34 / 74
覆せぬ差をどうせよと
やさしいひと
しおりを挟むしかしここまで連れて来られてしまえば、こねられる駄々も残ってはいない。
変化で目方をごまかしてはいても、抵抗する千穿一匹の巨体をまかりなりにも引きずって連れてくる空の人間離れした膂力にも、千穿はもはや降参しないわけにはいかなかった。逃げ出したところで、すぐに空にとっ捕まってしまうだろう。結局いつもそうやって、千穿 は仔どもの面倒を見させられる。
千穿は肩を落とし、そのくせ口調だけは角を立たせて、仔どものほうはちらとも見もせずに訊いてくる。
『もう、風呂には入ったのか』
「ううん、今日はまだ」
首を横に振ると、彼女は盛大に舌打ちをかました。嫌われることには慣れていたけれど、仔どもは千穿のことが好きだったから、寂しく思う。
『空が髪を結いたいと抜かしおるのだ。着替えはどこにある、さっさと入るぞ』
「ちょっと待ってください、千穿。ちゃんと変化は解いてくださいよ」
埃を立てて床に落ちてきた千穿は、空いたままの押入れを漁ろうとしていた。その姿は仔どもが出逢ったときと変わらず、巨躯の異形のままである。
「その姿じゃお嬢さんも着物も傷つけてしまう。毎度言わせないでください」
『なにィ』
大きな顔いっぱいに広がった眼球が、空を向いてぎょっとしたように剥かれた。憤りのためか、その目は血走っている。ぼさぼさに絡まった金髪をいっそう振り乱して、千穿は空に詰め寄った。
『私は嫌だからなッ。こちらも何度も言わせるな、世話をするのとて気に入らないというに、怯えさせて楽しむ機会すら奪うというか貴様はッ』
「千穿」
空はそうやって殺気立った彼女を静かに制す。形良い唇でたった一言、千穿にとっての猛毒を吐き出してやる。
「才津さまが、」『ああもう分かった了解したッ。なんでも望むようにしてくれるわあッ』
みなまで言わせず千穿は開きなおるように喚いた。本来の千穿は艶やかな金の毛並みを持つ美しい化生だ。意図してとっている醜い姿はすべて人間を脅かすため。とはいえ仔どもがその姿を恐ろしいと思うことはないので、仔どもを相手取るならばその変化はまったくの徒労であるのだが。
仔どもの傍で、刹貴はため息をつく。騒がしいのは結構だが刹貴は仔どもに余計な気苦労を負わせたくはない。現にいま仔どもは千穿を見つめ、そのままでも大丈夫だという時期を図っている。
『空に任せておけ、人間』
あれは結局、気やすさのあらわれであるのだから。
そう言うと、仔どもは戸惑って刹貴を見つめ、こっくりと頷いた。
そうしている間に千穿は変化を解いていて、すらりとした長身の美女が不機嫌顔で仔どもを見下げている。何度見ても飽きない、凛とした美人であった。
「綺麗ね、千穿」
臆面なく仔どもがそう言うと、千穿は美しい顔を盛大に歪めた。
『まったく、なにゆえ私が貴様に合わせねばならぬ。褒められるなど虫唾が走るわっ』
心底いやだといった体を相変わらず保ったまま、むろんそれが素なのだろうが、千穿は今度こそ押入れから入り用のものを乱暴な手つきで引っ張り出す。
『早く来い』
乱雑に着物を捌いて身を翻し、千穿はさっさと裏口から外に出て行った。刹貴も立ち上がり、戸の上にかかっている人間除けの風鈴を仔どものために外す。
この風鈴は人間除けの中でも特に仔どもを近づけさせないようにするためのもの。普段刹貴が造るものとは用途を異にする。
その風鈴を仔どもから遠ざけるようにか背後に持ちながら、刹貴は気遣わしげに仔どもに訊ねた。
『歩けるか』
「だいじょう、ぶ」
足の怪我は完治には程遠いが、ひとりで歩けぬほどではなかった。刹貴が抱いていくと言いだす前に、仔どもは裏口の敷居をまたぐ。
江戸裏は常に闇夜だが、昼らしき今は開けた空に星がよく見えた。月ほどには明るくないが、提灯もたわむれに飛んでくる。庵から漏れる光もあり、夜目は十分に効いていた。
緑に囲われた裏庭には、目隠しを設けた湯殿があった。季節もあいまってか熱気がじんわりと肌を焼く。
変化を解いた後のさらりと流れる金髪を追って、石畳の上で足を引きずる。
千穿は決して待たない。
優しくない彼女は、仔どもにとっては優しい。
0
あなたにおすすめの小説
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
あなたの片想いを聞いてしまった夜
柴田はつみ
恋愛
「『好きな人がいる』——その一言で、私の世界は音を失った。」
公爵令嬢リリアーヌの初恋は、隣家の若き公爵アレクシスだった。
政務や領地行事で顔を合わせるたび、言葉少なな彼の沈黙さえ、彼女には優しさに聞こえた。——毎日会える。それだけで十分幸せだと信じていた。
しかしある日、回廊の陰で聞いてしまう。
「好きな人がいる。……片想いなんだ」
名前は出ない。だから、リリアーヌの胸は残酷に結論を作る。自分ではないのだ、と。
あやかし帝都の婚姻譚 〜浄癒の花嫁が祓魔の軍人に溺愛されるまで〜
鳴猫ツミキ
キャラ文芸
【完結】【第一章までで一区切り】時は大正。天羽家に生まれた桜子は、特異な体質から、家族に虐げられた生活を送っていた。すると女学院から帰ったある日、見合いをするよう命じられる。相手は冷酷だと評判の帝国陸軍あやかし対策部隊の四峰礼人だった。※和風シンデレラ風のお話です。恋愛要素が多いですが、あやかし要素が主体です。第9回キャラ文芸大賞に応募しているので、応援して頂けましたら嬉しいです。【第一章で一区切りで単体で読めますので、そこまででもご覧頂けると嬉しいです】。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
本日、訳あり軍人の彼と結婚します~ド貧乏な軍人伯爵さまと結婚したら、何故か甘く愛されています~
扇 レンナ
キャラ文芸
政略結婚でド貧乏な伯爵家、桐ケ谷《きりがや》家の当主である律哉《りつや》の元に嫁ぐことになった真白《ましろ》は大きな事業を展開している商家の四女。片方はお金を得るため。もう片方は華族という地位を得るため。ありきたりな政略結婚。だから、真白は律哉の邪魔にならない程度に存在していようと思った。どうせ愛されないのだから――と思っていたのに。どうしてか、律哉が真白を見る目には、徐々に甘さがこもっていく。
(雇う余裕はないので)使用人はゼロ。(時間がないので)邸宅は埃まみれ。
そんな場所で始まる新婚生活。苦労人の伯爵さま(軍人)と不遇な娘の政略結婚から始まるとろける和風ラブ。
▼掲載先→エブリスタ、アルファポリス
※エブリスタさんにて先行公開しております。ある程度ストックはあります。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~
秦朱音|はたあかね
キャラ文芸
王を中心に五家が支配する、綺羅ノ国。
五家に覡(かんなぎ)として仕える十六夜家の娘、久遠(くおん)は、幼い頃から男として育てられてきた。
都では陽を司る日紫喜家の王が崩御し、素行の悪さで有名な新王・燦(さん)が即位する。燦の后選びに戦々恐々とする五家だったが、燦は十六夜家の才である「夢見」を聞いて后を選ぶと言い始めた。そして、その夢見を行う覡に、燦は男装した久遠を指名する。
見習いの僕がこの国の后を選ぶなんて、荷が重すぎる――!
久遠の苦悩を知ってか知らずか、燦は強引に久遠を寝室に呼んで夢見を命じる。しかし、初めて出会ったはずの久遠と燦の夢には、とある共通点があって――?
謎に包まれた過去を持ち身分を隠す男装姫と、孤独な王の恋と因縁を描く、和風王宮ファンタジー。
※カクヨムにも先行で投稿しています
人間嫌いの狐王に、契約妻として嫁いだら溺愛が止まりません
由香
ファンタジー
人間嫌いで知られる狐族の王・玄耀に、“契約上の妻”として嫁いだ少女・紗夜。
「感情は不要。契約が終われば離縁だ」
そう告げられたはずなのに、共に暮らすうち、冷酷な王は彼女だけに甘さを隠さなくなっていく。
やがて結ばれる“番”の契約、そして王妃宣言――。
契約結婚から始まる、人外王の溺愛が止まらない和風あやかし恋愛譚。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる