結局恋しちゃうんです

畑 秋香

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「そろそろ⋯離れてもらっていいですか?」

「あのさ⋯」

 離れる気はないのか⋯――と諦めたくない思いから出来る限り顔を後ろに下げるが下げた分だけカナトも近付いてくる。
 興味があるとかないとかの問題ではない⋯
 こんなイケメンの顔が鼻に触れそうなほどの至近距離にあれば顔も赤くなるだろう。
 カナトの息が顎の先を掠めていって緊張で息が出来ない⋯

「このままここで家政婦として働かない?」

「はい?」

 このまま?顔が?いや、家政婦か⋯働くって⋯――何が何やら理解できず、困惑しているとやっとカナトが離れて椅子に座り直した。
 自分の態勢も直すと肺にしっかり酸素を送り込んで、一息吐いてから話を再開した。

「このまま就職せずに家政婦のバイトをするということですか?」

「いや、ここに就職するってこと」

 私はカナトから給金を貰っているが雇い先はカナトの祖父の出版社になっている。
 就職となるとどうなるのか⋯

「それは⋯どうなんでしょう⋯福利厚生や給料面のことを考えると⋯」

「この辺りの仕事じゃ、すぐに一人暮らしできるだけの給料は無理だと思うよ?まぁここでも同じだけどね」

 確かに新卒の給料で一人暮らしは大変だ。
 出来ないこともないが余裕はなくなるだろう。
 だからといって、家政婦を続けて何か変わるのか。
 しっかりと自立したい希望が叶うのだろうか⋯

「考えさせて下さい」

 この日は仕事を終わらせたら早々に家に帰らせてもらった。
 私を見送るカナトはどこか悲しそうな顔をしていて、心がザワついた。

 何か変わると思えないのに何故すぐに申し出を断れなかったのか⋯
 カナトが心配だから?でも就職を機に辞めても、なるべく身の回りの世話には行こうと考えていた。
 親の言葉⋯カナトの言葉⋯
 甘えず自立したいと思っているはずなのに間違いなく心が惹かれている。

 自分でも気付かなかった心の底の願いが少しづつ浮かび上がってきているような感覚。
 出したくない⋯出しちゃいけない⋯

 浮かぶ思いを奥底に押し戻して、布団に包まって目を瞑った。





 何日も考えて悩みまくった。
 イチカにも相談したが、言われたのは⋯

「考えを否定するわけではないけど⋯” 夢の人生 ”のアラタと今のアラタは全く違う。だから周囲の人がアラタに抱く感情も違う。その感情を受けてアラタの考えや願いが変わってもおかしくはないんだよ。それでも私は変わらずアラタの味方でいるよ」

 今の私は大事な人達から沢山の愛情を注いでもらっている。
 感謝しているし、この上なく幸せだ。
 だからこそ⋯私は⋯一人になりたいと願っていた。
 この先待ち構えているであろう出来事に巻き込まない為に⋯





 バイトの為にカナトの家に入っていくとソファーで寛ぐ一人の男性。

「久しぶりだな。この間はこいつの看病までやってもらってありがとな」

 突然現れたタケルに驚いて立ち止まっているとコーヒーを持ったカナトが隣にやって来た。

「タケルから話があるんだ。座ってよ」

 ダイニングテーブルに移動して座ると目の前にミルクと砂糖がたっぷり入ったコーヒーを置かれる。
 正面に腰を下ろしたタケルが背筋を伸ばして咳払いする。

「カナトからここで働き続ける提案をされたと思うんだが⋯それについて話したくてな」

 タケルのビジネスバックから出てきたのは一枚の求人票だ。
 それを差し出され目を通すと、その内容に目を見開いた。

「〇〇社の派遣家政婦って⋯」

「うちの会社と契約している作家は多い。健康的な生活をしている人がいれば仕事にどっぷり浸かって私生活を疎かにしている人もいる。だからそういう作家の為にお抱えの家政婦を会社で用意することにしたんだ」

「そこに就職⋯ということですか?」

「そうだ。勿論アラタちゃんはカナト専属だ」

 記載されている給料は普通だが他に賞与もあり、福利厚生も充実している。

「就職先として⋯どう?」

 どうすればいいのか⋯
 就職して独り立ちするならどの仕事でも一緒だ。
 ここでそのまま就職するのが一番苦労しないだろう。

「迷ってるのか?何が問題なんだ?」

 問題⋯そんなものはない。

「アラタちゃん⋯社会人になったからといって甘えたらいけないなんてことはないんだよ?」

「そうだ。それに君が優秀な家政婦だから声をかけているんだ」

 認められることは嬉しい。
 でも⋯⋯

「私は⋯大事な人達から⋯離れた生活をしたいんです⋯」

 全く予想しなかった言葉にタケルが軽く身を乗り出した。

「どういうことだ!?でもこの町は出ないんだろ!?」

「一年くらい⋯だけ⋯距離を置いた生活をしたいんです⋯だから、カナトさんの側にずっといるわけには⋯いかないんです」

 困惑するタケル。
 申し訳ないがこれ以上の理由を話すことはできない⋯
 罪悪感で唇を噛むと横から伸びてきたカナトの手が頬に触れ、親指が歯の立てられている唇に添えられる。

「また噛む⋯アラタちゃん、言いたくないことは言わなくていい。俺もタケルも無理強いはしない」

 カナトの言葉にタケルが頷く。

「きっとその考えには言いづらい理由があるんでしょ?しかも大事な人の為を思って⋯」

 図星を突かれて、体が小さく跳ねる。

「その中に俺が入っているのは凄く嬉しいよ。でも⋯大変なことを君一人で抱える必要なんかないんだ。みんなが心配しているというのは⋯みんなが君を守りたいと思っているということなんだよ」

「何を不安がっているか分からんが⋯周りへの被害もあるようなことなら尚の事うちへの就職を勧めるぞ?カナトには専門の弁護士が付いてるし、こいつは喧嘩慣れしてるからな。相手が格闘家でもない限りは余裕だろ」

 二人の言葉を聞いていると押し込んだ思いがまた浮上してくる。
 少しずつ⋯その思いが顔を出そうとしている。

「前に言ったよね。不安に駆られているなら俺を頼ってもいいって⋯何でもするって」

 カナトの顔を見ながらあの日の会話を思い出す。

「俺が手を差し伸べるよ。だから教えて、アラタちゃんの本当の思いは?」

「私は⋯」

 温かい優しさに惹かれるように口が開く。

「本当は誰とも距離を置きたくない。親が実家に住んでていいと言ってくれてるなら⋯甘えたい。カナトさんのとこでずっと働けるなら⋯働きたいです⋯」

 カナトに頭を撫でられて、目頭が熱くなっていくのを感じる。

「じゃあ決まりだな。これで俺も安心だ」

「安心?」

「この間の急な依頼を引き受ける代わりの条件がうちの会社でアラタちゃんを正式に雇うことだったんだ。こいつはアラタちゃん以外の家政婦はもう受け入れられないだろうからな」

 カナトの満足そうな顔がこの話が真実なんだと実感させる。
 どうしてこの人はこんなにも私を思って行動し、言葉をかけてくれるのか⋯

「俺がいるから大丈夫だよ。何からも守ってあげるから」

 本気で言っているのは分かる。
 私にこうゆう冗談を言う人ではない。
 でも⋯タケルの前で普通に言ってくるのはいかがなものか⋯

「素直にカナトに甘えとけ。アラタちゃん、人の好意を素直に受けるのは悪いことじゃないんだ。ちゃんと覚えとけよ」
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