傍へで果報はまどろんで ―真白の忌み仔とやさしい夜の住人たち―

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それは永遠の秘めごと

いつかこの音が届く日が

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「我が姪はこの中に」

 急な階梯かいだんがすぐに控えている。真昼間だというのにわずかな日光がみるように入るだけの薄暗い部屋だ。外の風に中をかき回され、薄い血の臭いが流れていく。それを敏感に感じ取り、才津さいつは眉を寄せた。目が見えない代わりに鼻が利くさつは才津よりもよほど強くそれを意識して、佇まいこそ平素通りだがその内は平穏ではない。

『刹貴、』

 それを悟ったのか、才津は先に降りるようにと彼を促した。『階梯かいだんがあるからな』

 間をおいて、刹貴は返答した。

『大事ない』

 危なげなく下りた先で、より強く刹貴は血の臭いを嗅いだ。続いた才津もまた、その臭気が濃くなったことに気づいた。澱んで膿んだ鉄錆の不快さ。

『ひどいにおいだ』

 ぼそりと呟いた刹貴に、は、と女が息をのんだ。

『ここにずっとおったのだろう。どうやってあれは』「わたくしの落ち度でございます」

 悲痛に声を掠れさせて、女は懺悔ざんげするように言い募った。「知らなかったのです。蔵に刀があるだなんて。ましてあの子がそれを見つけ出そうとは」

『それは、』

 才津は女を見、刹貴に視線を移してから訊ねる。

『あの娘が自害を図ったとみて相違ないな』

 ためらった末に女は頷いた。そして刹貴も。

 血をはらんだ空気が、濃度を増す。『なるほどな』

 才津はようやくと腑に落ちて、つぶやいた。

 名前を喪い、ただでさえ自己が曖昧であるのにその上自らを害するなどと。どうなるかなど、妖モノにとっては火に油を注ぐよりも明らかだ。真実死ななかったのは運がよかったとしか言いようがない。

 しかし才津はわざわざそれを口に出すことはしなかった。
 前に立つ刹貴の背が、あんまりにも頼りなかったせいで。

『知っていたのか』
おれを何だと思っている』
『なるほどサトリ。  その通りだ』

 風鈴で蝕まれていようともサトリはサトリ、子どもの明け透けな心情は手に取るように分かる。子どもにとってそれは瑣末さまつな問題にすぎないようで、後ろめたさも何もなく、情報は開示された。

『本当に、あれは死にたかったのだな』

 自分にすら届かないほどの声音で刹貴は言葉を落とす。けれど、と続けた台詞はそうであってほしいとこいねがうような想いが籠められている。

『今はそうでもないと、言ってくれるだろうか、なあ人間』

 希薄な気配の存在を追って、刹貴は蔵の奥へと足を進める。そうして足の先に硬いものを感じたとき、腰を折って彼は躊躇わず手を伸ばした。子どもが伏せっている畳であることくらい、見えずとも彼は了解していた。

 刹貴は子どもの頬に指をあてた。まろくふくふくとしていてもいいはずのそこは頬骨の形が目立つほど。それでもほのかな体温が指先を伝う。唇に手をかざせば細く浅いけれども呼吸を感じ、ああ、この子どもは確かに生きているのだという確信。けれどこの人間が、自らこちらに帰ってくることはないのだ。意識もないのに刹貴の双肩に重くのしかかるのは、子どもの痛みや哀しみや、
                      切ないまでのしたわしさ。

 だが逆に、それはここに想いを残している証なのだ。
 子どもはここで愛されたがっていた。

「もうひと月も経とうかというのに、まだ目を覚まさないのです」

 刹貴の傍らに膝をつき、女は淡く自嘲気味にわらった。

「わたくしを、憎く思っていたでしょうか。こんなところに閉じ込めておくわたくしを。そうであったならばなぜ、わたくしを斬らなかったのか」

『そなたは、』

 刹貴は一瞬ためらい、結局はその問いを口にした。

『これが愛しいのか』
「どうしてそのようなことをお訊きになるのです」

 一片いっぺんの感情の揺れもなく、今までの亡羊とした雰囲気を一掃して、女は凛然と答えた。

「考えるまでもございませんわ。この子は我が姉の忘れ形見。わたくしにとっても娘のようなもの。この子が健やかであることが、我が願い、唯一の望み」
『このような、  みにくい姿であってもか』

 鋭い眼差しが、突き刺さるような気が刹貴にはした。風鈴を越えてくる感情は、轟々ごうごうと白く炎を燃やしている。「バケモノとは、その心根が醜いもののことを言うのです。決してその見目で左右されるものではありませぬ。私はこの屋敷で、ようくそれを学びました」

 刹貴はちいさく笑った。『  なるほど』

 彼の永遠に光を通すことのない眼差しが注がれるのは、子どもの伏せっている病床だ。畳の上の布団に手を滑らせ、刹貴は子どもの手を探した。

 握っていたいと思った。おれがお前を想うようにお前を愛するものがいるのだと、未だにそれを疑ってかかる子どもに知らせてやりたかった。

 なあ人間、やはりお前は、ここに帰るべきだよ。

 子どもの手を探して指先を泳がせている刹貴に気づいたのか、彼よりも早く才津が子どものちからない手を取り刹貴に寄越す。その手首はあわれをもよおすほどに頼りなく、記憶にあるものよりも細っている。

 カラン、とおよそこの場に相応しくない音が響いた。その正体も合わせて、才津は渡す。

 風鈴、だった。刹貴がまだ子どもを知らないときに子どものためにあつらえた、風鈴。子どもはずっと、握りしめて眠っていたのだ。

 目を覚ましたなら、あんなに返してほしがっていた風鈴がここにあることを知れるだろうに。子どもが抱えて町まで持ってきていたそれは、子どもと同じように実体ではなく、風鈴に込められていた母の愛情がその形をなしていたのにすぎない。子どもはいつもその想いを抱いていた。

 刹貴は女に風鈴を渡した。

『鳴らしていろ、ずっと、ずっと。そして名を呼んでやれ。いつかその音はこの子に届く。
 いや、  届かせる』

 女はそれを受け取った。

 カラカラと風鈴は声を上げる。止まることなく。優しくやさしく、響き続ける。彼女が愛おしく囁いた名は、確かにかつて刹貴が聞いたものだった。

『早く、起きてやれよ。お前を待って泣くものが、ちゃんとここにはいるのだから』

 だからそのために出来ることならば、何だっておれはしてみせるから。


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