うまい話には裏がある~契約結婚サバイバル~

犬飼ハルノ

文字の大きさ
39 / 50
王都編

残念な真実

しおりを挟む
 それからは平和な日々と言えた。

 住みわけもはっきりし、ナタリアの執務も順調だ。

 東の館の準備も着々と進んでいる。
 基本的に子供部屋のしつらえや産着などはマリア自身に選ばせた。
 足りない物がないかは経産婦の使用人や養育のために新たに雇った侍女と乳母たちと協議し、ナタリアがこっそり用意をしている。
 そして念のため、本館のナタリアの寝室の近くに臨時の子供部屋を設けた。
 マリア次第で預かる機会があるかもしれないと思ったからだ。



 そして。

「お招きありがとうございます。ナタリア・ルツ・ウェズリー参上いたしました」

 深々と身をかがめ最上の挨拶を送るナタリアに、意匠を凝らしたコンサバトリーの真ん中で冬の薔薇に囲まれた佳人は微笑む。

「ようこそ、侯爵夫人。再会できる日を心待ちにしていたわ。四年前の貴方のデビュタントの直前に少しお茶をした以来かしら」

 極上の絹糸のようなプラチナブロンドの髪がふわふわと波打ち、菫色の瞳が光を浴びて宝玉のように輝く。
 バルアーズ公爵家特有の瞳。
 披露宴で思慮深い面持ちだった小公子を思いだす。
 さすがは姉弟。
 目元はよく似ていた。

「ずっと、ずっと会いたかったのよ」

 鈴を転がすような声とはよく言ったものだ。
 清らかで透明な音を耳で受け、ナタリアは嘆息する。

「良く覚えておいでですね。王太子妃さまはご成婚されたばかりでかなりお忙しかったというのに」

 卵型の小さな顔は白磁のようになめらかで白く、けぶるような長い睫毛と薄紅色の小さな唇。
 成人女性としては小柄な身体も相まって、誰もが彼女をこの世ならざる者、妖精そのものだと思う。
 既婚で二人も子どもを産んだとは到底思えない、少女のような容貌。
 無邪気な微笑みの下に、教養も思考も政権を握る男たちをはるかに凌駕する能力を隠し持っている。

「だって、あの素敵なドレス姿は忘れられないわ」

 砂糖菓子のように甘く柔らかな口調だが、意外と直球を投げてくるから油断ならない。
 今、この時のように。

「王太子妃様・・・。それに関してはどうかご容赦ください」

 たった数時間で中断したあのデビュタントで掟破りのドレスを着て悪目立ちした話はできうることなら、忘れ去ってほしい案件だ。

「あら。あの夜、貴方にときめいた人は結構いるのよ?だから、後日デビュタントを仕切り直ししたらなんと欠席だったでしょう。あの時落胆した人のなんと多かったことか」

 あのとんでもデビュタントの直後に災害と父の落馬事件が重なり、まるで呪われたように苦労の連続だった。

 母が常々『マギー・サンズの呪い』と口走っていたのを、少し頷きたくなるほどに。

「ご冗談を」

 ばっさりとナタリアが否定すると、気を悪くすることなく妖精妃は笑った。

「その件については、今後の楽しみに取っておきましょう」

 ほっそりとした身体に不似合いなほど大きく膨らんだ腹を撫でながら、王太子妃エリザベスは言葉をつづける。

「とにかく、座ってちょうだい。話したいことがたくさんあるの」

 背の高いナタリアを間近で見上げるのもつらいだろう。

「はい。失礼いたします」

 勧められた椅子に座り、侍女たちのもてなしを受ける。
 王太子妃の前で毒見の侍女が確認した後、茶を供された。

「たんぽぽ茶ですね」

 一礼して口をつけると、コーヒーに近い苦みと甘みが広がる。

「出産も近いから、周囲がかなり警戒しているの。いろいろと細かくてごめんなさいね」

 結婚してまだ四年ほどしか経っていないのに三人目を妊娠しているのは、夫婦仲が良いのはもちろんだが、いまだ男子に恵まれていないからだ。
 しかし、この小柄な人に何度も出産を強いる王太子を鬼畜だと思わなくもない。
 ナタリアには想像につかない気苦労が妃という立場上、たくさんあるだろう。

「この度はおめでとうございます。予定日は今月末あたりとお聞きしましたが」

「そうね。でも、なんとなくこの子はすぐには出てきてくれない気がするわ。今までに比べてのんびりしているのよね」

 まるで頻繁に会う友人に接するようにあっさりと現状を明かす。

 王太子妃エリザベスは義姉ディアナの従妹で、レドルブ侯爵と縁が深い。

 もともとレドルブ家は北の辺境伯の血縁で、国一番の防衛の要の血統ゆえに王都でぬるま湯に浸かっている王族や貴族たちと一線を画す。
 そんなところがダドリー家と馬が合い家族ぐるみで親しくさせてもらうばかりか、色々と助けてもらっているため、ナタリアとしては感謝の言葉もない。

 そもそも気安い仲である原因はパール夫人が中心として行っている本の布教活動と、ディアナが操る猛禽による伝文のやりとりだ。
 そのため王太子夫妻は西の辺境についての情報はかなり的確に把握していると思われる。

「とりあえずあなたたちは下がってちょうだい。ナタリアがいれば大丈夫だから」

 エリザベスが軽く手を振ると、侍女と護衛騎士が一斉に引いた。
 全員がガラス戸から出ていくのを見守った後、ナタリアは思わず息をついた。

「・・・彼らはよく従いましたね」

 小ぶりとはいえ温室に王太子妃と辺境令嬢の二人だけを残すなどと、本来ならあり得ないことだ。

「妃の命令は絶対ですもの。それに貴方が最強の戦士であることは私がよく知っているし、もしここで命が尽きるならそこまででしょう」

 さくっと断じて、エリザベスはカップを手に取った。

 豪放磊落にもほどがある。

「お妃さまになられてもお変わりなく、何よりです」

 彼女の本質を、いったいどれだけの人が気付いているだろうか。

「ふふ。丸くなるつもりはないわね」

 さらりと笑った後手招きをして、ナタリアを近くの椅子へ移動させる。

「まずは、『卒業』おめでとう。がんばったわね」

 いたわるように手を握られた。

 遥か昔の幼いころ、二歳違いだからとレドルブ候家で一緒に遊ばせてもらったことがあり、その時の懐かしい思い出が胸によみがえる。
 あの時も小柄だったがおてんばで、兄のトマスや弟ルパート、そしてディアナも一緒に大樹の高いところまで登り、侍女たちを失神させたりもした。
 あの頃と変わらぬ体温を感じ、ナタリアは肩の力を抜く。

「ありがとうございます」

 侯爵夫人としての豪奢な衣装に身を包み、美術品並みの食器に触れることは、貧乏貴族のナタリアにとっていっそ発狂したくなる状況であるが、昔と変わらぬ厚情のおかげでようやく人心地ついた。

「本来なら偽装結婚自体阻みたかったのだけど、まだあのやんごとなき御方はご壮健であられ、その力はまだまだ強大でね。申し訳ないと思っているわ。ナタリア、あと二年辛抱できる?」

 手入れされ尽くした白い滑らかな指先。

 それは多くのことを背負っている証。

「ご厚意に感謝します。ダドリーの立て直しが思うように上手くいかなかったのは私の不手際ですから。王太子妃様が気に病まれることはありません」

 多額の借金をカタにされている限り、どうにもならない。

 この四年、親しい人々から多くの援助を受けて頑張っているが、そう簡単に事は運ばないことは身にしみてわかっている。

「・・・その件だけど」

 エリザベスらしからぬ躊躇いがちの物言いに不吉なものを感じた。

「はい?」

「ずっと迷宮入りしていた事件の真相がね。やんごとなき馬鹿息子がやらかしてくれたおかげで、ようやく色々明るみに出たの」

 それはローレンス・ウェズリーのことだろうか。

 ナタリアは背筋を伸ばし、深呼吸した。

「・・・なにが分かりましたか」

「残念なお知らせしかないけれど、貴方ならね。乗り越えられると思うのよね。逆に肝の据わる案件がいくつかあるのだけど、どうする?」

 聞く勇気はあるかと尋ねるアメジストの瞳に、ナタリアは頷き返す。

「どうぞ、お話しください」

「ざっくり言うと、四年前の大厄の全ては、あのやんごとなき御方の仕業だったということね」

「・・・すべて、ですか」

 大厄というと。
 父の落馬事件と、急遽跡目を継いだ兄が詐欺にあい多額の借金を背負ったことだろう。

「どうしてそこまでやる必要が?ダドリーは極貧で没落寸前。あの方がわざわざ構う理由が見当たりません」

「まあ、そうよね・・・。だから見落としていたのだけど、よくよく考えたら全ては綺麗につながっていて、単純明快だったの」

 ふうと、貴人はため息をつく。

「ようはね。ヘンリエッタ様が今も美しいから・・・。どうしても欲しくなったみたい」

 ヘンリエッタ・ダドリー。

 ナタリアの実母であり、北国ザルツガルドの高位貴族。

「えええ・・・。そこですか・・・」

 それまでなんとか貴婦人の体をなしていたナタリアはすべて解除して二十歳の辺境令嬢に戻り、額に手を当てた。

「あの、ケンカップルのせいですか・・・」

 美の女神だ辺境の宝玉だと他人はもてはやすが、ナタリアにとっては血のつながった普通の母親だ。
 しかも常に喧嘩しながらいちゃついている両親の姿しか見たことがないこちらとしては。

「これ以上ない、残念なお知らせですね・・・」

 真実は奇なりというが。
 己の人生の大半を老人の横恋慕に振り回されていると知った今。

「どうしてくれよう」

 あの、やんごとなき老害を。


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました

らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。 そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。 しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような… 完結決定済み

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです

白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。 ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。 「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」 ある日、アリシアは見てしまう。 夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを! 「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」 「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」 夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。 自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。 ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。 ※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。

【本編完結】伯爵令嬢に転生して命拾いしたけどお嬢様に興味ありません!

ななのん
恋愛
早川梅乃、享年25才。お祭りの日に通り魔に刺されて死亡…したはずだった。死後の世界と思いしや目が覚めたらシルキア伯爵の一人娘、クリスティナに転生!きらきら~もふわふわ~もまったく興味がなく本ばかり読んでいるクリスティナだが幼い頃のお茶会での暴走で王子に気に入られ婚約者候補にされてしまう。つまらない生活ということ以外は伯爵令嬢として不自由ない毎日を送っていたが、シルキア家に養女が来た時からクリスティナの知らぬところで運命が動き出す。気がついた時には退学処分、伯爵家追放、婚約者候補からの除外…―― それでもクリスティナはやっと人生が楽しくなってきた!と前を向いて生きていく。 ※本編完結してます。たまに番外編などを更新してます。

王家に生まれたエリーザはまだ幼い頃に城の前に捨てられた。が、その結果こうして幸せになれたのかもしれない。

四季
恋愛
王家に生まれたエリーザはまだ幼い頃に城の前に捨てられた。

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

処理中です...