レモンイエローの憂鬱

もとあ

文字の大きさ
3 / 4

欲しいもの

しおりを挟む
 翌日の月曜日、授業を終えた美紗は、キャンパスの端にある部室棟に向かった。クラシックギターサークルの部室は、三階に二部屋ある。一つは練習用のスペースで、もう一つは楽譜や楽器を置く倉庫に使っていた。
 練習用の部屋の前を通りかかった美紗は、かすかなギターの音を耳にした。
 中をのぞく。史朗が一人でギターを抱いて座る背中が見えた。

 史朗に、英利花がアドレスを知りたがっていると伝えなければならない。史朗はどんな反応をするだろう?

 美紗は扉を開けた。史朗は、美紗に気付いて弦を弾いていた指を止めた。

「ごめん、邪魔しちゃって」
「いや」

 美紗と史朗は、一言ずつ言葉を交わした。史朗の視線が譜面に戻った。ギターの音色が再び響き始める。もの寂しく、懐かしい風景を思わせる旋律は、確かスペインの作曲家の作品だ。

 美紗は無言で史朗に歩み寄った。譜面をのぞき込む。音楽は進む。史朗を盗み見る。譜面と楽器を行ったり来たりする瞳が真剣だ。
 最後の和音が静かに鳴って、演奏は締めくくられた。

「いい曲だね」

 美紗の言葉に、史朗が顔を上げた。

「うん。俺、この曲好きなんだ」

 美紗を見る史朗の瞳は、どこか熱っぽいものをはらんでいた。ミニコンサートのあとでも、冗談を言って笑っているときでも、見たことのない表情だった。

 二人きりの部屋に、沈黙が降りた。美紗は戸惑った。この場面で、取るべき態度を、言うべき言葉を知らなかった。
 打開を求める思考は、幼馴染に辿り着いた。

「英利花がね」
「え?」
「ほら昨日、私と一緒にいた子。学園祭でも一度、会っていると思うんだけど、覚えてない? あの子に史朗くんのアドレス教えてあげてもいいかな? 洋楽のこと、もっと聞きたいんだって」

 史朗の瞳の熱が消えた。甘くて、恥じらいを含んだ何かが、消えた。

 美紗は失敗を悟った。いまのは言ってはいけなかった。

「ごめん、無理なら全然いいから、気にしないで」

 美紗は弁解したが、本当は気付いていた。二人の間が、もはや数秒前に戻ることはないのだと。
 そして、おぼろげに理解した。二人の間には、恋の火が灯りかけていたのだと。史朗は美紗に、恋愛感情を抱いていたのだと。

 美紗はいま、史朗に何をしただろう?

 史朗のメールアドレスを他の女に教えようとした。他の女と史朗との仲を斡旋しようとした。美紗は史朗に、恋愛感情などないと信じ込ませてしまったのではないか。

「いや……別に、教えてもいいけど」

 史朗が気のない返答をした。美紗は、恋愛感情などない自分を演じ続けるしかなかった。

「そっか、よかった、ありがとう。英利花、喜ぶと思う」

 友達思いの笑顔を残して、美紗は外に出た。この場にいない英利花が、満面の笑みを浮かべている気がした。

 あれが欲しかったのに。どうして英利花に譲ってしまったのだろう。

 美紗は後悔していた。

 あれというのが史朗なのか、もっと別の何かなのか、美紗にはわからない。とにかく、英利花は持っているのに美紗は持っていないものがある。その何かを手に入れて、英利花のような日常を生きてみたい。

 漠然と夢見つつ、美紗は美紗の日々を送った。

 そして五月が終わろうとしているころ、美紗は学校の帰りに、駅ビルのアパレルショップで、ふと足を止めた。
 店頭のマネキンが、黄色いスカートを履いていた。英利花とのショッピングで見つけたものと同じ色だ。

 あのときのように、可愛いスカート、とは思えなかった。けれども欲しいと思った。
 美紗は、新たに出現したレモンイエローのスカートを購入した。あの日は英利花のものになってしまったものを、一月以上経って手に入れたのだった。

 美紗の胸に、小さな企みが芽生えた。今日の買い物を、英利花に教えたらどうか。

「英利花、この前イエローのスカート買ってたよね? 私も同じ色のスカート買っちゃった」

 送ったメールは一見、親友同士の日常会話だ。

 英利花は何と返すだろう? お揃いだね、と嬉しそうに返信するだろうか? 内心では悔しく思うはずだ。私が英利花と同じくらい可愛い服を着るなんて、と悔しがるのだ。
 美紗にはこんな思惑があった。英利花と同じような服を手に入れただけで、ヒロインの座に接近した気分になった。

 メールが返ってきたのは帰宅してからだった。自室のベッドに座って、英利花からのメールを読んだ。

「あの色可愛いよね。でも合わせるのが難しくて、実は最近、履いてないんだ」

 もはや英利花は、レモンイエローのスカートに執着を持っていなかった。企ては失敗した。

 美紗は、手に入れたばかりの美紗のスカートを袋から引っ張り出すと、タグも取らずに衣装ケースの奥に突っ込んだ。

 確かに美紗は、このスカートが欲しいと思った。だから購入した。それは物欲だったのだと美紗は信じている。しかし、美紗が本当に欲したのは経験だった。

 レモンイエローのスカートを購入する、という決断と経験。それに依る所有。つまり、あの日の英利花の経験を、自身の経験として再現したかった。

 数日後、美紗は偶然にも英利花と史朗を目撃した。
 駅から家へ向かう一本道を足早に歩いているときだった。四、五人の通行人を隔てて、史朗と英利花が並んで歩いていた。
 美紗は人々の間から、ちらちらと二人の様子をうかがった。
 英利花が話しかける。史朗が手振りを交えて答える。英利花の肩先が一瞬、史朗に触れる。史朗が慌てて身体を離す。

 美紗は車道を渡って、反対側の歩道に移動した。二人に気付かない振りをして、急いで追い抜いた。

 英利花が着ていたのは、ベージュのワンピースだった。あの日は迷って買わなかったワンピースを、いつの間にやら買っていた。

 美紗がイエローのスカートを手に入れて、英利花と並んだ気になったのが数日前のこと。今日、英利花がデートに選んだのは、自分で見つけたワンピースだった。

 こういうとき、美紗は英利花に見せ付けられている気がする。英利花だけが持っている何かを、見せびらかされている気分になる。

 英利花は史朗と付き合っているのだろうか。
 今日、史朗の隣にいたのは私だったかもしれないのに。

 史朗は、ギターが上手い。おしゃれもする。飾り気のない性格で、話しやすい。何かと気遣ってくれる。CDも貸してくれた。よく考えてみれば、いい男だ。英利花が好きになるのも、うなずける。

 英利花と史朗は、もう恋人同士なのだろうか。まだ友達同士ならいいのに。これは恋愛感情なのだろうか。きっと、そうなのだろう。

 美紗は史朗を、英利花の隣にいた男を、欲しいと思った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻の遺品を整理していたら

家紋武範
恋愛
妻の遺品整理。 片づけていくとそこには彼女の名前が記入済みの離婚届があった。

有名俳優の妻

うちこ
恋愛
誰もが羨む結婚と遺伝子が欲しかった そこに愛はいらない

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

離婚すると夫に告げる

tartan321
恋愛
タイトル通りです

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

~春の国~片足の不自由な王妃様

クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。 春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。 街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。 それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。 しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。 花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

処理中です...