海軍船と商船ランドルの間に割り込んだ。大きな揺れにエンジェルはなんなく耐えたが、ディアギレフは僅かにたたらを踏んだ。いつものディアギレフなら、耐えられるはずの揺れだった。

「……お頭、」

 表情を曇らせたエンジェルの、その先の言葉をディアギレフは取り上げる。「アリオンを見張っててよ。ね? あの子さえこちらに出てこなければ、俺はまだ十分闘えるよ」「……ええ」

 エンジェルは無理やり言いたかった言葉を嚥下して、アリオンの眠っている医務室へ足を向けた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私たちの離婚幸福論

桔梗
恋愛
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

記憶を失くして転生しました…転生先は悪役令嬢?

ねこママ
恋愛
「いいかげんにしないかっ!」 バシッ!! わたくしは咄嗟に、フリード様の腕に抱き付くメリンダ様を引き離さなければと手を伸ばしてしまい…頬を叩かれてバランスを崩し倒れこみ、壁に頭を強く打ち付け意識を失いました。 目が覚めると知らない部屋、豪華な寝台に…近付いてくるのはメイド? 何故髪が緑なの? 最後の記憶は私に向かって来る車のライト…交通事故? ここは何処? 家族? 友人? 誰も思い出せない…… 前世を思い出したセレンディアだが、事故の衝撃で記憶を失くしていた…… 前世の自分を含む人物の記憶だけが消えているようです。 転生した先の記憶すら全く無く、頭に浮かぶものと違い過ぎる世界観に戸惑っていると……?

完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。

音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。 だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。 そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。 そこには匿われていた美少年が棲んでいて……

幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。

灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。 曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。 婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。 前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。

【完結短編】ある公爵令嬢の結婚前日

のま
ファンタジー
クラリスはもうすぐ結婚式を控えた公爵令嬢。 ある日から人生が変わっていったことを思い出しながら自宅での最後のお茶会を楽しむ。

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

記憶喪失の私はギルマス(強面)に拾われました【バレンタインSS投下】

かのこkanoko
恋愛
記憶喪失の私が強面のギルドマスターに拾われました。 名前も年齢も住んでた町も覚えてません。 ただ、ギルマスは何だか私のストライクゾーンな気がするんですが。 プロット無しで始める異世界ゆるゆるラブコメになる予定の話です。 小説家になろう様にも公開してます。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

処理中です...