うまい話には裏がある~契約結婚サバイバル~

犬飼ハルノ

文字の大きさ
47 / 50
王都編

出産前の取り決め

しおりを挟む


「なぜこんなことになったのか全くお解りでないようなので、少し忠告しておきます、ローレンス様」

 腕を組み、氷のように冷たい視線を戸籍上の夫に向けてナタリアは口を開く。

「手をつける女性には事前にきちんと説明し同意を得たうえでことを始めてください。何があっても最愛の女性はマリア様であると」

「…どういうことだ」

「この東館の使用人たちの生まれはいずれもマリア様より上です。そんな彼女たちはローレンス様の寵愛を受けたなら、主従の立場が逆転できると考える者も少なくありません。今回のジャネットはまさにそれです」

 たとえマリアが無事に子どもを産んだとしても、修道院で育った子爵家の庶子。
 もしも妊娠できたなら伯爵家の嫡出子である自分の子の方が血筋は上なので、時を待たずに正妻になれるにちがいないとジャネットは思ったことだろう。

「おそらく、自分とローレンス様、もしくは他の女性との関係をマリア様に耳打ちし、もうすぐお前は捨てられるだろうと吹き込んだのでしょう。だから、マリア様はこの冷え切った夜に貴方様を探して彷徨ったのです」

「そんな…そんな、それはあくまでもお前の勝手な想像だ」

 しりすぼみになる反駁に、ナタリアは片眉を上げ肩をすくめる。

「そうですか? まあいいでしょう。今はそんなことに構っている暇はありませんから。まず、出産に立ち会える医師がいない以上、ここからは私の指示に従ってもらいます」

 言うなり、ナタリアはローレンスの執務机に屈みこみ手近な白紙を引き寄せるとそれにペンを走らせた。

「本館から連れてきた下級侍女たちはいずれも出産に立ち会った経験のある者ばかりなので、彼女たちを一時的に側仕えさせます。」

 自らの発言を書写し、更に連れてきた侍女たちの名前を綴る。

「東館の侍女たちはみな高位貴族の子女ゆえに出産の現場に立ち会ったことがありません。なので、彼女たちはあくまでも補佐。出産の環境を整えることを主とします」

 話しながらもナタリアの手は止まらない。
 カリカリとペン先が走る音だけが執務室に響き、その場にいる者はみな黙ってナタリアを見つめた。

「医療行為はスコット医師に執り行ってもらうしかありません。幸い、必要な器具は本館の医務室に揃っていました。それの消毒作業はスコット医師そして私付きの侍女のアニー。立会いに執事のセロンをお願いします」

 第二のジャネットはいないと願いたいが、見極める暇がない。
 母体に何かあってからでは遅いのだ。

「あと、全てはマリア様の意思に従う事。マリア様がもしローレンス様に傍にいてほしいと思われるなら立会い出産されても良いでしょう。ただ、望まれないなら隣室にて待機となります」

「そんな…。スコットがマリアの身体に何するかわからないじゃないか! そ、それにナタリアお前も、もしかしたらマリアを…っ」

「はい。そう言うと思いました。なので、その監視として東館侍女長のアルマ及び彼女が一番信頼している侍女たちを常時置くこととします。アルマ。後でこの下に監視役にする侍女の名前と、東館の侍女の名前を全部記入して頂戴」

「はい。わかりました」

 侍女長のアルマの方が、よほど話が通じる。
 ナタリアは嘆息しながら最後の一文を書いた。

「場を取り仕切るからには、私がマリア様の出産の全ての責任をとります。だから私に権限をお与えください、ローレンス様」

 書き上げた紙をローレンスの前に置く。

「ナタリア」

 数人が息をのむ。

「……本気、ですか。後になって撤回しないでくださいよ」

 家令のグラハムが、ねっとりとした目を向けた。
 もはや彼はナタリアへの反感を隠そうともしない。

「そのために今これを作ったのです。もともと、私はマリア様が妊娠したために買われた妻です。お二人が安寧であればこそ、続く契約だと理解しておりますゆえ」

 とんとんと、空欄を指さして続ける。

「私も郷里で様々な出産に立ち会いました。医療行為はさすがにできませんが全力を尽くします。ですから…」

「わかった。君を信じる」

 ローレンスは頷き、ペンを走らせた。

「ナタリア。マリアと…子供を頼む」

「かしこまりました」



 短い休息から目覚めたマリアは、不安げに目を潤ませおずおずと口を開く。

「あの…。ローレンス様、ごめんなさい。出来る事なら…赤ちゃんが生まれて、身づくろいするまで…。この部屋には入らないで頂けますか…?」

 懸命に、考え考え、答えた。

「マリア…。なぜだ。私は心配でたまらないのだよ」

 ナタリアの予想通り、いやそれ以上の回答に、ローレンスはマリアの手を取ってそばにいたいと懇願する。

 少女の願いは、産室からできるだけ離れてほしいとのことで、しばらく言いあううちにせめて二部屋ほど隔てた場所ということに落着した。

「以前、お産の姿が獣のようだったからと夫に厭われ、修道女になられた方がおられて…。私はローレンス様に嫌われたくありません…」

 ぽたぽたと大きな瞳から透明な涙が落ちる。

「そんなことが…」

 夫婦の会話に入る気はさらさらないが、ナタリアは額に手を当ててぼそりと呟く。
 どこにでも屑は存在し、女性ばかりが苦労する。

「ローレンス様とその方を重ねる非礼を許してください。ただ、私は自分がこれからどうなるかわからないので…。はしたない姿を見られたくないのです。ごめんなさい、我がままで…」

 嗚咽交じりの訴えに、さすがのローレンスも白旗を上げた。

「私がマリアを嫌う事なんてありえない。貴方は私の唯一の恋人だよ」

 涙をハンカチで拭ってやりながら、マリアの額に唇を落とす。

「でも、私がそばにいては気が休まらないというなら仕方がない。二つ向こうの私室で君と子どもの無事を祈ることにするよ」

「ありがとうございます。ローレンス様」

「愛しているよ、マリア」

 無事決着がついたからなのか、それから間もなくマリアの陣痛が始まった。


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

追放された悪役令嬢は辺境にて隠し子を養育する

3ツ月 葵(ミツヅキ アオイ)
恋愛
 婚約者である王太子からの突然の断罪!  それは自分の婚約者を奪おうとする義妹に嫉妬してイジメをしていたエステルを糾弾するものだった。  しかしこれは義妹に仕組まれた罠であったのだ。  味方のいないエステルは理不尽にも王城の敷地の端にある粗末な離れへと幽閉される。 「あぁ……。私は一生涯ここから出ることは叶わず、この場所で独り朽ち果ててしまうのね」  エステルは絶望の中で高い塀からのぞく狭い空を見上げた。  そこでの生活も数ヵ月が経って落ち着いてきた頃に突然の来訪者が。 「お姉様。ここから出してさし上げましょうか? そのかわり……」  義妹はエステルに悪魔の様な契約を押し付けようとしてくるのであった。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

英雄の番が名乗るまで

長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。 大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。 ※小説家になろうにも投稿

3歳で捨てられた件

玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。 それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。 キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。

おばさんは、ひっそり暮らしたい

波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

悪役令嬢の心変わり

ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。 7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。 そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス! カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!

幼い頃に、大きくなったら結婚しようと約束した人は、英雄になりました。きっと彼はもう、わたしとの約束なんて覚えていない

ラム猫
恋愛
 幼い頃に、セリフィアはシルヴァードと出会った。お互いがまだ世間を知らない中、二人は王城のパーティーで時折顔を合わせ、交流を深める。そしてある日、シルヴァードから「大きくなったら結婚しよう」と言われ、セリフィアはそれを喜んで受け入れた。  その後、十年以上彼と再会することはなかった。  三年間続いていた戦争が終わり、シルヴァードが王国を勝利に導いた英雄として帰ってきた。彼の隣には、聖女の姿が。彼は自分との約束をとっくに忘れているだろうと、セリフィアはその場を離れた。  しかし治療師として働いているセリフィアは、彼の後遺症治療のために彼と対面することになる。余計なことは言わず、ただ彼の治療をすることだけを考えていた。が、やけに彼との距離が近い。  それどころか、シルヴァードはセリフィアに甘く迫ってくる。これは治療者に対する依存に違いないのだが……。 「シルフィード様。全てをおひとりで抱え込もうとなさらないでください。わたしが、傍にいます」 「お願い、セリフィア。……君が傍にいてくれたら、僕はまともでいられる」 ※糖度高め、勘違いが激しめ、主人公は鈍感です。ヒーローがとにかく拗れています。苦手な方はご注意ください。 ※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

処理中です...