傍へで果報はまどろんで ―真白の忌み仔とやさしい夜の住人たち―

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遅すぎた日々が巡って

警鐘よすべて掻き消して

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 そこで初めて自分がいるのがどんな場所なのかを理解して、仔どもは目を見開いた。これでは、見つけようがない。絶望に似た感覚が仔どもをひたす。

 風鈴が、部屋中に吊るされていた。仔どもが自失して見上げているあいだ、一斉に、誘うような音を奏でる。きれいだが、どこか薄ら寒いひびき。青銅はときおり炉の灯りを反射してちかチかと輝く。まるで夢のような風景だが、そうでないことは痛みがすべて知っている。

 それは仔どもの持ちものと似ているようだったが、こうも暗い上に低いところからでは、到底どれが自分のものであるかなんて分かろうはずもなかった。

「どれ、どれなの。かえして、かえ  してよっ」

 取り乱して仔どもは叫んだ。そうする以外、すべはなかった。

 放心する仔どもに向かい、刹貴はただ淡々と言い放った。

『諦めておとなしくしておくことだな。怪我が治ればいずれ返してやる』
「そん、な」

 どれだけ、掛かる。この傷をいやすのに。その長いあいだ、ここにいろというのか。それは仔どもにとって責め苦にも等しい。

「いやだ、む りだ。そんなの。どうする つもり」

 呼吸がうまくできない。声がのどにからまる。

 もしか  して。

「売る、  の」
『売る』

 語尾を跳ね上げて、刹貴は訊ね返した。波のなかった声に、困惑したような疑問が乗る。

『お前を売ってなんとする』

「だって、だってっ。珍しい、から売れる、てっ」

 
 むかし。


 否応いやおうなくよみがえってくる過去に、血の気が引いていくのを自覚した。今よりもっと幼かった仔どもにとって、それはあまりに陰惨いんさんすぎる記憶だった。

 むかし、夜陰やいんに乗じて仔どもを訪ねてくるものがあった。そいつは仔どもの姿に怯えない、仔どもを傷つけない、唯一と言ってもよかった。そいつといつの間にか仔どもは仲良くなって、仔どもにいたく同情してくれたそいつはあるよる、逃げようと、そう言って仔どもの手を引いたのだ。

 嬉しくて、うれしくて。迷うこともなく仔どもはその言葉に頷いた。

 仔どもはあまりに無知で、おろかで。相手の素性など、一切知らなかったくせに。

 その晩、かわやに立ったひとがいなければ仔どもはそのまま連れ去られて売られていた。

 犯行を阻まれたとき、そいつは言ったのだ。

 こんなに高値で売れそうな餓鬼がきは、ほかにないだろうと。月明かりを受けて輝く髪を指差して。もしくは、まだ仔ども自身が見たことのない、瞳を。

 仔どもを思っての行動では決してなかった。

 そういった出来事の連なりはもう仔どもを信用することから遠ざけて、きしんだこころは耐え切れずに、一直線に死へと向かった。そうする以外、幼い仔どもは自身を守る方法を知らなかったのだ。実の親にすら殺されそうになったことのある、哀れな娘は。

 身体を震わせて壁に張り付く仔どもに、ただ刹貴は嘆息した。

『人間にとっては珍しいかも知れんが。お前の髪色など我ら同胞には何の価値もない』

 こともなげに言い切られて、それでも仔どもは首を振って否定した。

「うそ、うそ。信じない」

『何故』「理由が、ない。優しくする、理由がないっ」

 そうでなければ。

 悲鳴のように上がる声に、刹貴はさらに深く息を吐き、どうにもできずに頭上を仰いだ。そこに所せましと吊るされた風鈴はただ揺れ鳴るばかり、彼では目前に闇しか確認できなかったが。少しでも近づくと怯えるものだから離れた位置にどっかりと腰を下ろして、胡坐あぐらをかいた膝についた片腕で頭を支える。

『何だ、それではお前は理由が欲しいわけなのか』

 そうだ。仔どもはさつが自分を切り捨てる、そのための理由がほしかった。無償のほどこしなどまやかしだ。

「やさ、しいなんていらないっ。そんなの、うそ。うそつきのすることっ。信じ、な、」
『そこまで拒否せずともいいだろう。ではおれは何だ。何故お前を拾った』
「言わ、ないで」
『理由なんて、欲しいならいくらでも呉れてやろう。だが先に言っておく。理由などと言うものはな、いくらでも後づけが可能だ』「そんなの、」

 言わないで。止めて。

 身体中すべて、刹貴の発する一言ひとことに拒絶を示す。

 あの時で、十分じゃないか。あの一瞬、死を受け入れて伏した、その瞬間だけ、刹貴に声が届いた、そんな些細を信じたそのときだけ。あのときだけで十分で、仔どもはたしかに幸せだった。だからそれを壊すようなまねは、お願いだからしないでほしい。

 願いなんて届かないと分かってはいても、それでも懇願こんがんした。音にならない声でもって。

(信じ、ない、信じたら、裏切る)

 身体を丸め、外界すべてを拒絶するように呟き続ける。目を閉じていた。刹貴がそばにきていたことに気がつかなかった。誰にも侵されないよう、感覚すべてを遮断しゃだんするべく耳を押さえていた、その手を刹貴の手に取り払われる。彼の声こそ、何よりの脅威きょういだというのに。

 気づいた途端、腕を振り払ってすり抜けようとした。音もなく、仔どもは悲鳴を上げていた。

 警戒音が鳴り響く。

 この腕に囚われたら最後。堕ちるしか、ない。二度と手放せずにすがるだろう。淋しくはないかわりに、いつまでも恐怖を抱いて。いつか訪れる裏切りに。


 淋しくなくなりますように。痛くなくなりますように。


 仔どもの願いは、どちらかが叶わないようにできている。
 どちらも叶えるには、その唯一の方法を、仔どもは諦めとともに知っていた。それに逃げることをあの腕は阻むのだ。

「やだあっ」

 引き寄せられる。腕の中に閉じ込められる。初めてされたときのように、後ろから。抵抗も何も、許可されない。指一本すら。許されているのは言葉のみ。

『ではおれが最後だ』

 耳元で告げられる、その声に仔どもは肩を跳ねさせた。

『最後に信ずるものをおれにしろ』

 その言葉が胸中に溶けていった刹那、仔どもの四肢は崩れた。支えられながら呆然ぼうぜんと、仔どもはその言葉を反復する。


     信じろ。


『裏切ることなどせぬ。虚偽《きょぎ》を吐くのは人間のみだ』


     裏切らない。


 今までずっと欲しくて、与えられなかった言葉。この言葉は否応なく、仔どもの立ち位置をずらしてしまう。

 この言葉がどれだけ残酷なのか、この男は知るまい。

 もうだめだ、聞きたくはなかった。聞けば戻れない。今のように支えられなければ生きていけなくなるのだ。その言葉に実があるかどうかも知れないのに。

『信じていろ』

 畳み掛けるように囁く声音に瞬くことも、呼吸すら忘れ、ただ緩慢かんまんに首を振り続けた。

 どうして。どうしていきずりのように出遭ったばかりのこの男が、仔どもにこんな途方もない親切をするだろう。そんなおそろしいことを。

 信じては、だめだ。すぐに刹貴も自分を裏切る。刹貴の言葉を借りればそう、後付けはいつだって可能。同じことを何度も繰り返すわけにはいかないのだ。

 警鐘けいしょうが、一層大きく、甲高くなった。頭が、割れそうだ。仔どもは茫然ぼうぜんと、頬に涙を伝わせながら痛む額を押さえた。

 これからは常に、その音を聞くだろう。風鈴と、それに混じる刹貴のきれいな声よりもよほど強く。


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