傍へで果報はまどろんで ―真白の忌み仔とやさしい夜の住人たち―

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夜に暮らす穏やかな

躯は過去を覚えている

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 叱られたような気持ちになって仔どもはうつむく。しかしそこに冗談交じりに間延びした、不満そうな空の声が上がった。

「えぇー、男と言うならば刹貴殿とてそうではないですかぁ」

『数百を超えたじじいにふさわしい言葉ではないな。それ以前に、これの飼い主はおれなれば』

 刹貴は潜めた声音でさらに重ねる。

『己が世話をしてやるが道理だろう』

 静かな語調のくせ、その感情の底辺にどうにも苛烈かれつなものを感じてしまって、仔どもは思わず刹貴の肩に沿えていた手を放した。仔どもにとってはまだ、刹貴も安心できる存在ではない。幼いころからのくせで身体が勝手に逃げ出そうとしてしまう。こわかったのだ。けれど、それを一瞬あとに仔どもは後悔した。
 この態度はまた、刹貴を傷つけただろうか。

 それでもうかがった横顔はやはり、その内側を察するには不十分だった。面に覆われた目元は、いつだって同じ表情しか仔どもには見せない。

 刹貴はそんな仔どもの様子に気づいているのかいないのか、空についと面のおもてを向ける。その行動に何の意図を読み取ったのか、空はぱっと立ち上がるとまたがらがらと押入れの引き戸を開けだした。

 そして振り返るや、にんまりと口元をゆるめて笑うのだ。「ふふ、ふ。おれは少し安心しました。刹貴殿にも存外おかわいらしいこころがあったのですねえ。飼い主のご自覚がおありのようでなにより」

「え、そ、 そら」
「今日はおいとまいたしましょう。また、千穿ちせんと来ますね。ごめんください」

 この状態で置いていこうとするなんて、仔どもにとってはこくすぎる。
 待って、そう言おうとしたのに、それよりも早く、さっさと行けとでも言いたげに刹貴がひらりと手を振った。空はそれに頷いてしまって、仔どもの動揺に気づいた様子はない。

 そうして結局引き止めることは叶わないまま、構造不明の押入れの中に消えていった。

「あ、ぁ」

 身を乗り出して空のいたほうを仔どもは見つめる。無情にも閉じられた襖《ふすま》は、それきり沈黙している。

 ふたりきりになったとたん刹貴といることがより強く実感できて、寒くもないのに仔どもはふるりと震えた。

 刹貴と仔どもだけでいることだなんてもうすっかりいつものことだというのに、それがなぜだか今は、痛烈つうれつに意識させられてしようがないのだった。

『人間、』

 呼ばれた。叱られる。そのことに反応して身体中が強張るのを感じた。

 刹貴の声はいつもよりいっそう低い気がして、これば絶対に怒っているに違いないと仔どもは思い込んだ。

「ごめんなさい、ごめんなさっ。怒ん、ないでっ」

 畳の上におろされる。反対に無言で見下げてくる大人の男は仔どもにとっては威圧感の塊で、意思とは関係なく震えだそうとしている身体を抱きしめた。

 自分の態度が誰かに影響を与えるなんて、そんなことにわかには信じ切れなかったけれど、怖がることは刹貴を傷つける行為だと知ったので。

 このアヤカシモノのことが恐ろしくてしようがなくて、彼が自分に手を挙げると信じ込んでいるくせ、なおも愚直ぐちょくにそれを悲しませまいと振る舞おうとするのが、この娘の哀れなところだ。
 刹貴はただ黙って仔どもを見下ろすばかり。

 彼と顔を突合せるのが怖くて、仔どもは目を瞑って俯いた。
 どうされる、折檻せっかん、だろうか。誰にもかえりみられずに過ごした最期の数年より前には、仔どもには殴られたり蹴られたり、売られそうになった思い出しかない。いつでも誰もが何かしら身勝手な理由で仔どもに対して怒っていた。

 刹貴もいま怒っている。きっと殴られる。

 淡々としているけれどでも決して冷たくはない刹貴が、そのようなことをするはずがないと、仔どもはそうは思わなかった。

 薄い肩をさらに縮めて仔どもは来るであろう痛みを待った。

「なん、で」

 なのに得たのは仔どもがいつも突っぱねてしまう、馴染みつつある体温だ。膝を付き、抱え込むように抱きしめられて、仔どもは身体に緊張を走らせた。

『構わん、』

 不意に刹貴は言い出して、抱きしめてきたときと同様に唐突に手を離した。首を傾けた刹貴は穏やかな声で続きを吐き出した。『無理をするな、おれが怖いのだろう、人間』

 焦って、ひゅうと喉が引きつった音を立てた。言葉より身体が先行して、考える間もなく仔どもは必死に頭を振った。

「ち、ちが。そ んなこ とっ。こわ こわい、と かっ」

 返す声はいつもの何倍もつっかえて、自分ですら理解できないほどだ。それなのに刹貴はまるで分かったように冷静な口調で、仔どもの心を見透かしたことを言う。

おれが不用意なことを言ったものだから、お前は無理をしているのだろう。傷つけまいとしているのだろう』

「ち、ちがう。違う  よ」

 本当はまったくもってそのとおりであったのに、仔どもは寸分おかずに否定した。是とすればますます刹貴を傷つけてしまいそうで。

おれが悪かった』

 頭を下げられる。その動作、その一言で、仔どもはひどく泣きたくなった。
 刹貴がこのようなことをする必要はない。

 たとえ刹貴の言葉がきっかけだとしても、傷つけたくないと思ったのは自分の感情だ。それがある種、刹貴への背信だとしても。

 だから、

『あのようなことを言うべきではなかった』

「  っ。や めてっ」

 そんなふうに自分を責めるような言い方をしないで。

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