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序章
第九話 鍛練
しおりを挟む足が鉛のように重い。
酸欠で頭が回らない。
そんな雑念に囚われれば先ほどまで確かに握っていた訓練用の木刀が、私の手を離れ宙を舞い地面に転がった。
「とにもかくにも、まずは基礎体力だな」
「はぁ…は、い!けほっ、ぜぇ…」
息も絶え絶えとはこのことか、と指一本を動かすのも億劫な状態で私は空を仰ぎ見た。
***
母に護身術と魔法術の授業を受けることを許可された私は、今日の授業をとても楽しみにしていた。
王子の突然の訪問で授業が数日遅れたが、それを些細なことに思えるほど今日の私は上機嫌だった。
だって、ようやく待ちに待った授業が受けられるんですもの!
数日前より難しくなったーーといっても中等教育レベルですがーー座学を片づけて待ちに待った護身術の授業の時間。
「アンタがここのお嬢さんか?」
訓練のために着替えて庭園の空いた場所に向かえば、そこにいたのは決して若いとは言えないが、しかしその表情や体格からは全く老いを感じさせない男性だった。
前世で護身術を教えてくれていた方とは別の方だという事実に少し狼狽えながらも、私が軽く礼をしつつ自己紹介をすれば、彼は興味がなさそうな顔でそれを聞き流した。
もしかして喧嘩を売られているのかしら???
「んじゃ、なにからすっかなあ~」
「あ、あの!」
面倒くさそうに溜め息を吐く男性に私は声を掛ける。
男は全くやる気がないどころか、全身から「言われたからしょうがなく来ました」と思っているのが伝わってくる。
態度はアレだが母が雇ったのだ、それなりの実力はあるはずですわ。
「私は基本的な護身術は理解が出来てます。
ですが、私が望んでいるのは実践でそれらを使えるようになることです」
前世で護身術は学んでいた。
しかし肝心な時に私の体は動かなかった。恐怖で動けなかったのだ。
実際に使えなくては意味がない。もう、あんな思いは懲り懲りだわ。
「私は戦う術を知りたいのです」
まっすぐに彼の目を見ながらそう言えば、彼は先ほどとは違ってこちらを射貫くような力強い目線を私に向ける。
その迫力に少しだけたじろいでしまったが、私は負けじと彼の目を睨み返す。
「どうしてだ?なぜ力が欲しいと願う?」
「守りたい人がいるのです」
彼の質問に間髪入れずにそう答えれば、彼は何かを見定めるように私を見つめる。
数秒ほどそうしていただろうか、彼は面白いものを見つけた悪戯っ子のように、突然ニヤリと笑った。
「つまんねえ仕事だと思っていたが……いい意味で裏切られたぜ。
いやあ、殿下も幸せ者だねえ」
なんで王子が出て、ああ……なるほど。勘違いしてるのね。
あんな奴、守ろうとさえ思えないですけど、都合がいいし訂正しないでおきましょう。
男は数分前とはまるで別人のように生き生きとした顔で楽しそうに笑っている。
彼はひとしきり笑った後、私に今できることを見せるように言った。
そうして言われた通りに前世で習ったことを一通り見せれば、彼はあからさまに顔を顰めた。
「確かに基本は出来ている……が、随分とまあ、お上品な動きだな」
彼の言いたいことは分かる。
こんな"お遊戯"ではあの子を守るどころか、自分の身すら守れやしない。
「分かっています。ですから、私を実戦でも動けるように鍛えてほしいのです」
そう返せば、彼はカラカラと笑った。
「貴族のお嬢さんとは思えねえ発言だな。……いいぜ、先ずは足の動かし方からだ」
その後、彼に私の動作の直すべきところを指摘されつつ改善を重ねていった。
そうして体が暖かくなってきた頃、彼に訓練用の木刀を持たせられ、かかってくるように言われた。
剣を持つのも振るうのも初めてで、私はどうすればいいのか分からず、とりあえず大振りに剣を振り回して突っ込むことにした。
「考えなしに剣を振るんじゃねえ!基本の動きを忘れるな!」
「っ、はい!」
私は前世で本当に基本的なことしか知らなかったのだと痛感した。
そうして彼に打ち続けること数十分、私の体力は底をついたのだった。
***
「最初に比べればなかなか動けるようになったじゃねえか!
まあ、素人に毛が生えた程度だがな!」
ガッハッハ!と豪快に大口を開けて笑う教官を後目に、私は息を整えるだけで精一杯だった。
悔しいわ。
私の攻撃なんて教官にとっては本当に蚊が刺すようなものなのでしょう。
実際に彼は私の一撃一撃を観察しながら逐一直すべきところを伝えるほどの余裕があった。
確かに全く敵わないのは悔しいが、でもそれ以上に私はこの体たらくが許せなかった。
たった数十分動いただけで、もう身体が動かないなんて。
こんなことではあの子を守る以前に、あの子の足手纏いにしかなり得ないじゃない。
もっと、もっと頑張らなくては。
まずは先ほど指摘された箇所を直すことと、言われたように基礎体力の強化に力を入れなければ。
冷静にいようとしても焦りが募っていくのが分かる。
はやく、はやく。
もっと、もっと強く。
そうでなければ失ってしまう。
また、諦めねばならなくなってしまう。
そんなのはいや。
「お前はなにをそんなに焦ってるんだ?」
そんな私の様子に目ざとく気付いた教官は、静かな目をして語りかけるように聞いてきた。
その凪いだ声色に私の頭の中は落ち着きを取り戻していく。
「もう、奪われたくないのです。失いたくないのです」
落ち着きを取り戻すように深呼吸を繰り返しながら、私は心情を吐露するように言葉を紡ぐ。
「もう二度と、泣かせたくないのです」
「なら、今をしっかり見ろ」
教官は諭すように私の肩に手を置く。
彼の力強いアイスブルーの瞳から、私の身を案じていることが伝わってくる。
「今、お前ができることをやるんだ。できないことをしようとするな。
確実に、一歩ずつ、出来ることを増やして前に進めばいい」
彼の言葉はストンと私の胸の中に落ちた。
確かにそうだわ。焦って冷静さを失えば視野が狭くなってしまう。
私ができることは教わったことをちゃんと吸収して、できることを増やしていくこと。
それにしても、過去に無茶をした誰かがいたのかしら?
教官は私を通してどこか、いえ、誰かの影を見ている気がする。
「はい」
彼の誠意に返すように私はしっかりと彼に向き合って返事をする。
そんな吹っ切れた様子の私を見て、教官は満足そうに笑った。
***
「魔法術も教官が見てくださるのですか?」
「おう、俺はこれでもこの国の騎士団長様だぞ。
魔法にもそれなりに精通してらァ」
騎士団長!どうりで強いし貴族の私にも態度がでかいはずだわ。
どうして彼が私の教官になったのかしら?父ならまだしも母に騎士団との繋がりがあるとは思えないし……謎だわ。
前世で私の魔法術を監督していたのは教科書通りに教えるのが得意な方だった。
どうしてお年寄りってあんなに頭が硬いのかしら、と思ったことをよく覚えていますわ。てっきり今度もその方に教わるものだと思っていたのだけど……。
教官は実力もあるし実践にも長けているので、私的にはこっちの方がありがたいわね。
「ほんじゃ、魔力制御の精度を見せてもらおうか」
「はい」
この教官は言動こそ少しあれだが、実力は本物。
この方から学べる時間が増えるのは喜ばしいことだわ。
嬉しい誤算に内心で喜びつつ、私は全身に魔力を巡らせていく。
今ではかなり安定して魔力を流せるようになった。もしかしたら前世の頃より安定しているかもしれない。
ふふん、どうかしら。教官も少しは驚いて……
「ふむ、実に安定している。
……が、遅いな。そんなんじゃ戦場で死ぬぞ」
「なん、ッ!」
芽生えかけていた自信が木っ端みじんですわ!
教官は馬鹿にしているわけではなく、ただ事実を言っているだけ。
だからこそショックが大きいのだけど。
「魔力量が多いので早く魔力練ろうとすると、どうしても乱れてしまうのです」
「なるほどな。じゃあ少しづつ速度を速めてそれに慣れろ、以上」
それだけ言うと教官は私に魔力制御の再開を促す。
コイツ……いえ、問題があるのは私の方だわ。
これでも学園では魔法術でそれなりの成績を残していたし、小さくなってからも魔力制御の特訓をしていた。
私はいつからか慢心していたようですわね。
どれだけ努力をしても、評価をされても、そこに充分はないということを忘れていましたわ。
上等ですわ、やってやろうじゃない。
「流れが乱れてるぞ、集中しろ~」
「~~っ、はい!」
その日の授業は日が暮れるまで続いたが、教官からのダメ出しは止むことはなかった。
というか、後半はほぼ野次でしたわよ!
あれは完全にムキになる私を見て面白がってましたわ!
今に見てなさい…!いつの日か絶対にあっと言わせてやるんだから!
***
「なんということでしょう」
まったく身体が動きませんわ。
いえ、正確には動かすことは出来るのですが、そうするととても痛むのです。
完全に筋肉痛ですわね。
昨日の地獄のような特訓のおかげでまだまだ私が未熟ということが分かりました。
教官は筋肉を酷使したら次は休ませることが大事だと仰っていたので、護身術の授業は週に二回だけしか受けられない。
強くなる機会は限られているのだから、一つも取りこぼさないようにしなくてはなりませんわ。
教わったことを忘れないうちに身体に覚えこませなくては。
そしていつか教官に目にものを見せてやりますわ!
私はメラメラと燃え上がる闘志を胸に、集中して魔力制御の特訓を始める。
魔力は常に一定に保たなくては質のいい魔法を発現することは出来ない。魔力を練り、魔法に変える。
言ってしまえばそれだけなのですが、私の場合はその魔力が多いせいで制御が難しい。
水を注ぐときに勢いが強すぎると器からあふれてしまうように、魔力は注げばいいというものではない。
私の場合は水が多いせいで水差しが重く、一定の量を安定して注ぐのが難しいのだ。
でも、そんなのは言い訳にしかならない。
水差しが重いならその重さに慣れるしかない。出来るようになるまで何回でも努力するのが最短なのだ。
そうすればきっと、欲しい未来を掴みとれるはずだから。
「負けてたまるもんですか…!あ、いたた」
気合を入れなおした私は筋肉痛に耐えながら身支度を整えるのだった。
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