盲目のラスボス令嬢に転生しましたが幼馴染のヤンデレに溺愛されてるので幸せです

斎藤樹

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ローナ 10歳編

修羅場、再び

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 穏やかな時間はどこへやら。
 私の心臓がはじめにドンッと痛くなるくらい強い音を鳴らして、以降それがずっと続いている。

 まだここに現れた訳でもいないのに、頬を中心にして首元まで熱がどんどん広がっていくのがわかる。


「ほ、本当に……?」
「はい。つい先ほど、そのように」


 心臓の勢いが喉を締め、ようやく絞り出した声は上擦っていてやけに小さかった。
 それでも私の言葉を正確に聞き取って返事をした執事はプロたる所以がそこにあるのだと思う。

 アンが速やかに私の膝に落ちたクッキーの破片を片付けてくれているのに、何も反応を返すことができないくらい私の頭は一色に染まっていた。


 セシルに会える……!


 どうしよう、まずは何から話そうかしら?でも訓練場からの帰りに寄ってくれるなら、疲れてるかも。

 お茶を飲む時間はあるのかしら?セシルはコーヒーの方が好きだと言っていたから、お父様に頼んで取り寄せてもらった豆があるのだけど……。

 それと、それと……きっとセシルなら褒めてくれるだろうと思って頑張った成果を、車椅子を一人でも動かせるようになったのを見てほしい。


 尽きぬ要望に目の前が埋め尽くされていた私は、エンゲルが執事に話しかけていたのに気がつかなかった。


「あの……"セシル様"って誰ですか?」
「セシル様とはローナお嬢様とのご婚約が確約なされた、フント侯爵家の御子息にあらせられます」
「こん、やく……」


 呆然として溢すように呟いた言葉など露ほども知らずーーこのドレスで出迎えても大丈夫か、髪型は崩れてないかと心配で目を回していたのだった。



   *      *     *



 ソワソワ、ソワソワ。
 うずうず、うずうず。
 いじいじ、いじいじ。


「静かなのにうるさいとか、お嬢様って器用だよね」


 どこか冷ややかなエンゲルの声で我に返った私は、居住まいを正して車椅子に座り直した。


「だって……ねえ、エンゲル。私どこか変じゃない?アンたちはいつ聞いても『お可愛らしいです』としか言ってくれないから、率直な意見を聞きたいのよ」


 もしも私の目が見えていたら、今頃手元に鏡を装備して髪型のチェックばかりしていたに違いない。

 侍女たちの腕を疑うわけではないが、久しぶりに好きな人に会うとなると、例えどんな腕利きの美容師に施された髪型だったとしても不安は解消されなかっただろう。

 ドレスだってどんな物か丁寧に説明してもらったのにーー私が自分で選ぶこともあるのだけれど、大抵はアンが着せてくれるものに従うので詳しい造形を知らなかったりするーーやっぱりセシルはこの色は好きじゃないんじゃないかとか、もっとレースは多めの方が可愛かったんじゃないだろうかと、あれこれ考えては泣きそうになっていた。


「可愛いかどうかは知らないけど、変じゃないんじゃない。あんたの様子なら、変だけど」
「なら良かった……良かった?わ……」


 エンゲルが私の様子を変と表すのは口癖のようなものだから気にしないものとする。

 両手で熱い頬を覆い、体中にこもった熱を冷ますのにハァとため息を吐いて項垂れる。
 どうにも落ち着かなくて、崩さないような力加減で前髪に触れた。

 モヤモヤと悪い方へと進みがちの頭をどうにかしたくて、私は気を紛らわせるのにエンゲルに話しかけることにした。


「そういえば、どうしてなの?エンゲルもセシルを出迎えたいだなんて。あなたはお客様なのだから、部屋で寛いでていいのよ」


 少しでも早くセシルに会いたくて玄関で待機しようと動いた私に、何故かエンゲルは付いてきた。
 玄関に何か用事があるのかと最初は思ったが、どうやら私と一緒に待機していると気づいたのは私の隣に立って動かなくなったからだ。


「いちゃダメなの?」


 勝手に付いてきたくせに、何故かずっと不機嫌だし……。

 エンゲルの機嫌が下降したのはおそらく、あんなに熱心に語っていた芸術の話を中断することになったからだろうが、それなら部屋で本を読んでて良いのに。


 エンゲルは私を変だと言うが、今日ばかりは彼の方がよっぽど変である。


「駄目とは言わないわ。どうしてかしらと思っただけ」
「……別に。ただ、あんたはお嬢様だったなって思っただけ」
「答えになってないわ……?」


 確かにエンゲルの前では令嬢らしさを崩していたとはいえ、マナーの先生に咎められない程度に留めていた筈なのに。

 それとも他所から見たら私ってだらしないのかしら……と新たな懸念に頭を悩ませているうちに、ついにその時が来たらしい。


「フント侯爵家嫡男、セシル・フント様がご到着です」


 ……心臓を吐くなら今のうちかしら。

 もういっその事、喧しい心臓を一旦吐き出してどこかに置いておきたいと思いながらーー私はリーヴェ邸の背高の戸が開け放たれるのを待つ。


 ガチャリと、使用人が戸に手をかけた音がした。


 開かれた扉の向こうからまず現れたのは、条件反射で閉じたままの目をさらにぎゅっと瞑ってしまうような強い風だった。
 途端に押しあがった前髪に急いで手を当て、セットが崩れかけていたのをなんとか防ぐ。


 危ないでしょうが、風!と理不尽な怒りを自然に対して感じた矢先ーーその風が私の体を包み込んだ。


 否、風は私の体を通り抜けていった。

 それなのにフワリと舞うような軽やかさを感じたのは、その人が風を伴うスピードでやってきたから。


 実態を伴わない自然物はあっという間に隙間から無くなって、残ったのは体に巻かれた逞しい腕と前面に感じる温もり。

 間にあるすべての物が障害だとでも言うかのように、それを取り除く勢いで私は強く抱きしめられたのだ。



「ーー会いたかった……っ!」



 熱い息と共に吐き出された体の奥に響く低くて甘い声が、耳から入って私の脳裏に溶けていく。

 存在を確かめるみたいに頬が私の頭に擦り寄って、腰に回った腕により一層の力が込められる。

 あまりにも力強い抱擁に背中が反って痛むが、そんなもの比じゃないくらい、感情でいっぱいいっぱいになっている胸の奥の方こそ苦しい程に痛かった。


 セシルだ。
 本物の、ずっとずっと会いたかった、私のいとしい人。


 せっかくの再会に涙なんて流したくなくて、セシルの肩に額をつけて睫毛に乗っていたそれを誤魔化す。

 ちょっと会わなかっただけなのに前よりもずっと逞しくなったように感じる背中に手を回して、縋り付くみたいに抱きつき返した。


「私も、ずっとずっと……貴方に会いたかった」
「うん……うん。ごめん。待たせてしまった」


 言葉の一つ一つを噛み締めて、ゆっくりと私に染み渡らせるように囁くその声に反応した体が震える。

 ……なんだか随分、刺激が強くなったような。

 貴族の子は総じて早熟とはいえ、まだ10歳と少しのはずなのに、王太子殿下といい色気がありすぎじゃないだろうか。

 まあ、大人になった彼らを思えば、まだまだ序の口だろうかーーなどと、セシルの温もりに身を委ねて呑気に考えている場合ではなかったと気づいたのは、セシルが動いた後だった。



「ところでーー君、誰?」



 南極に吹雪く風だってもう少し優しいんじゃないだろうか。

 そう思わざるをえないほどに、セシルの声が玄関に冷たく響き渡ったのだ。

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