傍へで果報はまどろんで ―真白の忌み仔とやさしい夜の住人たち―

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覆せぬ差をどうせよと

想いはこの身すら変え

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 最早動けない母を村民は乱暴に引っ立てた。千穿を守るために、母はちからを使い果たしてしまったのだ。千穿をあたりの眼から見えなくさせるのと引き換えに、もう彼女は抗えない。

『  お願いや、どうか、どうか、あん子だけは許して、』

 懇願する声に返答はない。

 父は、母が引き摺られていくのを止めなかった。黙って後に続いて、眺めていた。

 途方もない怒りが千穿のなかに押し寄せる。

 どうして どうして どうしてどうしてどうしてッ。

 千穿は傍らに転がったままだった、血にぬめる包丁を取り上げた。

 赦さない。こればかりは。
 千穿は悪くない。
 千穿が悪いのでは、  ない。

 千穿が何をした。恐れられ忌み嫌われる何かを、千穿は、母はしたか。否だ。
 何も。何もしていないのだ。
 それなのに、殺される。


 認めない、そんな運命認めやしない。


 ぐうと包丁を握りしめて、外に走り出た。

 母を助けなければと。

 その思いばかりが頭を満たして、どうすればいいかわかった時には自然、それを握っていたので。

 母の行った道は、その血が、示してくれる。追いかけていくと、母の声が千穿を引き留めるのが聞こえた。

『おちび、止せ、ちびッ』

 なあどうして、どうして母ちゃんはそんな声で千穿を呼ぶ。どうしてそんな今にもすり切れそうな声で、千穿を呼ぶんだ。

 三人で、そんなことはもう、はかない願いなのかもしれない。だからといって、千穿が母まで諦めることなどできようはずもないのに。

 そんなこと、母ちゃんだって分かっているはずだろう。

『いや、だぁッ』

 恐慌状態におちいりながら、千穿は刃を横に振るった。肉を断つその感触に怯み、それでも腕を押し進める。母ちゃんを、殺そうとするやからに遠慮なんて必要なものかッ。

『アあ、ぁアああああああああああッッ』

 顔を歪めて狂った悲鳴を上げながら、横一閃腕をぎ、血しぶきを上げる。いまや、母の幻術に守られていようとも千穿は安全ではなかった。鋭利に輝く刀身が、千穿の居場所を知らせている。千穿がひとり傷つけるたび、倍になって返ってくる。着ている着物は誰ものもかも知れない血で染まり、視界までも射るような緋。

『止めてッその子ばかりは堪忍してッ』

 ひとりぼっちになんて、絶対ならない、させない。最後の最期まで、千穿は母ちゃんを諦めない。

 それだけが千穿を支えるすべてで、千穿をこの凶行に駆り立てていた。

 母の逃げろと促す悲痛な声は、千穿の耳には届かなかった。

「餓鬼を捕まえろっ」「いいや早く女を始末してしまえっ、そのほうがこいつも大人しくなるだろう」「それより」「ええいまどろっこしいッ」

 幾人かが傷を受けて周囲に倒れこむ中で、再び誰かに斬撃を加えようとして遂にそれは叶わなかった。千穿は刃をい潜り自分の腕をとらえた男をわずか呆けて見つめ、我にかえって振り払おうともがいた。

 噛みつき、刃物を持ちかえて刺し殺そうと腕を振るおうとして、その腕に重い手刀が落とされる。とうとう指から零れた刃は薄情にも手の届かないところへ転がっていった。

『っ、』

 身体に激痛が走る。地面に引き倒され、あまりの痛みに声を上げることすらかなわない。滲んでくる涙が許せなくて、千穿は唇をかんだ。

「所詮、仔どもよ。バケモノといえどいつまでもむざむざ後れをとるものか」

 降ってくる声はどこまでも冷たい。この声がかつては一片だってそんな感情を含んでいなかったことを思い出すのは、もうできそうになかった。

 容赦なく腕を捻られ、逃げられないよう地に縫いつけられる。近くて、でも随分と遠い場所に母が打ち伏しているのが見えた。

『母ちゃんっ』

 こいねがうように母を呼んだ。母は顔を上げなかった。驚くほどの血が土に染み込んでいて、けれど最初はそんなこと認めたくなくてここは赤土でもないのに変だなあなんて場違いに逃避しようとする思考。けれどこの押さえつけられる腕からも、現実からも、いつまでも逃げられていられようはずもなく、

 ようやく、                   慄然とする。

『かあ、ちゃ、』「いくら呼んだとて、無駄よ」

 込められる嘲笑になぶられる。けれど千穿はその言葉の意味を無理やりに頭の奥へ押し込んで、足らない舌で母を欲した。

 母ちゃん、母ちゃん母ちゃん、

『母ちゃんっ』「無駄だ、と言っているだろう」

 男の声は乱暴に千穿に知らしめる。

『かあ、』「お前の母は、死んだんだ」

 ぴったりと、千穿は声を上げるのを止めた。母ばかりに向けていた目を離し、首をめぐらせて千穿は男を見上げる。干からびた声を口端から零す。

『死んだ。
 間違えるな、お前たちが殺したんだろうッ』

 うなるように叫んだ。

 胸の奥が苦しくて、熱い、頭もまた熱されているみたいでうまくまとまらないのは思考回路。きっと大事なところを寸断されてしまったのに違いないのだ。

 たぎる激情そのままに、千穿は言葉を繰り返す。

『母ちゃんが、千穿が、何をしたッ。何もなにも、今までッ、  何で、あんな風にッ』

 ボロボロにされて、殺されなければならない。
 執拗しつように執拗に、死んでなおまだ身体を割かれて。

『人間なんて大っ嫌いだッ。お前らが死んでしまうんだったらよかったのにッ』

 千穿が呪詛じゅそを吐き出したその刹那、こころの中で頭を出していた思いが一気に弾けた。身体中一切を満たす怨みに突き動かされ、千穿は身を起こす。

 その時、ずるりと何かが滑って落ちていった。見ると、それは千穿を押さえつけていた男だったものだった。死んでいる。当然だ、冷笑を浮かべつつ、千穿は思った。あれだけのことを母ちゃんにしたのだから、おなじ痛みを返されるのなんて、当然だ。

 千穿は男を蹴とばした。転がっていくのを最後まで見届けはせずに、ほかの人間に視線を移す。一様におびえた眼差しが千穿に注がれる。異様な体躯だ、千穿も自身を見てそう思ったが、別段気にはしなかった。

 もっともっと、怯えればいい。襲い来る死の恐怖に、震えればいい。

 母と同じ痛みをもって、朽ちればいいッ。

 より恐ろしく。千穿の思い浮かべた死を体現するものが、千穿の肉体を持ってつくられる。二丈はあろうかという巨体、闇を流し込んだ皮膚。血で濡らした瞳。
 そうあれかしと千穿の思いに応えるように、身体中の構造が変わっていく。有する武器がなくとも鎌のごとき爪と歯があれば、ひとなど容易い。

『見ておけ、これがお前たちの死の姿だッ』

 うめいて、慟哭どうこくする。

 バケモノだ、自分はまさしくそうなのだ。頭の隅の冷静な部分で自身でもそう思ったが、ああならば、そのように振舞えばなんら問題などないのだ。

 膨れ上がった手でひとり、またひとりと逃げようとするひとの命を潰していった。

 動きあるものを目端にでも捉えれば原型も留めないほどにぐちゃぐちゃに引き裂いてほふる。何度も何度も突き動かされる衝動に従って数え切れないほどを散らして。きっと、おのが手で父すらも殺しただろう、そんなことすら気にせずに愛おしかったものたちの面影を怨嗟えんさで塗り固め、彼らの消えてゆく声を音楽として聴いた。

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