人魚は久遠を詠えない

色数

文字の大きさ
19 / 28
第三航海

死前の敵を殺せ

しおりを挟む

 それをディアギレフは見送って、脱力する。足元がふらつき、ちょうど現れたイサクに支えられた。

「おい、くそ兄貴、虚勢張るのも勝手だけど、本気で中にいてほしいんだけど」
「……やだよ、俺、船長。真っ先に戦わなきゃいけないやつがなんで引きこもるのさ。士気に関わる」

「今のアンタは弱ってる。真っ白な顔してふらつかれる方が指揮に関わる。心配でたまらない。死なれちゃまじで困るんだ」「アリオンに言ってよ」

 拗ねた調子で文句を言い、それに、とディアギレフは瞳を残忍な色で輝かせた。

「……アルミリアの海軍を前にして、俺が出ないなんて考えられない。ふらつく? 馬鹿言いなさんな。さっさとアリオンの前からいなくなってもらわなきゃ。あの男はぶっ殺してやったけど、余計な里心付けたくないからねェ」

 そしてイサクの手に握られた二振りの長物を見下ろし、男はくちびるを緩めた。

「お前さんも、刀持ってきてるじゃない。俺の分まで」

 倭国製のそれは、ディアギレフやイサク、倭国出身のものにとって最も使いやすい形状をしている。肉の脂で汚れても、刃が滑ることもない。刺すのではなく、人斬りに特化した武器だ。
 イサクは厳密には倭国生まれではなかったが、兄に倣ううちに刀を扱うようになった。

「だってどうせ忠告したって意味ないと思ってたから」
 手渡しながら、イサクは嫌そうに目じりを引き攣らせた。
「じゃあしなさんな」
「心配してることくらい、分かってもらわなきゃ割りにあわない」

「ああうん……。ごめんなぁ、イサク。こんな兄貴で」
 そこは情けなさそうに眉を下げたディアギレフに、イサクは深々と息をつくしかない。「分かってるならほんと引っ込んでてくれないかなぁ……」

「あは、それだけは無理」

「お頭、」

 手下に差し出された緋色の着物に、ディアギレフは笑って袖を通した。予備の煙管を咥えさせられ、いつも通りのオー・スクエアの船長の姿になる。

 真紅をひらめかせるこの男の存在を、この広い大洋に聞かないものはいない。煙を深く吸うと、暴言を投げつけてくるアリオンがいないせいもあってか、胸がすくのをディアギレフは感じている。

「はーっ、人魚違いでも、ユリエラ嬢のおかげで何とか生きてる、俺」

「その薬馬鹿高いから、早く卒業してほしいんだけど……」
「いやあ、もうちょっとだよ、言ったでしょ、アリオンがもうだいぶ強くてねえ」

「……兄貴、そっちの意味で言ったんじゃない。笑えない」

 冗談に真剣な声音で返され、ディアギレフは言葉に詰まって、眼を逸らす。

「……ちなみにもう知らせは?」
「とっくにユリエラ嬢の海(かい)竜(りゅう)を放ってる。戦況を読んで、頃合いで出張ってくるんじゃないかな」
「上々」

 すっくと身を起こし、背筋を伸ばした男に、もう先ほどまでの衰弱した様子は消えていた。殺意を身にまとい、男は高揚を隠そうともせず口元をにやつかせる。

 帆が風を受けて大きくしなり、速度を上げる。船底では砲門が開かれ、海神への祈りとともに重い音を立てて砲身が外に引き出される。砲弾が込められ、合図があればいつでも撃てるように。

 船上では取り出された武器が各員に行きわたるよう振り分けられていた。酒を煽り、騒ぎ立てる粗野な男たちはこれからの殺しあいに血を滾らせ、瞳をぎらつかせている。

 アルミリアの海軍船はもう目と鼻の先。

「お頭、停船命令です」

「――はは、偉そうに。いいよ、止まってやれ」

 舳先に片足を掛け、ディアギレフは敵を見据えたまま答える。

「武装解除を求めています」
「結界のみ許可する」
「承知」

 ディアギレフの周りを固めた男たちは、彼の一挙手一投足に神経を注ぐ。

 オー・スクエアとは対照的な真っ白な帆。金のモールに縁取られた豪奢な国旗が、風をはらんで堂々と翻る。

 アルミリア国王の名の下、正義を自認する彼らにとって我が物顔で海を渡る海賊たちは忌々しいだけの存在だろう。
 海の利権は、各国家にとって重要な外交問題だ。それに関わってくる第三勢力が、オー・スクエアを筆頭とする海賊船になる。彼らはどこの国にも属さず、それゆえどんな権力にも躊躇いなく牙をむく獰猛な海の獣だ。
 海の民を自認する彼らにとって、国の庇護下に入ることは何にも勝る屈辱だった。

 彼らは彼らの理に沿って生きている。
 国家の禁止事項など、彼らは鼻で嗤って取り合わない。
 商船ランドルの船籍はアルミリアではなく、取引先もまた異なる。アルミリアの領海とされているゆえに拿捕に来るのだが、オー・スクエアには『領海』という概念がない。海は神の領域、――ひいては海の民の領分だ。

 ゆえに今回ディアギレフが率いるオー・スクエアは商船ランドルからの依頼を受けて、彼の船の護衛船としての任務を請け負っている。

 ランドルの積み荷はアルミリアでは取引が禁止された薬品だが、国家の利潤などには興味のないオー・スクエアにとっては、純粋な取引を禁じるアルミリアのほうが気に食わない。


 Ocean Order ――《海洋の秩序》


 大陸に現在覇を争う国家が乱立する以前から、オー・スクエアは何代も海の守護を担ってきた。
 海の自由を妨害するものを、彼らは決して赦さない。

 ゆっくりとオー・スクエアは海軍に従い停船した。

「――さて、海神の加護は汝にありや」

 先ほど双眼鏡で確認した限り、《海の女王号》には今ある最高レベルの障壁術式が組み込まれているが――はたしてそれが海の上で、オー・スクエアを相手に、どれほど通用するだろう。

 ゆるりとディアギレフは独語する。

「――撃て」

 それは穏やかな声で発されたものだったが、誰の耳にも確実に届いた。

「撃て!」
「撃て!」
「撃て!」

 続けざま伝達が甲板を奔り、船内へ、砲手へと伝えられる。

「撃てェ!」

 十数の大砲が、一斉に海軍船に向かって撃ちだされる。その衝撃に津波に遭遇したが如く激しい揺れがオー・スクエアを襲うが、それは被害に遭った海軍船の比ではない。

 船は余韻に甲板を震わせ続けていたが、今度のディアギレフは小揺るぎもせず平然とその振動を受け止めた。乱れた髪を打ち振って整え、ずれたカラーグラスをかけ直す。
 監視の目を意識した余裕ぶった態度で煙管を一口、眼前の敵へ高揚に満ちた嘲りを吐く。

「ははは、オー・スクエアと殺り合ったのは初めてか? ン?」

 《海の女王号》は以前潰したアリオンの父のものよりもはるかに性能が高い船ではあったが、どうやら今回もこちらに分がありそうだとディアギレフは嗤った。

 祈りは正しく海底に聞き届けられ、ディアギレフの一声で船団の護衛船を沈め、続けて厳重な魔導障壁を超えて、旗艦の船体へと突き刺さった。

「アリオンがあ(・)あ(・)だから少しは加護が薄れているかと思ったが」

 船腹に穴を開けられ、マストが圧し折れ、たった一度の攻撃で濃い煙の向こうに霞む≪海の女王≫は無残な姿を曝していた。

 オー・スクエアの目的は海軍船の軍人を殲滅することだ。違法な荷を運ぶ商船の検閲をすることでも、海賊を拿捕することでもない。生温い真似はしない。

 いくら私掠が許可されていようともとりあえずアルミリアは一応国家組織という名目があり、威信のためにも海賊を丘で縛り首にする必要があるようだが、オー・スクエアはそうではないので解は至って簡単だ。

 ――まずは殺せ

 海軍の都合などオー・スクエアは一切に取り合わず、掲げる標語は荒々しいこの一点のみ。
 ただあれだけの被害を被ってそれでも沈まないのだから、そこは褒めてしかるべきだろう。

「船を動かせ、あちらも撃ってくる。結界の再展開を急がせろ、潰し次第乗り移る」


 ずろりと鞘奔るは幾多の命を屠った刀。
 引き抜かれた曇りひとつない白刃の煌めきに、男は満足げに目を細める。



「――さて、海賊行為はどちらのほうか、闘って証明してやろう」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私たちの離婚幸福論

桔梗
恋愛
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

記憶を失くして転生しました…転生先は悪役令嬢?

ねこママ
恋愛
「いいかげんにしないかっ!」 バシッ!! わたくしは咄嗟に、フリード様の腕に抱き付くメリンダ様を引き離さなければと手を伸ばしてしまい…頬を叩かれてバランスを崩し倒れこみ、壁に頭を強く打ち付け意識を失いました。 目が覚めると知らない部屋、豪華な寝台に…近付いてくるのはメイド? 何故髪が緑なの? 最後の記憶は私に向かって来る車のライト…交通事故? ここは何処? 家族? 友人? 誰も思い出せない…… 前世を思い出したセレンディアだが、事故の衝撃で記憶を失くしていた…… 前世の自分を含む人物の記憶だけが消えているようです。 転生した先の記憶すら全く無く、頭に浮かぶものと違い過ぎる世界観に戸惑っていると……?

完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。

音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。 だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。 そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。 そこには匿われていた美少年が棲んでいて……

幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。

灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。 曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。 婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。 前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。

【完結短編】ある公爵令嬢の結婚前日

のま
ファンタジー
クラリスはもうすぐ結婚式を控えた公爵令嬢。 ある日から人生が変わっていったことを思い出しながら自宅での最後のお茶会を楽しむ。

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

記憶喪失の私はギルマス(強面)に拾われました【バレンタインSS投下】

かのこkanoko
恋愛
記憶喪失の私が強面のギルドマスターに拾われました。 名前も年齢も住んでた町も覚えてません。 ただ、ギルマスは何だか私のストライクゾーンな気がするんですが。 プロット無しで始める異世界ゆるゆるラブコメになる予定の話です。 小説家になろう様にも公開してます。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

処理中です...