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いざ行かん婚約発表パーティー

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「準備はよろしいですか。リディア様」

 部屋で息を整えるリディアに、アランは声をかけた。
 アランは国王ゼドの身の回りのサポートを行う忠実な秘書官だが、リディアはこのアランをここ一ヶ月借りたいと願い出た。
 聞くところによるとアランは幼い頃のゼドの教育係としても活躍していたようで、国王の頭脳を育てた彼が持つ知識と技術は膨大なものだ。

「ああ。頭もスッキリしてるし、体も軽い。ぶつかり合うにはもってこいのステータスだよ」

 リディアはその場で軽くジャブを打って見せる。調子はすこぶるいい。今なら回し蹴りだってなんなくできそうだ。

「あの。別に殴り合いじゃないので、見せられても困ります」
「冗談だ冗談。ゼドは?」
「すでに会場で皆様の応対をしております。今回のパーティーの主催者ですから」
「そうか。いやはや早かったもんだなこの一ヶ月」

 リディアは一ヶ月で、為政者として必要な振る舞いを限界まで身につけるべく、アランを己の教育係に任命し、血反吐を吐くような努力で次から次へと習得をした。
 もともとリディアの集中力は高い。頭の回転も早く、知識さえ与えれば面白いほどに吸収した。それに加えて難題を乗り越えることが大好きな、好戦的な性格だ。
 まるでアランと喧嘩でもしているような勢いでリディアは課題をこなし、国王の婚約者として成長した。
 そしてついに婚約発表の時が訪れたのである。

「貴方様から教育係を任命されたときには驚きましたよ。てっきり、陛下とはいやいや婚約なさったのかと思ってましたので」
「ははっ。まぁ、もちろんゼドに会うまでは嫌な気持ちの方が強かったからな」

 実際、王城に越してくるまで何度もリディアは家出をしようか、それとも国外にでも逃亡してやろうかと考えたものだ。

「でも、嫌々だろうが、一度私はゼドに嫁ぐと決めたんだ。一度決めたことは途中で折りたくないよ。それに、私は今まで当たり障りのない人間関係ばかり築いてきてしまった、ちゃらんぽらんな娘だ。問題児伯爵令嬢なんてあだ名も親につけられた。こんな私を、幼い頃に一目見ただけで、ここまでずっと想い続けきたゼドの誠意に、私は応えてみたいんだ」

 そう思えたことは、リディアにとって大きな進歩だった。誰からも好かれながら、誰とも特別な関係にはならない。軽やかに生きてきたリディアが初めて感じた気持ちだった。
 だから、逃さずに大切に育ててみたい。
 そう語るリディアの横顔は慈愛に満ちていて、たおやかだった。

「時間だ。アラン。私の初陣成功を願っててくれ」



 ゼドは出席者の貴族たちと挨拶を交わしていた。
 パーティーは多くの貴族が参列し、まれにみる盛況を極めていた。国王主催だからというのもあるが、皆それだけではない。

「国王陛下。こちらは私の愛娘のフィデリカでございます。ほら、挨拶しなさい」
「本日はお招きいただきありがとうございます、国王陛下。フィデリカ・トリフルでございます」

 大振りのリボンと揺れるフリルをあしらい、胸元が大きく開いたドレスを着た女が、わざとらしい笑顔を浮かべて礼をする。
 彼女は一体愛らしい方向に進みたいのか、それとも色気のある大人な方向なのか、装いがごちゃまぜでアンバランスだった。
 疑問に思いながら、ゼドは「どうも」とだけ短く返事をする。

 どの貴族もこんな調子で、自分の娘を紹介してくる。
 ゼドはもうすぐ十八になる。この年まで、初恋をこじらせていた訳だが、貴族たちはそんなことを知らない。誰もかれもが今回のパーティーを、結婚適齢期真っ只中の国王と自分の娘と結婚させるチャンスだと思い込んでいた。

「国王陛下。フィデリカは会えてうれしゅうございます。王城の装飾も見事でございますね。きらびやかで、フィデリカ感激いたしましたわ。良ければ後で案内してきただけませんか。二人きりで」

 今回のパーティーは公式行事のような堅苦しいものではないにしろ、フィデリカのように身体を擦り寄せてくる厚顔無恥な令嬢は見たことがなくて、ゼドの心は一気に氷点下まで下る。
 同じことをリディアにされても、---そもそも彼女はそういうタイプではないが---マナーとして諫めはすれど悪い気はしないのに、人が違うだけで、ここまで感情に差が出るものだと、己の打算的な性格に感心する。

 ああ。リディアのことを考えると会いたくなってしまった。

 この一ヶ月、彼女は努力を積み重ねていた。アランはゼドから見ても、かなり厳しい教育係だ。無理難題を押し付けてくることも珍しくない。そのせいで生徒を選んでしまうため、彼は名教育者として名を挙げることはなかった。
 ゼドも彼女がアランを教育係に任命したときには心配した。だが、リディアはどんな課題でも楽しそうにこなした。
 その様は気高い狩人や戦士を思わせ、キラキラと輝いていた。

 リディアはいつでもそうだ。全身から生きていることへの喜びに溢れ、周囲を魅了する。そして、誰もが彼女に魅了されるのに、誰も手が届かない。
 リディアは、軽やかで強く、留まることを知らない、草木を激しく揺らす青嵐なのだ。やっと自分の元へ降りたってくれた彼女をみすみす、どこかへ吹かせるわけにはいかない。

「どうされました? 国王陛下?」
 フィデリカは可愛らしくこてんと首をかしげた。仕草一つととっても、リディアの方がきっと様になると確信してしまうほど、彼女に夢中になっている自分に苦笑する。

「いや、何でも。しかし、その願いを了承しかねる。我が婚約者に失礼だからな」
「は? 婚約者?」

 初めて国王の口から出たとんでもない話題に、フィデリカだけではなくトリフル侯爵、そして聞き耳を立ててていた周囲の貴族たちも、一斉に目をひん剝いてゼドに注目した。

 騒ぎは波状に広がり、やがて、会場全体の視線がゼドに集中したのを見計らって、彼はらせん階段の踊り場を見上げて、静かに手を差し出す。

 誰もがそちらをみやって、息を呑んだ。会場が静まり返る。

 人々を見下ろすように、たった一人佇んでいたのはリディア・ブルームバーグだった。

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