傍へで果報はまどろんで ―真白の忌み仔とやさしい夜の住人たち―

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覆せぬ差をどうせよと

やさしいひと

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 しかしここまで連れて来られてしまえば、こねられる駄々も残ってはいない。

 変化で目方をごまかしてはいても、抵抗する千穿一匹の巨体をまかりなりにも引きずって連れてくる空の人間離れした膂力りょりょくにも、千穿はもはや降参しないわけにはいかなかった。逃げ出したところで、すぐに空にとっ捕まってしまうだろう。結局いつもそうやって、千穿 は仔どもの面倒を見させられる。

 千穿は肩を落とし、そのくせ口調だけは角を立たせて、仔どものほうはちらとも見もせずに訊いてくる。

『もう、風呂には入ったのか』

「ううん、今日はまだ」

 首を横に振ると、彼女は盛大に舌打ちをかました。嫌われることには慣れていたけれど、仔どもは千穿のことが好きだったから、寂しく思う。

『空が髪を結いたいと抜かしおるのだ。着替えはどこにある、さっさと入るぞ』

「ちょっと待ってください、千穿。ちゃんと変化は解いてくださいよ」

 埃を立てて床に落ちてきた千穿は、空いたままの押入れをあさろうとしていた。その姿は仔どもが出逢ったときと変わらず、巨躯の異形のままである。 

「その姿じゃお嬢さんも着物も傷つけてしまう。毎度言わせないでください」
『なにィ』

 大きな顔いっぱいに広がった眼球が、空を向いてぎょっとしたように剥かれた。いきどおりのためか、その目は血走っている。ぼさぼさに絡まった金髪をいっそう振り乱して、千穿は空に詰め寄った。

『私は嫌だからなッ。こちらも何度も言わせるな、世話をするのとて気に入らないというに、怯えさせて楽しむ機会すら奪うというか貴様はッ』

「千穿」

 空はそうやって殺気立った彼女を静かに制す。形良い唇でたった一言、千穿にとっての猛毒を吐き出してやる。

「才津さまが、」『ああもう分かった了解したッ。なんでも望むようにしてくれるわあッ』

 みなまで言わせず千穿は開きなおるように喚いた。本来の千穿は艶やかな金の毛並みを持つ美しい化生けしょうだ。意図してとっている醜い姿はすべて人間をおびやかすため。とはいえ仔どもがその姿を恐ろしいと思うことはないので、仔どもを相手取るならばその変化はまったくの徒労とろうであるのだが。

 仔どもの傍で、刹貴はため息をつく。騒がしいのは結構だが刹貴は仔どもに余計な気苦労を負わせたくはない。現にいま仔どもは千穿を見つめ、そのままでも大丈夫だという時期を図っている。

『空に任せておけ、人間』

 あれは結局、気やすさのあらわれであるのだから。

 そう言うと、仔どもは戸惑って刹貴を見つめ、こっくりと頷いた。

 そうしている間に千穿は変化を解いていて、すらりとした長身の美女が不機嫌顔で仔どもを見下げている。何度見ても飽きない、凛とした美人であった。

「綺麗ね、千穿」

 臆面なく仔どもがそう言うと、千穿は美しい顔を盛大に歪めた。

『まったく、なにゆえ私が貴様に合わせねばならぬ。褒められるなど虫唾むしずが走るわっ』

 心底いやだといったていを相変わらず保ったまま、むろんそれが素なのだろうが、千穿は今度こそ押入れから入り用のものを乱暴な手つきで引っ張り出す。

『早く来い』

 乱雑に着物を捌いて身をひるがえし、千穿はさっさと裏口から外に出て行った。刹貴も立ち上がり、戸の上にかかっている人間除けの風鈴を仔どものために外す。

 この風鈴は人間除けの中でも特に仔どもを近づけさせないようにするためのもの。普段刹貴が造るものとは用途を異にする。

 その風鈴を仔どもから遠ざけるようにか背後に持ちながら、刹貴は気遣わしげに仔どもに訊ねた。

『歩けるか』

「だいじょう、ぶ」

 足の怪我は完治には程遠いが、ひとりで歩けぬほどではなかった。刹貴が抱いていくと言いだす前に、仔どもは裏口の敷居をまたぐ。

 江戸えどは常に闇夜だが、昼らしき今は開けた空に星がよく見えた。月ほどには明るくないが、提灯もたわむれに飛んでくる。庵から漏れる光もあり、夜目よめは十分に効いていた。

 緑に囲われた裏庭には、目隠しを設けた湯殿があった。季節もあいまってか熱気がじんわりと肌を焼く。

 変化を解いた後のさらりと流れる金髪を追って、石畳の上で足を引きずる。

 千穿は決して待たない。
 優しくない彼女は、仔どもにとっては優しい。


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