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最強の娘たち
しおりを挟む健の突然の進路変更に大人たちが驚き慌てている最中に、更なる爆弾が落ちた。
「私、ヤス叔父さんちの子になる」
次女のミナが胸を張り声も高らかに宣言する傍らで、すまなそうに頭をかく父の又従弟の泰明がいた。
「ほらちょうどミナも中学生になることだし、これから何かと物入りだろう? うちの子にならないかって前からちょこちょこ言っていたんだ」
泰明の家は尚たちの耕す棚田を下った集落との中間地点にあり『中ノ家』と呼ばれている。小規模な畜産を営んでおり、牛が好きなミナと尚は時々泊りがけで手伝いをしていた。
「うちは結局子供が授からなかったからさ。女房がずっとミナちゃん欲しいって言っていたんだよ。苗字は同じ柚木だし、うちに就職したって感じのノリでどうかな」
この地域で畜産をやっているのは泰明だけで、少し特異な存在だった。そのおかげで弾かれる側に自分が加わったとしても大した痛手にはならないと事も無げに言われ、祖母は腹をくくった。
「マイカが良ければ構わんよ」
正直、度重なる出費でこの先に不安はあった。農家の収入はお天道様次第。災害が起きればひとたまりもないのだ。
三日三晩考えて、母の出した答えはミナをゆだねることだった。泣きながら泰明夫妻に頭を下げる母に、ミナはぎゅっと抱き着いていった。
「おかーさん、待ってて。ミナは日本で一番凄腕の牛飼いになるから」
ちなみに要領の良いミナは入籍するなり泰明夫妻の事を『パパ、ママ』と呼び、中ノ家を完全に掌握した。
ミナが中の家の人々に可愛がられ溌溂としているのは喜ばしいことではあるが、大人たちにとっては寂しくも切ないことであり、言葉にしなくてもそれを敏感に感じ取っていたのは、子育てをしながらじっと家の中にいたアユだ。
時折、じっと一点を見つめて考え込んでいる姉の姿を尚は時々見かけた。
何か、良からぬことを考えているなとは感じていたが、小学生に到底わかることではなく。
まさか。
まさか、アユが十八歳の誕生会の翌日に身一つで出ていくとは、予想できるわけがない。
『出稼ぎに行ってきます。武蔵をよろしく♡』
そんなふざけたカードを一枚置いて、アユは消えた。
ふらっとちょっと街へ出るような小さなバッグ一つだったため、集落でも町でも見かけた人たちは気にも留めなかった。
「え。もう行ったの? 今日?」
姉妹としての秘密の会話がそれなりにあったらしいミナは、学校から帰るなり、あっさり知っていたことを認めた。
「なんか、農機具の買い替えが出来るくらい稼いだら、連絡するって言ってた」
「いったい、あの子は何をするつもりなんだい……」
祖母は浅黒い顔を真っ白にさせて額をもんでいた。
「さあ? とにかく多分東京にいるよ?」
「あの子ときたら……」
アユは初孫で、祖母はなんだかんだ可愛がっていた。
心配のあまり眠れぬ夜を幾日も送ったが、ミナの落ち着きっぷりに警察へ捜索願を出すのは思いとどまった。
しかし明けない夜はないが、我慢にも限界がある。
「アユーッッッ!」
夕暮れ時になると、祖母は庭の端に立ってアユの名をひと声叫ぶようになった。
腹の中から力いっぱい絞り出した絶叫は、「あゆ…あゆ…」と木霊していく。
初めてそれを目撃したとき、さすがに全員驚いてその場で石のように固まった。
犬小屋の前で怠惰に寝そべっていたポチさえも飛び起きて臨戦態勢になり一緒に遠吠えすべきか迷う。
いつもせかせかと忙しなく働き口うるさく斜に構えている祖母からは想像できない姿で。
心労のあまり、とうとうあの世への一歩を踏み出したのかと誰もが危ぶんだ。
しかし痩せた背中はしゃきっとまっすぐで強い心根は変わらない。
祖母なりの、心の折り合いの付け方なのだと、尚は理解する。
その場所はちょうど棚田から麓の集落まで傾斜が綺麗に下り、その先の海まで見渡せる絶景スポットだ。
赤く染まった視界の先の、海の波間に夕陽が落ちて空が茜色と紺色の絶妙な姿を見せるようになるまで両足を踏ん張って眺め続けたのち、深いため息を一つついて踵を返し「晩飯にするかね」と言うまでがセット。
祖母の大絶叫は夕陽の沈む位置が逸れるまでしばらく続いた。
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