うまい話には裏がある~契約結婚サバイバル~

犬飼ハルノ

文字の大きさ
26 / 50
王都編

こよいかぎりのおもてなし

しおりを挟む
 妻を伴って入った寝室の変わりぶりに、改めて驚いた。
 見渡す限り、真紅のバラを思わせる色彩で統一されている。

「これは・・・。いったいどうやったのだ」

 先ほどはそれどころではなかった。
 ナタリアに意識を集中させていたから。

「ふふ。驚かれましたか」
「もちろんだ」

 まさか内装まで彼女の衣装に合わせて変えてしまうなどと、誰が予想する。
 なんて大胆な発想だろう。

 もともとは、白を基調として緑と黄色の花をモチーフとした柔らかな色彩の壁紙が全体に貼られ、リネンもそれに倣った色合いだった。

 しかし今は、部屋の壁全体が紅の糸で織られたビロードの緞帳で覆われていた。
 そして、部屋の隅に生けられているのはたくさんの赤いバラ。
 暖炉の上に置かれた香炉からは、ねっとりとした香りが立ち上る。

「単純に、タピスリーを取り付ける要領で天井近くから緞帳を下げただけです。あとは装飾が得意な者にちょっと用立ててもらいました」

 薄暗さをぎりぎりに極めた照明。
 ベッドの天蓋もシーツも赤と黒を絶妙に配し、退廃的な雰囲気を醸し出している。

「私だけこのなりですと、浮いてしまうので。せっかくなら、完璧を目指したかったのです」

 腕を引かれて椅子に座る。
 丸テーブルの上にはグラスと酒と皿とカトラリー、そして銀のクローシュに覆われた何かが並べられていた。

「実は、ダドリーから持ってきていたものがありまして」

 向かいに座ったナタリアが酒瓶を手に取り、慣れた手つきでコルクを抜く。
 とくとくとくと音を立ててグラスに注がれる液体は、暗い照明の中、飴色に輝いた。
 独特の、甘い香りが漂う。

「ブランデーか」
「はい。実はこれからうちの特産品として売り出そうかと」

 ことり、とグラスをローレンスの前に置いた。

「どうぞお試しください」

 促されてグラスに口をつけると、芳醇な風味が口から鼻に抜けていく。

「・・・うまいな」
「ありがとうございます」

 微笑みながら、ナタリアもグラスを持ち上げ喉を潤す。

「これは、貴族の間でも流行るのではないか。とても上品で深い味わいだ。それになんといっても香りがいい」
「最初はかなり雑な味のものしか作れませんでしたが、一番上の姉が嫁ぎ先から技術者を送ってくれたので、おかげさまでだんだんと形になってきました」

 そういえば、ナタリアの姉たちはすでに隣国へ嫁いだと聞く。
 グラハムは姉たちを王宮で見かけたことがあったらしく、挙式の直前に二人の方がより生母に似ていたのにとこぼしていたのを思い出した。

「ブランデーはなかなか難しいと聞く。たいしたものだ」
「はい。長年、人材には恵まれているおかげで農作以外を色々試すことができました。その成果の一つがこれです」
「なるほど」

 淡い光にグラスを透かして見る。
 とろりとして暖かい、土の恵みの色だ。
 グラスの向こうで、ナタリアの赤く塗られた唇が上がるのが見えた。

「どうした?」
「・・・こうして、ローレンス様とゆっくり酒を飲みかわしたいと思っていました」
「なかなか機会を持てず、すまなかった」
「いいえ。どうかお気になさらず」

 ナタリアはテーブルの中央に手を伸ばし、銀のクローシュを外す。
 そこにはドライフルーツとナッツとチョコレート、そしてチーズが盛り付けられた銀食器が現れる。

「どうぞこちらも召し上がりください。私はドライフルーツが一番合うと思いますが、弟はチーズを好みます」

 彼女の口ぶりから飲み慣れている様子がうかがえた。

「タリアは…酒に強いのか」

 二杯目を口にしながら、尋ねる。

「はい。強いほうだと思います。ダドリーの冬の厳しさはそうとうですから」

 勧められるままに、杯を重ねた。

「知らなかったな」


 極上の酒と、そして。
 ローレンスは、ナタリアを眺める。
 彼女の髪と瞳は、ブランデーそのものだ。


「ええ。私もローレンス様のことは知らないことばかりです」

 彼女はゆっくりと立ち上がり、羽織っていたローブのひもを解く。

「なのでそろそろ、貴方様のことを深く知りたいのですが」

 足元に落ちたローブ。
 華奢な造形の靴はつま先が覆われていないためあらわになり、先から細い黒糸で編まれたタイツと赤く塗られた足の爪がのぞく。
 娼館には友人たちと遊びの延長で何度も足を運んだ。
 国一番高い女と過ごした夜は数えきれない。
 しかし、その記憶も今となってはおぼろげだ。

「ローレンス様」

 ナタリアが少し顎をそらし、妖艶な笑みを浮かべてローレンスを見下ろす。
 貴族の、侯爵夫人らしからぬ装い。

 だからこそ。
 そそる。

「タリア」

 グラスをテーブルに置き、ナタリアを抱き上げて寝台に転がり込む。
 唇を合わせて肩に手を添えていつものように身体を暴こうとしたその時。

「・・・?」

 世界が回転した。
 思うより酔っていたのか、頭が少しくらくらする。
 腰の上には、赤いランジェリードレスを着て嫣然と笑う妻がまたがっていた。
 締まった太ももを彩るガーターベルトは官能的でローレンスは思わず喉を鳴らしてつばを飲み込む。

「タリア?」

 胸の上に両手をついて、ゆっくりと身体を倒し、しっとりとした口づけをほどこされた。

「旦那さま」

 なぜか、指一本動かす気になれない。

「初めての夜から今まで、貴方様からたくさんのことを学びました」

 ブランデーの香りの混じる、甘い吐息がローレンスの唇をなぶる。

「なので、その成果をお見せしたいと思います」

 さらりと首元に落ちてきた髪の香りと感触に、体が熱くなる。

「今宵かぎりの、もてなしを・・・。どうぞ心行くまで楽しんでください」

 ローレンスの上でゆっくりと身じろぎする彼女は、壮絶なほどに色めいていて目が離せない。

「これは、卒業試験のようなものです」

 冗談めかした物言いに、胸が高鳴った。
 ちゅっとローレンスの唇を軽く吸われ、もっと先を期待する。

「タリア・・・」

 私の、夜の女王。

 ローレンスは、酔いに身を任せた。



 その夜。

 闇が最も深くなる瞬間まで、寝室から声と音がせわしなく響き続けた。
 漏れ聞こえるのは悦びの声と懇願。
 そして、幾度も繰り返す絶叫。
 これらは全て。

 館の主である、ローレンス・ウェズリーのものだった。


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

追放された悪役令嬢は辺境にて隠し子を養育する

3ツ月 葵(ミツヅキ アオイ)
恋愛
 婚約者である王太子からの突然の断罪!  それは自分の婚約者を奪おうとする義妹に嫉妬してイジメをしていたエステルを糾弾するものだった。  しかしこれは義妹に仕組まれた罠であったのだ。  味方のいないエステルは理不尽にも王城の敷地の端にある粗末な離れへと幽閉される。 「あぁ……。私は一生涯ここから出ることは叶わず、この場所で独り朽ち果ててしまうのね」  エステルは絶望の中で高い塀からのぞく狭い空を見上げた。  そこでの生活も数ヵ月が経って落ち着いてきた頃に突然の来訪者が。 「お姉様。ここから出してさし上げましょうか? そのかわり……」  義妹はエステルに悪魔の様な契約を押し付けようとしてくるのであった。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

英雄の番が名乗るまで

長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。 大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。 ※小説家になろうにも投稿

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです

白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。 ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。 「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」 ある日、アリシアは見てしまう。 夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを! 「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」 「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」 夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。 自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。 ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。 ※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。

3歳で捨てられた件

玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。 それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。 キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。

おばさんは、ひっそり暮らしたい

波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

処理中です...